第10話 無様な旦那様
放課後。 俺は足早に屋敷へと帰る。 こんなこと認めたくない。
結局、今日も望美との会話は成立しなかった。 共同作業すら、あの女は鮮やかに回避してみせた。
放課後の滞留など、もっての外。 鵠沼の名を継ぐ者として、こんなところで油を売っているわけにはいかない。
そうして俺は、自らの失墜を忘れるように、屋敷のデスクで作業をしていた。
悔しいが、どうやら俺は徹底的に、望美に嫌われているようだ。
ノックの音二回。 ーー怜子がコーヒーを持って来たか。
「……入れ」
「失礼します……」
「……!」
その声に、俺は思わず手を止めた。 そして、窓際に目をやる。
ーーいない、だと?
普段なら、望美はこの時間、部屋着姿で執筆作業中のはずなのに。
動揺で、積み上げた本が落ちる。 落ち着け俺! 冷静になるんだ!
俺は平然を装い、開いたドアーー望美の方を向く。
銀の盆にコーヒー。 湯気を立てるカップを捧げ持ち、望美が立っていた。
その表情は、能面。 学校で見せる人気者の笑みは、跡形もない。
「旦那様。 コーヒーをお淹れしました……」
「……お前、なんでこの時間に?」
「質問の意味がわかりません」
俺は思わず、口を開いていた。 それに対して、望美は惚けたことを言う。
「どうしました? 旦那様?」
「……いや」
ーー俺はなにも言えなかった。 理由を言えば、望美にドン引きされてしまう。
望美はコーヒーを置くと、すぐさま退室した。
一体、わざわざこのために来るなんて。 何を考えているだ、アイツは?
その後、しばらく作業が進まなかった。
◇◇◇ 望美視点
帰宅後の館。 私は制服姿から、メイド服に着替える。 銀の盆を手に、屋敷の廊下を歩いていた。
ーー灯磨は驚くかしら? 反応が今から楽しみね? プクスクス。
今日も、私は灯磨を避けきった。 同じ日直当番であるにもかかわらずだ。
計画通りーー思わず、私の頬が緩む。
灯磨は“偶然”日直当番が同じだと思っているでしょうね。
すべて、私が裏で根回ししたことだと知らずにーー
そう、今日の当番が一緒になったのも計算通り。 私以外の女に、灯磨との日直なんて任せる訳がない。
ーーそれにしても、灯磨の様子面白かったわ。
無様に中腰になって、中川さんを睨んでいる姿を思い浮かべる。
灯磨は目が良すぎるから、学校ではメガネをかけている。
彼のメガネ無しの姿を見ているのは、あの学校では私だけ。
私だけの灯磨。 そう、私だけの『モノ』 優越感が私の心を満たす。
ノックを二回。
「……入れ」
「失礼します……」
ーードタドタ、バタン。
中で物音が聞こえる。 灯磨が慌てふためいている様子を想像して、思わずヨダレが溢れそうになる。
ーー私は灯磨のそういうところが大好きなのよ。
扉を開けると、灯磨が私を見る。 その目が、動揺で揺れている。
ーー最高よ灯磨。 相変わらず、私を飽きさせないわね。
ああ。 これで、今日は捗るわね。 下がムズムズしてきた。
私が部屋を出ると、怜子と千早が駆け寄ってきた。
怜子と千早には、コーヒーを渡す係を代わってもらった。
「お嬢様? 珍しいですね?」
「ええ、ちょっと。 灯磨の顔が見たくてね。 ……それにしても、二人ともお似合いのドレスね?」
「奥様、これは母さんの手作りなんです」
「へえ? 凄いわね?」
怜子の趣味に思わず感心する私だった。




