第19話 名家のご令嬢との通話
中川との勉強会も終わり、屋敷に戻った俺は、いつものように公務をこなしていた。
その間も、朝の問答の答えを俺はずっと考えていた。
しかし、俺は鵠沼の名を背負う男、机に向かわない限り、夜は終わらない。 窓の外では、庭の噴水が月明かりを映していた。
『電話よ、灯磨くん❤️』
「チッ」
ーーその静寂を破るように、卓上の電話が鳴った。
その効果音と画面に表示された名前を見て、俺は思わず眉をひそめる。
ーー花山院か。 無視したい。 心の底からそう思った。
だが、以前この女の着信を一度無視したとき、後でどれほど面倒なことになったか、思い出すだけで頭が痛い。
遠くに住んでいる癖に、屋敷まで押しかけられ、半日を潰された。 あんな目に、二度と遭いたくはない。
俺は渋々、通話ボタンを押した。
「……」
『ごきげんよう、灯磨。 ……月が綺麗ね』
受話器の向こうから、涼やかな声が流れてくる。 花山院菜奈。 古き名家・花山院家の令嬢にして、俺にとっては最も厄介な相手のひとりだ。
今頃きっと、あの広大な日本庭園を望む縁側で、上等な着物でも纏って優雅に夜風を浴びているのだろう。
「知らん……」
『あ、そう』
菜奈はまるで動じない。 この女は、いつもそうだ。 こちらが冷たくあしらっても気にしない。
『灯磨くん。 この前の答え、考えてくれたかしら?』
「……俺は」
その一言で、空気がわずかに張り詰めた。
俺は答えなかった。 答えられなかった、と言うべきか。
彼女の言う「この前」とは、花山院家の婚約者になれ、という話だ。 両家の格を考えれば、決して悪い縁談ではない。 だが今までは、そんなこと考えもしなかった。
「……」
『……あら?』
俺の沈黙に、菜奈は意外そうな声を出す。 なぜなら、いつもすぐに否定してきたからだ。
『気が向いたら、いつでも返事を頂戴。 逃げられるとは、思わないことね? 大好きよ、灯磨くん……』
そう言い残して、通話は切れた。
俺は受話器を置き、深く息を吐く。 月明かりの差し込む書斎で、しばし天井を仰いだ。
菜奈と婚約をするーー それも、いいかもしれない。
それが、望美のためなのかも知れないな。
だが、俺はそれでも。 望美と共に居たかった。 例え、本人に嫌われていようともなーー




