第37話 主様による晩餐
夕方。 自室の机で、私はノートパソコンを開いていた。
部屋着の肩出しセーターに、穿き古したダメージジーンズ。 メイド服も、サングラスも、サンバイザーもない。 誰にも見せない、私ーー小川望美の姿である。
画面の中では、執事が令嬢を優しく諭していた。 ーー今連載している小説の、次回分だ。
「ふふ……ふふふ……」
筆が乗るわ、最高の気分よ! 灯磨の奴、中川さんに嫌われたわね! まったく、浮気するから、こうなるのよ!
「『言い訳ですか!』……ふふっ、あの灯磨が、両手を上げて後ずさって……」
思い出し笑いが止まらない。 今日の灯磨の情けない顔、当分おかずにして生きていける。 小説の主人が令嬢に叱られるシーンとして、さっそく採用させてもらった。 創作とは、現実に起こった出来事を採用するのよ!
「ハアァ……」
安心したら、眠い。 画面の文字が、にじむわ。
その時、「コンコン」とノックの音がした。
「……は……い」
「お嬢様、失礼します……」
ーー怜子かしら? ご飯ができたのね!
「お嬢様。 ご飯の用意ができました」
「はいはい……」
ーーうん? なんか、声が低くない?
振り返るとそこには、執事姿の灯磨が立っていた。
黒の燕尾に、白手袋。 完璧な立ち姿で。
「と、ととと」
「……? お嬢様、お待たせいたしました」
「……」
ーー最高すぎる。 何これ。 え? 何なのこれ!
私が今まさに書いている小説の執事と、うり二つなんですけど! ーーまあ、モデルが灯磨だから当然だけど。
ーーさすが灯磨! 私の、私のためだけの旦那様!
「忙しいだろ? だから、労ってやろうと思ってな」
「……そうですか」
ーーすみません。 遊んでました。
机の上のパソコン、そっと閉じました。 画面に映っていたのは執事が令嬢を姫抱きする場面の描写です。
「食堂まで、お運びしましょう。 お嬢様」
「それには及びませ、きゃっ」
言い終わる前に、灯磨は私を担ぎ上げた。
ひょい、と。 軽々と。 いわゆる、姫抱きというやつで。
ーーこれって、なんてデジャヴ?
◇◇◇
「あ、あの、灯磨? これは、その、どういう」
「さあ。 お嬢様、ご飯が用意できております」
食堂まで望美を運び、上座の椅子にそっと降ろした。
燭台の炎を弾く銀器。 海老が塔のように盛られた大皿。 艶々と輝く牛のロースト。 深紅のワイン(葡萄ジュース)。 白磁のスープに、サラダに、クローシュまで。
昼間のフルコースが霞むほどの、正真正銘の晩餐だ。
ーーどうだ、望美。 わかったか?
「あ、あの、灯磨? これ、は」
「俺の手作りだ……」
俺は望美へ、ことも何気に言う。
「望美。 これが、デイナーだ!」
どうだ? 俺の才能に畏れいったか!
「さあ、お嬢様。 冷めないうちに」
「その私はメイドで……」
「今夜は違う。 俺が給仕をして、お前が食う」
「〜〜っ」
ーーふふ。 いい気味だ。 部屋着でこんな晩餐の上座に座らされて。
目の前には燕尾服の俺が控えている。 ーー場違いにも程があるなぁ?
「前菜からだ。 海老と帆立のタルタル仕立て」
さすが俺、所作まで完璧だ。
「……いただき、ます」
望美が顔を真っ赤にしながら、食事を口に運ぶ。
「どうだ、絶品だろ!」
「……味がわかりません」
「馬鹿な。 そんなはずは……」
俺は望美から食器を奪い、口をつけた。
「な! な、な。 間接キスですって。 キュウ〜」
「問題ない。 ……うん? 望美、どうした! おい」
「もう、お腹いっぱいですぅ〜」
ーー望美が気絶して、この晩餐会は終わった。




