第49話 恋の修羅場大発生
俺たちは館内の一番奥に向かった。 そこは、静かな一角だった。
「わぁ……静かですね」
中川が、水槽の前で足を止めた。 光を浴びた横顔が、ぼんやりと青く染まる。
「……すごい。 時間が、止まってるみたい」
「……そうだな」
俺は少し離れた位置で、同じ水槽を眺めた。 中にいる魚たちは呑気に漂っていた。
「……あの、鵠沼さん」
「なんだ」
「さっきはありがとうございます」
「……」
中川は水槽を見つめたまま、続けた。
「私、あの輪に入れなかったんです。 みんな楽しそうで、小川さんも人気者で。 ……そういう時、どうやって輪に入るのか、私、よく分からなくて」
中川は三つ編みの先を、指でいじっていた。 その目は、少し悲しそうだった。
「小さい頃から、家のことばっかりだったので。 お母さん、お仕事忙しくて。 みんなが放課後に遊んでる間、私は買い物と洗濯と、ご飯の支度で。 ……それが嫌だったわけじゃないんです。 そう、ぜんぜん嫌じゃなくて」
「ああ」
「でも、たまに。 こういう時に、思うんです。 私、みんなが自然にできることが、できないなぁって」
俺は、少し考えてから口を開いた。 性別や状況の違いはあれど、それがなんだと言うのか。 俺は自然と中川と、中川に親近感が湧いていた。
「中川」
「はい……」
「お前は今日、一時間前に来ていたな」
「え? あ、はい……緊張して」
「着替えも持ってきていた」
「そ、それは、イルカショーって濡れるって聞いてたので、念のため……」
中川が、こちらの言葉を待っている。
「輪に入るのが上手い人間は、そこら中にいる。 だが、他人が濡れるかもしれないと思って、鞄に着替えを自分のためではなく他人のために、わざわざ一枚入れてくる人間はそう多くない」
「……そうですか」
「そうだ。 お前ができないことばかり数えているのは、お前だけだ。 周りはお前ができることの方を見ている」
中川は、しばらく口を半開きにして俺を見上げていた。 それから、慌てて顔を逸らした。
「……ずるいです」
「何がだ」
「そういうことを、そんな真顔で言うの、ずるいです」
中川は水槽に向き直り、両手で頬を押さえた。
「……あの。 鵠沼さんって、いつもそうやって、人のこと見てるんですか?」
「……」
「小川さんのことも、ずっと」
「……なぜそこでアイツが出てくるんだ……」
「だって、知っているんです!」
「……」
今度は、俺が黙る番だった。
「私、鵠沼さんが小川さんに近づきたいってわかるんです!」
「……ああ。 そうだな」
中川が笑った。 いつものふにゃりとした笑顔だった。
ーー気づけば、時間が過ぎていた。
その後の中川は驚くほどよく喋り、驚くほどよく笑った。 あの気弱な様子は、どこかへ行ってしまったらしい。
ふと、通路の窓に映る自分たちの姿を見て、思った。
ーーこれは、傍から見たら、どう見えるのかを。
「……鵠沼さん? 髪に埃がついてます!」
「なに! どこだ、わからない……」
「ふふ。 今、取ってあげますね」
中川が俺に近づく。 俺たちの距離は一段と近づいてーー
「あら。 中川さん? 随分と楽しそうね?」
「望美? ……ひぃ!」
俺は、反射的に距離を取った。 声がした方を見ると望美だった。
望美は、全身から赤いオーラを充満させて、髪の毛も逆立っていた。
そんな彼女に、中川は気楽に話しかける。
「あ、やっと声をかけてくれましたね、望美さん」
「……いつから、気づいてたのかなぁ?」
「はい! すぐに、後を追いかけてくれたんですよね!」
「……へえ? ずっと知ってて、そんなことしてたんだ〜」
ーーやばい、やばい。 なんだこの状況は? 誰か助けてくれ!




