第20話 お礼がしたいんです!
テストが終わった。 答案用紙が回収され、教室が一斉に弛緩する。 あちこちで解放感の声が上がる中、俺は静かに筆記用具を仕舞っていた。
手応えは十分ある。鵠沼家の跡取りとして、この程度は当然のことだ。
手早く帰り支度を済ませ、廊下に出たときだった。
「く、鵠沼さん!」
「……」
呼び止められて振り返ると、中川が小走りに駆け寄ってきた。 彼女は俺の前で立ち止まり、胸の前で両手をきゅっと握った。 ーーあの時も見たポーズだ。
「テスト、たぶん今までで一番!」
「そうか……」
「それで、あの……」
中川は一度言葉を切り、意を決したように顔を上げた。
「私、お礼がしたいの! 勉強教えてもらったお礼。 ……今度の休みの日、時間もらえないかな?」
「不要だ」
「っ……」
俺は即答した。 これは望美に課せられた試練に過ぎない。 従って、中川に例を言われる筋合いはないのだ。
一般の女子高生の礼など、受け取ったところで何の益もない。 鵠沼家の人間が、施しの見返りを求めるようでは格が知れるからな。
「話は終わりか。 なら、俺は帰る」
踵を返そうとした、そのときだった。
「お、お願いします!」
「……」
中川が、両手を顔の前で合わせた。 目をぎゅっとつぶり、眉を八の字に下げて、拝むような姿勢。 よく見れば、目尻にうっすら涙まで滲んでいる。 廊下を行き交う生徒たちやクラスメイトが、何事かとこちらを見ている。
大方、陰キャボッチメガネが何やっているんだ? と、侮蔑を込めた視線だろうがーー 見せ物じゃないんだぞ? 実に不愉快だ。
「お願い、お願いだから! このままだと私、借りっぱなしで落ち着かないの!」
「……大袈裟だ」
中川は目を閉じたまま、必死に食い下がる。 三つ編みが肩の前で揺れ、握り合わせた指先が小さく震えていた。
「そこをなんとか! このチャンスを活かしたいんです! なんでもしますから!」
「お、おい。 ……なんだよ、チャンスって」
たかが礼ひとつに、ここまで必死になる理由が俺には分からない。 しかし、このまま突っぱねれば、この女は本当に廊下で泣き出しかねない。
仕方がない。 俺は深くため息をついた。
「……分かった」
「やった!」
中川がぱっと目を開ける。 涙の膜が張った瞳が、みるみる輝いていく。
「ただし、半日だ。 それ以上は付き合わん」
「うん! ありがとう、鵠沼さん!」
中川は顔をくしゃくしゃにして笑った。さっきまでの涙はどこへやら、現金なものだ。
「じゃあ、土曜日! 場所は……」
言うだけ言って、彼女は弾むような足取りで廊下を駆けていった。
残された俺は、掲示板のポスターの前で立ち尽くす。
知らぬ間に、休日の予定がひとつ埋まったのだった。
◇
「あの女……ついに尻尾を見せたわね! グギィ!」




