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浮気物語~俺と10人の彼女たち~  作者: さんぶうい
女装と漫画と同性愛
43/49

漫画展① 百合色の薔薇

◯18日目(日曜日)


 待ち合わせ場所である駅前広場には、休日ということもあり多くの人が行き交っていた。


 俺はショーウインドウに映る自分の姿を、もう一度だけ確認する。


 黒いウィッグに、一昨日愛から借りたカイナイメージのパンクロック風の服。

 メイクが崩れていないか、喉から普段の声が出てしまわないかを入念に再確認する。


「……大丈夫、大丈夫」


 小さく呟く。


 昨日一度会っているとはいえ、今日は最初から最後まで友一と二人きりだ。


 何時間も正体を隠し通さなければならないと思うと、昨日以上に緊張していた。


「ショウコさん!」


 聞き慣れた声に、肩が跳ねた。


 振り向くと、友一が人混みの向こうから小走りで近づいてくる。


 空色の髪を揺らし、脇には『顎髭』のキャラクターがプリントされた小さなバッグを抱えている。


「す、すみません。待たせちゃいましたか?」


「いえ、私もいま来たところです」


 定番すぎる返事を口にする。


 まあ、実際には二十分前から来ていたのだが。


 友一は俺の前で立ち止まると、少し息を整えてから顔を上げた。


「……あの、今日のショウコさんも、その……すごく似合ってます」


「え?」


 思いがけない言葉に、頭が真っ白になる。


 友一は自分の発言が恥ずかしくなったのか、頬を赤くして慌てて手を振った。


「あっ、変な意味じゃなくて!昨日も思ったんですけど、本当にカイナみたいで格好いいなって!」


「そ、そうですか……ありがとうございます」


 なぜ俺が照れているんだ。これは女装を褒められたからで、愛の技術を褒められたようなものだ。


 そう自分へ言い聞かせる。


「それにしても、友一さん。そのバッグ……」


「あ、気づきました?」


 友一は待っていましたと言わんばかりに、肩に掛けていたバッグを持ち上げた。


「『顎髭』の限定バッグです! 今日のためにずっと取っておいたんですよ!」


「ふふっ、随分気合いが入ってますね」


「もちろんです!今日は一日中楽しむつもりなので!」


 満面の笑みを浮かべる友一を見て、俺も自然と頬が緩んだ。


「では、行きましょうか」


「はい!」


 並んで歩き始める。


 昨日まで何度も一緒に歩いた駅前の道なのに、今日は不思議なくらい違って見えた。

 

 ◯


 ——漫画展。


 それは、発行部数一千万部を超えるような人気作を一堂に集めた、大規模な漫画の展覧会だ。

 直筆原画や名シーンの再現展示、限定グッズの販売など、その作品を愛する者にとってはまさに夢のような空間である。


「み、見てください!ショウコさん!あっちにワ◯ピースの原画がありますよ!あっ!これは親子かめ◯めはのシーンの再現です!!うわぁ……すごい、すごい……!」


 オタクである友一が、そんなアルカディアに来て平静でいられるはずがなかった。


 目を輝かせながら展示から展示へと駆け寄り、そのたびに興奮した声を上げる。


 その綺麗な顔は終始にまにまと緩みっぱなしだった。

 

「ふふ、本当にすごいですね。こんなに大きな原画、私も初めて見ました」


 俺も一緒にはしゃぎたいところだが、それはできない。

 

 いまの俺は鼬重カイナ……もといショウコという女性だ。


 クールな雰囲気をまといながらも、どこか優しく包み込むようなキャラ。

 友一といつもの調子ではしゃいでしまえば、それだけで解釈違いだ。

 だから興奮を押し殺し、落ち着いた口調を崩さないよう徹底していた。


「……って、これは!」


 友一が何かを見つけたように足を止める。


 そのまま小走りで展示の一角へ向かい、目の前で立ち尽くした。


「……ああ」


 友一は見惚れているかのような感嘆の息を漏らす。


 俺も隣に並び、その理由を理解する。


「『顎髭』ですね」


 『顎髭』——それは友一が一番好きな漫画だ。


 子どもの頃から何十回も読み返しているらしく、この漫画展へ来た理由の半分はたぶんこの作品があるからだろう。


 俺も友一に勧められて最近読み始めたが、ここまで大規模に展示されるほどの人気作品だとは思っていなかった。


「ショ、ショウコさん……ゆ、夢じゃないですよね……? あ、あの『顎髭』が、こんな立派な展示になってるなんて……!」


 感動で、友一の指先が小さく震えている。


「現実ですよー友一さん。おお、いろんな名シーンがありますね。カイナが主人公をお姫様抱っこしているシーンとか……主人公がカイナを不良から助けるシーンとか」


 巨大な原画。立体で再現された名場面。


 どこを見てもファンにはたまらない展示ばかりだ。


「ほんとだ……!」


 友一は展示へ駆け寄る。


「ボク、このお姫様抱っこのシーン大好きなんですよ!初めて読んだ時、本当にキュンキュンして……このシーンでカイナにガチ恋しちゃったんですよねぇ」


 そして友一は思い出したようにスマホを取り出すと


「あ、写真撮らなきゃ!」


 パシャッパシャッ。


 夢中になって展示を撮り始めた。


 好きなものには、とことん真っ直ぐ。そんな友一の純粋さが俺は好きだった。

 普通はここまで一途にひとつのものを愛することなんてなかなか難しいものだ。


 ……本当なら俺も今日は女装なんてせず、翔気として隣で一緒に笑っていたはずなのに。


 そんな考えが胸をよぎった、その時だった。


「あっ!」


 友一の足がもつれた。


 写真に夢中になりすぎて床の段差に気づかなかったらしい。


 身体が前へ大きく傾く。


「危ない!」


 考えるより先に身体が動いていた。


 倒れ込んできた友一の背中へ腕を回す。

 同時に、床へぶつかりそうになった膝裏を、もう片方の腕で咄嗟に受け止めた。

 そのまま勢いを殺すように身体を起こす。気づいた時には、友一の身体を両腕で抱え上げていた。


 周囲の視線が一斉にこちらへ向く。


「……え」


 友一が呆然と目を瞬かせる。


 視線の先には、『顎髭』のお姫様抱っこの巨大な展示。


 そして……現実でも、友一は俺にお姫様抱っこされていた。


「……あ」


 友一の顔がみるみる赤く染まっていく。


 ——しまった。助けるだけのつもりだったのに。


 数秒、時間が止まったような沈黙が流れる。


「ご、ご、ごめんなさいっ!」


 真っ赤になった友一が慌てて声を上げた。


「す、すみません!」


 俺も慌てて友一を地面へ降ろす。


 二人とも視線を合わせられない。


 さっきまで賑やかだった空気が嘘のように静まり返っていた。


「……だ、大丈夫でしたか友一さん?」


 なんとか絞り出した言葉に


「は、はい……怪我はしてません」


 友一は小さく頷く。


 さっきまでキラキラしていた彼の目は、今度は羞恥心からか少し潤んでいた。


 ◯


 昼どきになり、俺たちは漫画展限定のコラボカフェへ入った。


 店内には作品の主題歌が静かに流れ、壁には人気キャラクターたちのイラストが飾られている。さっきまで展示を見て回っていた時なら、きっと友一は目を輝かせてはしゃいでいただろう。


 だが今は違った。


 向かい合って席に座り、それぞれ注文した料理を前にしているというのに、どちらもほとんど口を開かない。


 理由は明白だった。


 さっき、俺が友一をお姫様抱っこしてしまったからだ。


「「…………」」


 気まずい。


 友一はフォークで料理をつつきながら、ちらりと俺を見る。


 目が合った。


「っ」


 次の瞬間、慌てたように視線を逸らされる。


 ……やっぱり気にしてるよな。


 俺は小さく咳払いをすると、重くなった空気を変えようと口を開いた。


「りょ、料理、美味しそうですね」


 我ながらひどい話題選びだった。


「あ……は、はい!すごく美味しいです!」


 友一もぎこちなく笑顔を作る。


 けれど、その笑顔はどこか引きつっていて、さっきまで漫画の話であれほど楽しそうに笑っていた彼とはまるで別人だった。


 会話はそこで、また途切れた。


 少しの沈黙の後。


「……あの、さっきは本当すみません」


 このままではらちがあかないと考え、俺の方から謝罪の言葉を口にした。


「あんなに人がいるところでお姫様抱っこなんて……嫌でしたよね?」


 すると友一は動揺したような表情を見せた。


「……い、いや!そんな、謝らないでください……!ショウコさんはボクのことを助けようと動いてくれたわけで、悪いのは展示に夢中になっていたまぬけなボクの方で……!」


 気まずそうな俺をみて友一は慌てて弁明する。


「そ、それにお姫様抱っこ自体は別に嫌じゃなかったっていうか……!」


「え?」


 とそこまでまくし立てたところで友一はハッとしたような表情になり、口を押さえ固まる。


「……あ、いや……あの」


 自分の発言に気づいたのか口を塞いで、視線があちこちへ泳ぐ。


 少しの沈黙が落ちた。


 友一は何かを誤魔化すようにホットコーヒーへ口をつけ——


「あちっ!」


 小さな悲鳴を上げて慌ててカップを置いた。


「……ぷっ」


 思わず吹き出してしまう。


「あははっ、何してるんですか。猫舌なんですか?」


「ち、違います!ちょっと熱かっただけです!」


 むきになって言い返す友一がおかしくて、俺はまた笑ってしまう。


 それにつられるように、友一も少し照れくさそうに笑った。


 さっきまで二人の間に漂っていたぎこちない空気は、いつの間にかその笑顔に消えていた。


 ◯


 食事を終え、俺たちはトレーを脇へ寄せた。


 そろそろ会計へ向かおうと椅子を引いた、その時だった。


「それじゃあ、次は二階の少女漫画エリアにでも——」


 言葉の途中で、喉の奥に鋭い痛みが走った。


「……っ、けほっ」


 慌てて口元を押さえる。


「ショウコさん?」


「すみません。少しむせただけです」


 誤魔化すように笑う。


 だが、友一は心配そうにこちらを見つめたままだった。


「昨日より、声が掠れてませんか?」


「え」


 思わず身体が固まる。


「そ、そうですか?」


「はい。朝会った時から少し気になってたんですけど……」


 まずい。女声を出し続けていることに気づかれたか?


 背中に冷たい汗が滲む。


「もしかして、風邪ですか?」


「あ……ええ、まあ。少し喉の調子が悪くて」


 咄嗟に嘘をつく。


「だったら、あまり喋らない方がいいですよ」


「でも、せっかく一緒に来たのに——」


「駄目です」


 いつもより少し強い声で遮られた。


 友一は自分の鞄を開き、中を探り始める。


「確か、この辺に……あった」


 取り出したのは、小さな袋に入った喉飴だった。


「どうぞ」


「……いいんですか?」


「はい。ボク、喉が弱いからいつも持ち歩いてるんです」

 

 手のひらへ、一粒の飴が落とされる。


「それにショウコさん、ずっとボクの話に付き合ってくれてたじゃないですか」


 友一は少し照れくさそうに笑った。


「……」


「ボク、好きなものの話になると止まらなくなるから。たぶん、無理してたんじゃないですか?」


 違う。


 喉を痛めたのは友一のせいではない。


 こいつを騙すために、一晩中女声の練習をしたからだ。


 それなのに、友一は自分のせいだと思い、俺のことを心配している。


「だから、しばらくボク静かにします」


「それは……無理じゃないですか?」


「なっ、できますよ!」


「本当ですかー?」


「本当です!」


 むきになって言い返す友一に、思わず笑ってしまう。


「あははっ……けほっ」


「あっ、だ、大丈夫ですか」


「ふふ、友一さんが面白いことを言ったせいですよ」


「もう……」


 頬を膨らませる友一を見つめる。


 手のひらには、小さな飴。


 たったそれだけのものなのに、不思議なくらい温かく感じた。


 やっぱり、友一は優しい。


 俺が困っていれば手を貸してくれるし、落ち込んでいれば何も聞かず隣にいてくれる。


 そんなことは、ずっと前から知っていたはずだ。


 それなのに、ショウコとして向けられたその優しさは、どこか少しだけ違って見えた。


「……ショウコさん?」


 友一が不思議そうに俺の顔を覗き込む。


 距離が近い。


 整った顔が、思っていたよりもすぐ目の前にあった。


「……」


 一瞬だけ、言葉が出なかった。


「ど、どうかしました?」


「……いえ。何でもありません」


 慌てて視線を逸らす。


「本当ですか?顔、少し赤くないですか」


「カフェの中が暑いだけです」


 早口で答え、手のひらに乗った喉飴を口へ放り込む。


 優しい甘さが、ゆっくりと口の中へ広がった。


 ……なんだったんだ、今の。


 友一の顔なんて、昔から何度も見てきた。


 肩を組んだことだってあるし、ゲームをする時は狭い画面を二人で覗き込んで、顔が近づくことだって珍しくなかった。


 なのに、さっきだけ少し調子が狂った。


 ……いや、昨日から女装だの女声だので気を張りっぱなしだから、そのせいだ。


「ほら、会計へ行きましょう。まだ見ていない展示がありますから」


「あ、待ってください!」


 俺が先にレジへ向かうと、友一が慌てて追いかけてくる。


 口の中でもう一度、飴を転がす。


 先ほど感じた妙な違和感は、甘さに紛れて少しずつ薄れていった。


「今日は男のボクが払いますよ」


 レジへ着くなり、友一が財布を取り出して胸を張った。


「いえいえ、自分の分は自分で払いますよ」


「今日はボクばっかり喋ってたので、せめてこれくらいは!」


「それとこれとは別です」


「うぅ……」


 不満そうに頬を膨らませる友一がおかしくて、思わず笑みがこぼれる。


「じゃあ次に遊ぶ時は、ご馳走してください」


「……!」


 その一言に友一はぱっと表情を明るくした。


「はい!」


 元気よく頷く姿に笑いながら、俺もバッグから財布を取り出した。


 自分の分の会計を済ませ、財布を閉じようとした、その時だった。


「あれ?」


 友一の視線が、俺の手元で止まった。


「……どうかしました?」


「そのカード……◯◯高校の校章じゃないですか?」


「……え?」


 慌てて財布へ目を落とす。


 カード入れから、生徒証の端がわずかにはみ出していた。


 名前も写真も隠れている。


 けれど、隅に印刷された校章だけは、はっきりと見えていた。


「…………」


 血の気が引く。


 どうして生徒証を抜いておかなかった。


 服やメイクばかりに気を取られて、財布の中まで確認していなかった。


「ショウコさんって……もしかして、◯◯高校の生徒なんですか?」


「……ええ」


 ここで否定する方が不自然だ。


 俺は平静を装いながら、生徒証をそっと財布の奥へ押し込んだ。


「実はそうなんです」


「えぇっ!?」


 友一が思わず声を上げる。


 周囲の客がこちらを見ると、慌てて口元を押さえた。


「す、すみません……でもびっくりして……あの、ボクも◯◯高校なんです!」


 友一は興奮気味に身を乗り出した。


「まさかショウコさんが同じ学校だったなんて……すごい偶然!」


「まあ……そうですよね」


 額に薄く汗が滲む。


「何年生なんですか?」


 来た。


 当然の質問だ。


 一年生だと答えれば、クラスや担任、共通の知人の話になる。そうなれば、すぐに嘘が崩れる。


「……二年生です」


 咄嗟にそう答えた。


「先輩だったんですね!」


 友一は目を丸くしたあと、どこか納得したように頷いた。


「どうりで落ち着いてると思いました」


「そ、そうですか?」


「はい。なんというか、大人っぽいというか……頼りになるというか」


 屈託なく褒められ、別の意味で胸が痛む。


 落ち着いているのではない。


 正体が露見しないよう、必死で平静を装っているだけだ。


「でも、不思議ですね」


「何がですか?」


「同じ学校なのに、今まで一度も見たことがなかったから」


「……二年生の教室は階も違いますし、生徒も多いですから」


「でも、ショウコさんみたいに目立つ人なら、一度くらい見かけてもよさそうなのに……」


「ふ、普段はこういう格好をしていないので」


「あ、なるほど。それなら気づかないかもしれませんね」


 友一はあっさり納得したように笑った。


「学校でも、いつか会えるかもしれませんね」


「……そうですね」


 笑顔を作りながら答える。


 けれど、胸の奥では警鐘が鳴り続けていた。


 昨日までは、学校を離れればショウコでいられると思っていた。


 だが今ので、友一の中に新しい疑問が生まれてしまった。


 同じ学校にいるはずの、ショウコという二年生。


 存在しないはずの人間を、俺はまた一人作ってしまった。

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