第44話 更に深まる勘違い
私は寝台に転がったまま、口に咥えた体温計をぼんやり眺めた。 枕元には、水のグラス。 ティッシュの山。 風邪薬の瓶。
怜子が運んでくれた完璧な布陣だ。 壁には『お大事にね』と猫の落書き付きのメモまで貼ってある。
千早が書いてくれた。 あの子なりの、精一杯のお見舞いらしい。 可愛いわね。
その時、こんこんと扉が鳴った。 今回こそは、怜子よね?
「……はい」
「入るぞ」
返事を待つ気のないノックだった。 制服のままの灯磨が、盆を手に入ってくる。
「旦那様、学校は」
「終わって帰ってきた」
「そう、ですか……」
灯磨が、盆を掲げて見せた。 どんぶりが、載っていた。
私は毛布を頭まで引き上げた。 部屋着は見られたくないわ。
「望美。 昼飯、まだだよな?」
毛布越しに、寝台が軋む気配がした。 灯磨が、脇の椅子に腰を下ろしたのだ。 逃げ場はない。
「……ほら。 顔を出せ」
「……出しません。 旦那様。 また風邪を引きますよ?」
「望美」
毛布を、めくられた。 灯磨と目が合う。 盆を持った灯磨が、思いのほか近くで、私を見下ろしていた。
「……お前が、俺を憎んでいるのは理解している」
「……はあ?」
ーーうん? なんの話、かしら?
◇◇◇
俺は望美を刺激しないように、言葉を続けた。
「大丈夫だ。 隠さなくていい。 お前が俺を憎んでいる証拠は揃っている」
「証拠? ……て、なに?」
俺は盆を脇の台に置き、指を折り始めた。
「一つ。 俺に対してお前はいつも無表情か、睨んでいる」
「二つ。 俺に異常に濃いコーヒーを飲ませた」
「三つ。 俺の客人へのフルコースを滅茶苦茶にした」
「四つ。 殺意の塊のようなスープを流し込んできた」
「そして、これが決定打だ。 お前は確かに言った。 『いい表情よ、最高よ。 もっと、苦しんで』と……」
俺は、望美を覗き込む。
「俺のことが嫌いなんだよな? ……お前の人生を買った俺のことが……」
俺は、望美を見ることができなかった。 その事実を認めるのが怖かったのだ。
「あの、それは」
「……いいや、嘘はいいんだ。 その上で、俺は……」
望美があの大木勝也に告白されたと知った時、深夜の公園で一人悩んでいた。 望美の幸せを。
望美の幸せを願うなら、花山院菜奈と婚約して、望美を手放すのが正しいのかもしれない。
そして、大木勝也のような、まっとうな男に彼女を託す。 それが望美のためだとわかっている。
ーーだが、駄目だった。 考えるだけで、吐き気がする。
望美がいない日常を想像するだけで、辛い。 人生に光が見えない。 まるで、砂を噛んでいるみたいになる。
だから、決めた。 いや、最初から決めてたはずなんだ。 憎まれていようと、軽蔑されようと、これだけは、決定事項だ。
「俺は……望美。 実は、お前のことが好きなんだ」
「はあ?」 (え? 今更どうしたの灯磨?)
しかし、思っていた反応と違う。 だが、続ける。 ここで止まったら、二度と言えない気がするーー
「俺は望美のためならなんでもしたい。 ……だが、俺の元から離れる。 そんなこと絶対に駄目なんだ!」
「はあ?」 (まさか私を引き離すつもりだったの? そんなの許さないわよ!)
ーーまた、その反応だと? 一体、どういうことだ?
「……お前には、悪いがずっと側にいてもらうぞ!」
「はあ?」 (あの時から、ずっとそのつもりなんだけど……)
ーーくっ。 また「はあ?」だと? 俺の気持ちが全然伝わってない。 わからせるか、今ここで。
俺は望美に近づいた。 望美の顔が至近距離にある。
「灯磨? 駄目です!」 (また風邪が移ったら大変よ!)
「好きだ! 望美!」
俺は、望美を抱きしめた。 彼女がビクビクと震えているのがわかる。 俺による支配に怯えているんだな。
「〜あ、あ、……し……さ……」(幸せ!最高!)
「望美? ……寝たのか」
最後まで、俺に憎しみの念を呟いていたな。 しね、最悪かーー
すまない、望美。 俺はそれでも、お前を解放できない。
安らかに寝る望美を見ながら、俺は一人沈んでいた。




