第56話 灯磨完全攻略計画
夏休みが数日経った。 いつも通り望美を書斎に呼び出すと、彼女はなぜか制服姿で現れた。
ーーしかも、片手に古びた本を抱えている。 装丁は黒く、表紙には金の星型の紋様。 妙に禍々しい意匠だ。
「望美?」
「……おでかけしましょう、旦那様」
ーーいつもの無表情で望美はそう言った。
まあ、ずっと缶詰だったからな。 息抜き程度には、いいだろう。
車に乗り込み、山道を行くこと二時間。 携帯の電波が消えた頃、木々の切れ目に、それは現れた。
苔むした鳥居。 褪せた赤い幟。 そこに掲げられた、墨書きの看板。
『狂気の縁結び神社』 〜貴方とは、死んでも離れない。
「…………」
「着きました……」
「望美、帰るぞ」
「どうしてですか?」
望美が俺の袖を掴んだ。 万力のような握力だった。 馬鹿な!
「ここは様子が変だ。 見ろ、看板が……」
「きっと、腐食したから書き換えられたのでしょう問題ありません。 行きましょう……」
望美は口早く、そう言い出すと、俺を引きずり始めた。
境内へ足を踏み入れる。 柵という柵に、絵馬が鈴なりに吊るされていた。 風もないのに、かたかたと鳴っている。
「……カタカタ、唇を鳴らしてびびっちゃって、かわいいな〜」
「……なにか言ったか?」
「いいえ? 幻聴では?」
ーー望美がなにかを呟いたが、聞こえなかった。
『永遠に縛り付ける』 『あの人を私のものに』 『裏切りは許さない』 『呪いの縁』 『死んでも離れない』
どれも赤い何かで書かれている。 赤黒く滲んだ文字の脇に、人の顔らしき落書きがあった。
「こ、ここは、その、なんだ。 ……縁結びなのか?」
「ええ。 地元では有名なんですよ。 『どんな縁も、絶対に切れない』って……」
「ひぃ……」
望美は鈴の緒を握り、そっと引いた。 からん、と乾いた音が、山中に響く。
目を閉じて、手を合わせる望美の横顔を、俺は見ていた。
境内は薄暗い。 その中で、彼女の白い頬だけが浮かび上がっている。 真剣な、祈る顔だった。
何を願っている? いや。 聞くまでもないか。 この神社の趣旨からして。
きっと、自らの良い縁を祈っているのだろう。 俺から、逃れるためにーー
「……よし。 これで完璧だわ……」
望美が目を開けた。 そして、こちらを向く。
「旦那様も……」
「……」
鈴を鳴らし、礼をして手を合わせる。 正直、こういうものは信じていない。 だが。
俺が願うことがあるとすれば、一つだけだ。
ーー望美とこの先も、ずっと一緒に。
「……何を願ったんですか」
「……」
再び境内を歩き出した。 絵馬の下を通り、狐像の脇を抜けて。
絵馬掛けの前で、望美が足を止めた。
「ッチ、無駄な願いを……あの泥棒狐! こうしてくれる!」
「どうした?」
「……いえ。 なんでもありません。 行きましょう」
望美が、さっと一枚の絵馬を裏返して持ち去った。
俺はそれを見てしまった。 真新しい絵馬。 几帳面な丸文字で、こう書かれていた。
『灯磨君と永遠に結ばれますように❤️ 花山院菜奈』
「………」
「み、た、な、あ、ぁ、?」
「ひぃ、ギャア……」
山の空気が、一段冷えた気がした。 俺は屈んだ。
「あれれ? 腰が抜けたんですか〜」
「……の、望美」
「……」
「その、勝手に持ち帰っては……」
「……旦那様? 何か文句でも?」
「いや、その、あの……」
望美は絵馬を鷲掴みにし、そのまま懐へねじ込んだ。 そのまま絵馬を粉々にする勢いだった。
ーー神社の絵馬を持ち帰るのは、さすがに罰当たりだぞ?
しかし、言い返せない。 望美の目が、笑っていない。
「旦那様、次に行きますよ」
「……」
ーーどうしてだ望美? なぜ、他人の恋路を妨害する? お前にとっては、花山院菜奈と俺が結ばれた方がいいはずなのに。




