第2話 学校では一般人。 家に帰れば跡取り
俺は学校では、ただの一般生徒を演じている。
しかし、家ーー屋敷に戻り、制服を脱いでシャツに着替えれば、もう俺は一般生徒ではない。
この屋敷ーー『鵠沼』の跡取りなのだ。
執務室の机に積まれた書類。 決裁を待つ案件の数々。
学校で一般生徒として生活している暇など、本来の俺にはない。 万年筆を取り、一枚、また一枚と目を通していく。
窓の外はもう暗い。屋敷は静かだ、いや。
遠くの方から、かすかに笑い声が聞こえる。
と、言っても。 本来なら聞こえない程に小さな声だが。
それは、この屋敷に住んでいる。 女たち声だ。
その中に、聞き慣れた声が一つ混じっている。 しかし、学校で聞く、あの間延びした声ではない。
ーーいや、何考えているんだ、俺! 集中しろ! 視線を書類に戻す。
しばらくすると、ノックの音が、二つ。 彼女だーー
「……入れ」
俺の声は、自然と硬くなる。 扉が開く。
そこには、メイド服姿の小川望美が、立っていた。
メイド服。 背筋を伸ばし、両手を前で揃え、彼女は静かに部屋へ入ってくる。 そして、深々と頭を下げた。
「失礼します、旦那様……」
その表情はやはり、能面だった。
学校で一日中、誰彼構わず振りまいていたあの笑顔。
そのどちらの面影もない、無表情で、彼女は俺を見ている。
ーーなぜだ? 俺は万年筆を握ったまま、動けない。
なぜ、お前は俺の前でだけ、その顔なんだ?
学校では太陽みたいに笑っていただろう。 なのに、俺の前に来た途端、それを全部しまい込む?
嫌われているのか? それとも怒っているのか。 彼女にこんな扱いを課している俺に対して。
そもそも。 なぜメイド服を着ているんだ? 来客時でもあるまいし、そもそも君はーー
「お夕飯のご用意ができました……」
「……」
能面のまま、望美が言う。 声まで、あの間延びした調子を綺麗に削ぎ落としている。
「……すぐ行く」
「かしこまりました」
もう一度、頭を下げる。 所作の一つ一つが、不気味なほど完璧だった。 誰に命じられた? 養父か?
ーー俺は、命じてなどいない! こいつは、勝手にこれをやっているだ!
いったい何を考えているのか、俺には今もって一つもわからないのだった。
ーーだが、俺にその権利はあるのか? 彼女の笑顔を奪ったこの俺が?
そう。 そうだ。 俺が彼女を買ったのだからーー




