文化祭⑤ 愛と江蜜の邂逅
「……危なっかしいな」
昼飯を買おうと屋台に向かっていた愛は、廊下の先で足を止めた。
大きな段ボール箱を抱えた女子生徒が、覚束ない足取りでこちらへ歩いてきている。
箱に隠れて顔はほとんど見えない。
しかし、肩から流れる黒髪と、腕に着けられた文実の腕章には見覚えがあった。
「えっと……江蜜さん、だよね?」
「ひゃいっ!?」
突然名前を呼ばれ、段ボール箱が大きく揺れた。
「ちょ、危ない!」
愛が咄嗟に箱を押さえる。
その横から、江蜜が恐る恐る顔を覗かせた。
「あ……卜返、さん……」
以前文実を手伝ったことで、互いに顔と名前くらいは知っている。
だが、まともに話したことはほとんどなかった。
「ごめん。驚かせた?」
「い、いえ……」
「それ、どこまで運ぶの?」
「……体育館の、倉庫です」
「一人で?」
「はい……」
返事はどれも短い。
江蜜は箱の陰へ隠れるように、愛と目を合わせようとしなかった。
愛が江蜜の背後を見る。
廊下の壁際には、同じような段ボール箱がいくつも並んでいる。
愛はため息をつくと、江蜜が抱えている箱の片側へ手を掛けた。
「持つ」
「え?」
「半分持つって言ってんの。そのままじゃ前も見えてないじゃん」
「でも……卜返さんは、文実では……」
「違うけど、今は暇だから」
「ですが……」
「いいから。ほら、落とす前に行くよ」
返事を待たず、箱を持ち上げる。
二人で支える形になると、先ほどまでふらついていた箱が安定した。
「体育館でいいんだよね?」
「……はい」
二人は箱を抱え、廊下を歩き始めた。
「今日、ずっとこの仕事?」
「はい」
「大変だね、文実って結構ブラックだよね」
「……はい」
「朝は受付やってたんでしょ?」
「……はい」
「さっきから『はい』しか言ってなくない?」
「す、すみません……」
江蜜の肩が小さくなる。
「私……人と話すの、あまり得意じゃなくて……」
「ふうん」
愛はそれ以上追及しなかった。
「そっかごめんね、じゃあ無理して喋らなくていいよ。箱運ぶのに会話いらないし」
「……え」
「黙ってる方が楽なんでしょ?」
江蜜は少しぎこちなく、こくりと頷いた。
「なら、それでいいんじゃん?」
愛は前を向いたまま、何でもないことのように言った。
気まずい沈黙を埋めようともしない。
話さない江蜜を責めることも、無理に話題を作り出そうとすることもなかった。
一つ目の箱を倉庫へ運び終え、二人は残りの箱を取りに戻った。
そうして二往復、三往復……と続けて荷物を運んだ。
会話は多くなかった。
ただ歩調だけは、江蜜に合わせて少しゆっくりになっている。
「……ありがとう、ございます」
「荷物のことなら、もういいって」
「それも、ですけど……」
「ん?」
「……何でもありません」
江蜜は小さく首を横へ振った。
愛が手伝ったことで、荷物運びは本来よりかなり短い時間で済んだ。
最後の箱を体育館の倉庫へ置き、江蜜が時刻を確認する。
「予定より、かなり早く終わりました」
「よかったじゃん。これで少しくらい休めるでしょ」
「はい。卜返さんのおかげです。本当に、ありがとうございましゅ」
最後で噛んだ。
江蜜の顔が一気に赤くなる。
「……今のは、忘れてください」
「別に笑ってないって」
「少し笑ってます」
「ふふ、ごめんごめん」
愛は口元を緩め、制服の袖で額の汗を拭った。
「江蜜さん、昼まだでしょ?」
「え……はい」
「アタシもまだなんだよね。よかったら、一緒に食べる?」
江蜜が目を丸くした。
「私と、ですか?」
「あ、無理ならいいけど」
「い、いえ、そんなこと……ありません」
江蜜が慌てて顔を上げる。
「私もちょうどお腹減ってましたし……」
「じゃあ決まり。ほら、行くよ」
愛は笑い、体育館の出口へ向かって歩き始める。
「……はい」
江蜜は小さく頷き、そのあとを追いかけた。
二人は中庭の屋台で昼食を買い、人通りの少ない渡り廊下のベンチへ並んで座った。
愛が買ったのは焼きそば。
江蜜は、たこ焼きとフランクフルトとクレープを膝の上へ載せている。
「……それ、全部食べるの?」
「はい」
「結構食べるんだね」
江蜜はしばらく三つの容器を見比べ、たこ焼きの容器を愛へ差し出した。
「あの……一つ、食べますか?」
「いいの?」
「さっきのお礼です」
「そう?別にいいのに……まあでもくれるなら、遠慮なく」
愛は爪楊枝でたこ焼きを一つ取った。
「熱いから気をつけてください」
「へーき、へーき」
そのまま口へ放り込み、直後に顔をしかめる。
「あっつ!」
「だから言ったじゃないですか」
「火傷したかも」
涙目になりながら口元を押さえる愛を見て、江蜜が小さく笑った。
「笑った?」
「わ、笑ってません」
「いや、絶対笑ったでしょ」
「卜返さんも、さっき笑ったのでおあいこです」
「……言うようになったじゃん」
愛が軽く肩をぶつけると、江蜜は驚いて身を固くした。
けれど、嫌そうにはしなかった。
それからしばらく、二人は黙って昼食を食べた。
先に口を開いたのは江蜜だった。
「このあと、誰かと文化祭を回ったりするんですか?」
「……あー実は彼氏と回りたかったんだけど、文実の仕事があるから無理だって」
「卜返さん、彼氏がいるんですか?」
それまでの途切れがちな返事とは違い、すぐに言葉が返ってきた。
「意外?」
「少しだけ……卜返さんは、男子に厳しそうなので」
「まあ、アイツは別」
「……実は、私にも彼氏がいるんです」
「へえ。お互い意外だね」
「どういう意味ですか?」
「江蜜さんって、恋愛とか興味なさそうに見えたから」
「私だって、彼氏くらいいますよ」
江蜜はぷくっと頬を膨らませた。
その反応が予想外に幼く、愛は思わず笑う。
「ごめんって。それで、江蜜さんは彼氏と回らないの?」
「私が一日中仕事なので……」
江蜜は思い出したように肩を落とす。
「彼の方は、午前中で仕事が終わっているんです。受付も少し早めに上がってもらいました」
「彼氏も文実なんだ」
「はい。もしかして、卜返さんの彼氏もですか?」
「そうだよ、奇遇だね」
愛は焼きそばを一口食べる。
「それで、江蜜さんの彼氏ってどんな人?」
「私にとっての王子様です」
江蜜は待っていましたとばかりに食い気味に答えた。
「私が本当に辛かった時期に助けてくれて……こんな私のことを好きだと言ってくれました。とても真っ直ぐで、優しい人です。」
「そうなんだ……なんかいいね」
「卜返さんの彼氏は?」
「え? ああ、まあ……バカみたいに真っ直ぐなやつだよ。遠回しってものを知らないっていうか、不器用っていうか」
愛は箸で焼きそばを弄りながら続ける。
「アタシが周りからハブられてた時も、自分が傷ついてまで庇ってくれちゃってさ。ほんとバカだよね」
言葉自体には棘があったが、それを語る愛の顔はとても愛おしそうだった。
「なんだか少し似てるかもですね私たちの彼氏」
「そう?」
「実直なところとか、困っていたら助けてくれるところとか」
「言われてみれば……いや、でもアタシの彼氏は結構すけべだよ。デートの時の視線とかエロいし、この前心理テストやったら、もうすごかった」
「私の彼氏も、意外とむっつりさんですよ?胸を押しつけると、いつも目を逸らします」
「……それは江蜜さんが悪くない?」
「でも、口では嫌がりながらも、本気で離れようとはしないんですよ。照れ屋さんなので」
江蜜は当然のように答え、フランクフルトを一口かじった。
「そこも似てるかも。アタシの彼氏も、ちょっと触っただけですぐ固まるし」
「可愛いですよね」
「分かる」
二人は顔を見合わせる。
「なんか似てるね、もしかして同じ人だったりして」
「ふふ、まさか」
江蜜が楽しそうに笑う。
もちろん愛も、本気で同一人物だと思ったわけではない。
一人の男が二人の女子と同時に付き合っているなど、あり得るはずがないのだから。
「きっと、私たちは男性の好みが似ているんですね」
先ほどまで目を合わせることさえできなかった江蜜が、今は愛の顔を見ながら話している。
彼氏の話を始めてから、別人のように饒舌になっていた。
「あはは、それはそれで、ちょっと嫌かも」
「どうしてですか?」
「もし江蜜さんがアタシの彼氏を好きになったら困るじゃん?」
愛は冗談めかして言った。
その瞬間、江蜜の笑顔が消えた。
「確かに……それは、不安です」
「え?」
「卜返さん、私の彼氏……好きになったりしたら許しませんから」
「いや、冗談なんだけど」
「それでもです」
「分かったって。そんな、取らないから」
「約束してください」
「はいはい」
「『はい』は一回です」
「急に厳しくなるじゃん」
「彼に関することなので」
愛は数秒呆気に取られたあと、吹き出すように笑った。
「江蜜さん、本当に彼氏のこと好きなんだ」
「もちろんです。世界で一番好きです」
「……そこまで言い切れるの、すごいね」
「卜返さんは違うんですか?」
「え? いや……ま、まあ、好きだけど……世界で一番とか、そういうの言いたくない」
「本人にも言わないんですか?」
「言わない」
「どうしてですか?」
「どうしてって……えっと……恥ずいじゃん」
「でも、好きと言われたら嬉しいですよ?」
「それは、まあ……そうだろうけど」
「なら、言った方がいいと思います。簡単ですよ。好きって思った時に、好きって言うだけですから」
江蜜は平然と言って、たこ焼きを一つ口へ入れた。
まだ熱かったらしく、頬を膨らませたまま、はふはふと息を吐く。
「……そういう素直なとこ、ちょっと羨ましいかも」
「私が、ですか?」
「アタシ、そういうの……言えないからさ」
「そうなんですね……」
江蜜は愛の顔をじっと見つめた。
「何、その顔」
「いえ。卜返さんって、もっと男の人を尻に敷くような方だと思っていたので」
「どういう意味?」
「いつも強気な感じですけど、彼氏の前だと『好き』の一言も言えないんですね」
「……悪い?」
「いいえ。ただ、思っていたよりずっと乙女なんだなって」
江蜜がわずかに口元を緩める。
「意外と可愛いところがあるんですね、卜返さん」
「江蜜さん、急に喋るようになったと思ったら、結構言うね?」
「事実を言っただけですよ」
「ふーん」
愛は江蜜のたこ焼きへ爪楊枝を伸ばし、一つ奪った。
「あっ」
そのまま江蜜の目の前で口へ放り込む。
「さっきのお礼は一個だけですよ」
「小生意気なこと言った罰」
「……そういう態度が素直になれない原因なんですよ」
「もう一個取るよ?」
江蜜は慌ててたこ焼きの容器を胸元へ引き寄せた。
「駄目です。もうあげません」
二人はしばらく睨み合い、やがてどちらからともなく吹き出した。
そのあとも、彼氏の好きなところや、デートで行きたい場所、恋人へどこまで甘えられるかなど、他愛のない話を続けた。
江蜜は彼氏の話になると止まらなかった。
愛も最初こそ茶化していたが、いつの間にか箸を置き、楽しそうに話へ乗っていた。
やがて昼食を終えると、江蜜が時計を確認した。
「午後の仕事までは、あと四十分くらいです」
「結構あるじゃん」
「卜返さんが手伝ってくれたおかげです」
「じゃあ……ちょっとだけ回る?」
「え?」
「アタシも暇だし、せっかくの文化祭なんだから、少しくらい回りたいでしょ」
「私と一緒で……いいんですか?」
「ここまで喋っといて、今さら何言ってんの」
愛は立ち上がり、空になった焼きそばの容器を持った。
「もう友達みたいなもんでしょ」
「……友達」
江蜜が小さく呟く。
「何。不満?」
「ち、違います」
江蜜も慌てて立ち上がった。
「その……嬉しかっただけです」
「そっか」
愛は少し照れくさくなり、江蜜から目を逸らした。
「それで、どこ行く?」
「卜返さんの行きたいところで」
「なら、二年のお化け屋敷。アタシ、ちょっと偵察してみたいんだよね」
「偵察、ですか?」
「うちのクラスもお化け屋敷じゃん。他のクラスがどんな感じなのか、見ておきたいでしょ」
「確かに、私も二年生のお化け屋敷へ行ってみたいです」
「じゃあ決まり」
二人は食べ終えた容器をゴミ箱へ捨て、並んで校舎へ戻った。
出会った時には、江蜜は愛の半歩後ろを歩いていた。
けれど今は、その隣に並んでいる。
愛が歩調を緩めなくても、二人の足取りは自然と揃っていた。




