第83話 用意された茶番劇?
ざわめきが、波のように広がった。 三百人が、一斉に顔を見合わせる。 どよめきは、やがて明確な動揺へと変わっていった。
「引退……?」
「今、なんと」
「聞き間違いでは」
俺は、動けなかった。 壇上の養父を、ただ見上げていた。
白髪。 伸びた背筋。 マイクを握らず、地声だけで会場に届く声。
「鵠沼玄一郎、本日を以て、鵠沼グループの会長職を退きます」
俺は、耳を疑った。 ーーそんな、俺のせいで?
「……後任は、既に決まっております」
養父が、こちらを見た。 ーー逃げるな。
視線がそう告げていた。 俺は養父の前まで向かう。
三百人分の視線が、一斉に俺へ集まった。
『こんな奴が公認?』
『鵠沼家、終わったな』
『粗相を働いた息子を後任者にするの?』
『子が馬鹿なら、親も馬鹿だな』
俺を罵倒する声が聞こえて来る。
ーーやめろ! 俺を見るな、見ないでくれ!
「……灯磨大丈夫です」
「っ? ……望美?」
俺の背後に、望美がいた。 一緒に登壇してたのか?
「皆様」
そこへ、養父の声が響いた。
「この者は、私の養子です。 血の繋がりはありません。 六の年に、私が拾いました」
ーーうん? 六の年? 俺が拾われたの、三歳なんだが?
「小川望美……それが、彼女の名前です」
ーーなにを言っているんだ、父上?
「当時、この子は何も持っていなかった。 名も、金も、後ろ盾も。 ……ですが、一つだけ持っていたものがある」
養父は、そこで一度、言葉を切った。
「養子の息子……愚息のハートです!」
ーーハート? なるほど、心臓? 命って意味か!
「私が拾ったあの日。 この子は、自分より小さな子供……愚息を庇って、私の前に立っていた……」
俺は、養父の横顔を見た。 ーーあの時のことか。
「私は、その姿を見て、この子を引き取ることに決めました。 ……鵠沼の当主に必要なのは、頭の良さでも、血筋でもない。 守るべきものの前に立てるかどうかです」
養父は、会場を見渡した。
「本日、花山院家のご令嬢に対し、愚息が無礼を働きました」
ざわめきが、止まった。
「その責は、当主である私にあります。 ですから、私は退く。 ……ですが」
その声が、一段低くなった。
「その愚息を処罰することは、いたしません」
俺は、困惑した。 あれ? 俺がケーキを投げたことになってね? なんだ、この状況は?
「なぜならば。 また守るべきものの前に立ったからです」
養父は、まっすぐに前を向いていた。
その横には、気づけば、望美が立っていた。 なんで?
「私は当主として、家の者を切り捨てない。 ……代わりに、私が首を差し出す。 それが筋というものでしょう、花山院さん」
会場が、静まり返った。 花山院氏は、しばらく養父を見上げていた。
その表情から、鬼の相が、少しずつ消えていく? その目には涙が溢れていた。
一体、なにに感化されたんだ? ついていけないのは、俺だけか?
「……相変わらずですな、玄一郎さん」
「ふん。 歳を取ると、頑固になる」
「昔からです」
花山院氏は、苦笑した。 そして、こちらを見た。
「灯磨君」
「え? は、はい」
「君は、なぜケーキを投げたのですかな」
「ケーキを投げたのは……」
俺は、口を開きかけて止まった。 こんな状況で、本当のことなど、言えるわけがない。
ーー俺は、望美を見た。 毅然とした表情だ。
「……分かりません。 衝動的にしました」
会場が、ざわついた。 俺は続ける。
「ですが、一つだけ言えることがあります」
俺は顔が、真っ赤だった。
「本日のことは、深くお詫び申し上げます」
俺は、頭を下げた。 九十度に。 三百人に向かって。
すると、望美の声が頭上から聞こえた。
「どうか、暖かい目で私たちを見守ってください」
ぱち、と。 拍手が、一つ。 それは、花山院清嗣氏の手から鳴っていた。 号泣してる?
「……いや、見事。 いい話ですね……」
ぱち、ぱち、ぱち。 拍手が、広がっていく。 一つが二つになり、二つが十になり。 やがて、会場全体が拍手に包まれた。
「玄一郎さん」
「なんだ」
「良い娘をお持ちだ」
「……ええ、自慢の娘です」
「ありがとうございます、お父様」
ーーそれを、俺は頭を下げたまま聞いていた。
なんなんだこれは? 俺は、嵌められたのか?




