余韻と嘘の味
ショウコと別れた帰り道。
頬に残る熱は、まだ消えてくれなかった。
彼女の笑顔が頭に浮かぶ。
涼しげな雰囲気とは裏腹に、どこか子供っぽい彼女の笑顔。
それは、小学生の頃にボクの初恋を奪ったカイナによく似ていた。
——この気持ちは、なんなんだろう。
昨日までのボクなら、考えるまでもなかった。
そんな甘酸っぱい感情は、ボクなんかには縁のない……漫画の世界だけのものだと思っていた。
でも今日ショウコに出会って、色んな話をして……分からなくなってしまった。
スマホを取り出す。
画面を開けば、昨日まではなかった名前が一つ増えている。
『ショウコ』
その文字を何となく眺めていると——。
ピコン。
「わっ」
突然メッセージが届いた。
『友一さん、今日はありがとうございました。一緒にお話しできて楽しかったです。
実は明日、漫画展というイベントに行く予定なんですけど、一緒に行くはずだった友達が急に来られなくなってしまって……。
もしよかったら、一緒に行きませんか?』
「え……」
思わずスマホを落としそうになった。
彼女から誘われた、それだけでも驚きなのに——。
「漫画展……?」
明日。その漫画展には、ボクも行く予定だった。
以前翔気を誘ったのだが、予定が合わないと言われてしまい、一人で行くことになっていた。
なのに彼女も同じ日に、同じ場所へ行くという。
「……そんなことある?」
出来すぎている。タイミングが良すぎないか?
まるでラブコメみたいに都合よく重なる偶然に、少しだけ奇妙なものを感じた。
「……」
——どうしよう。
男女が二人で漫画展に行くって……これって、ほとんどデートなんじゃないだろうか。
そう思った途端、さっきまで落ち着きかけていた頬がまた熱くなる。
「……いやいや」
ただ漫画を見に行くだけだ。
そもそも彼女だって、たまたま一緒に行く相手がいなくなったからボクを誘っただけで他意はないはず——
彼女の顔が頭に浮かぶ。
もし断ったら、次にいつ会えるか分からない。
画面に表示された『ショウコ』の名前を見つめる。
それに……やっぱり、もう一度彼女に会いたかった。
会って話せば、自分の中に生まれたこの気持ちが何なのか、少しは分かるかもしれない。
ボクは少しだけ迷ってから、返事を打ち込んだ。
『はい、ぜひ行きたいです!』
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。
◯
翔気の家。
家に帰ると、俺は速攻で女装を脱ぎ、風呂に入った。
一日中かいた汗を、お湯で洗い流す。
特にウィッグで蒸れきった頭は、念入りに洗った。
「つかれた……」
自然と漏れた声は、ひどくガラガラに掠れていた。
いかんせん、俺はもともと声が低い。
それなのに、無理に高い声を出し続けたせいで喉は焼けるように痛くなっていた。
カイナの見た目なら多少低めの声でも違和感がなかったのは救いだったが、それでも負担は大きかった。
後でトローチを舐めておこう。
「ふう……」
風呂を出ていつもの格好へ着替えると、そのまま自分の部屋のベッドへ飛び込んだ。
身体が布団に沈んだ途端、今日一日の緊張と寝不足が一気に押し寄せてくる。
瞼が重い。
昨日、愛の家から帰ったあと、俺は『顎髭』を何度も読み返していた。
鼬重カイナというキャラクターを再現するためだ。
仕草や表情、言葉遣いはもちろん、作中でカイナが愛用している香水まで用意した。
声に関しても、昨夜はほとんど眠らず練習した。
今まで出したことのない声を長時間出し続けるのは、想像以上にきつい。
それでも、灯子を助けるために妥協はできなかった。
おかげで少なくとも女装だと見破られることはなかった。
初日の仕上がりとしては、充分に及第点だろう。
「……」
スマホを開く。
さっき送ったメッセージには、もう返信が来ていた。
『はい、ぜひ行きたいです!』
「……よし」
明日も会える。嫌われてはいない。それどころか、誘いにもすぐ乗ってくれた。
順調だ。
ショウコとしてなら、友一に近づける。
翔気のままでは踏み込めない場所にも、踏み込める。
俺が翔気であることさえ知られなければ、今までの関係だって壊さずに済む。
だから友一を攻略するという今回に限っていえば、最善策と呼んでもいいだろう。
「……はあ」
そう考えてから、少し引っかかった。
最善策……か。
頭に浮かんだのは、これまで友一と過ごしてきた日常だった。
毎日、漫画やアニメの話をした。学校帰りにはマックや本屋に寄った。休日には、どちらかの家へ遊びに行ってゲームをした。
どれも、ありふれたことだ。
それでも俺にとっては、間違いなく充実した時間だった。友一は、そんな日々を一緒に過ごしてきた親友だ。
なのに俺は、そんなあいつを騙して——。
「……」
無意識に拳を握る。爪が手のひらに食い込んだ。
「……仕方ないんだ」
小さく呟く。
これは、灯子の命がかかっていることなんだから。俺がやらなきゃ彼女は死んでしまうんだから——。
「……仕方ないはずなんだ」
自分へ言い聞かせるように、何度も言葉を反芻する。
視線の先。
枕元には、黒色のウィッグが無造作に置かれていた。
今日一日、俺をショウコにしてくれたもの。
それを見つめていると、胸の奥が妙にざらついた。
俺は何かから逃げるようにスマホを手に取り、YouTubeを開いた。
次々と流れてくる動画を、内容も頭に入らないまま眺め続ける。
一本。
二本。
三本。
何を見たのか、ほとんど覚えていない。
ただ気がついた時には、俺はスマホを握ったまま眠りに落ちていた。




