女装と予感
◯17日目(土曜日)
「あつ……」
もう10月だというのに駅前はジリジリと照りつける日差しのせいで、まるでサウナのようだった。
自販機で買った水を一気に飲み込む。
だけどそんな暑さの中なのに翔気とのトーク画面を見ると、自然と頬が緩んだ。
今日は彼とひさびさに遊ぶのだ。
浮田翔気——高校に入って初めてできた友達。まだ出会って半年も経っていないがボクは彼のことをとても好いている。
彼は趣味も合うし、馬も合うし、好きな漫画も似ていた。
何よりボクの容姿のことをとやかく言わないところが安心できた。
昨日突然誘われたのはびっくりしたが、ひさびさに彼と遊ぶことにいまは胸が高鳴っている。
予定の時間までにはまだ少し猶予があるが、既に待ち合わせ場所に来てしまっていた。
……今日は何して遊ぼう?ゲーセンかな、カラオケかな、アニメイトは絶対行くでしょ?
えーっと後は後は……
『LINEっ♪』
頭の中で妄想を繰り広げているとスマホが鳴った。
翔気からかと思いニコニコで画面を見るが、ボクはそこに書いてあった文章に思わずフリーズした。
『ごめん。急用が入って今日行けなくなった。』
2度、3度それを読み直してみるも、メッセージが1文字たりと変わることはなかった。
そしてその内容を理解した瞬間。
「……はあ」
思わず息が漏れた。さっきまで賑やかに見えていた駅前が、少しだけ静かになった気がした。
翔気はそんな簡単にドタキャンするほど不誠実な性格ではないことくらい知っている。だから今回はよほどの急用なのだろう。
そう頭では理解している……理解しているけど。
「……楽しみにしてたのにな」
小さく漏れた独り言は、人混みの中へ消えていった。
強がるように、いつも通りの調子でメッセージを打ち込む。
『今度マック奢ってo(`ω´ )o』
送信してスマホをポケットに突っ込んだ。
◯
ベンチに座ってなんとなく時間を潰す。
突然予定がなくなってしまい、手持ち無沙汰になってしまった。
家に帰るのがいいんだろうけど、せっかく駅に来たのだから何かしたい気もする。
「まったく、翔気め」
そうして何をするでもなく、ただぼーっと人の行き交いを見つめていたそのとき、突然後ろから声をかけられた。
「すみません……ちょっといいですか?」
「え、あ、はい」
振り向くと同時に息を呑んだ。
力強さのある切れ長の目、ぷっくりとしたピンク色の唇、スッと通った高い鼻。
赤と黒を基調としたジャケットを着こなしたパンクロックな風体。
サラリと流れた黒い長髪からは花のような香りがした。
「……え」
その姿はまるで『顎髭』に出てくる鼬重カイナだった。
思わず見惚れてしまう。
「あの……どうかしましたか?」
目の前の女の人は突然固まったボクを見て少し不安そうな、申し訳なさそうな顔をした。
「いや、す、すみません……ちょっとびっくりして……何でしょうか?」
慌てて視線を逸らす。
「これ、落としましたよね?」
そう言うと彼女は脇から漫画本を一冊差し出してきた。
「え、顎髭?」
表紙を見て思わず目を丸くする。
それはボクのお気に入りの漫画である『顎髭が似合う頃には君なんて忘れているから』の第1巻であった。
なぜこんなところに……というかそれより落としたってどういうことだろうか。
別にボクは『顎髭』の1巻を常備しているわけではないのだが。
「えっと……それたぶんボクのじゃないと——」
「あ、違いました?」
彼女は少し困ったように笑った。
「すみません。さっきベンチの近くに落ちてたから、てっきり」
「いえ、大丈夫です」
そこで彼女は表紙へ視線を落とす。
「……でも、これを顎髭って略すってことは……もしかして好きだったりします?」
「え……ああ好きですけど……」
彼女は嬉しそうに目を細めた。
「そうなんですか?お……じゃなくて、私も好きなんですよ。名作なのに、読んでる人あんまりいませんよね」
同志を見つけたということが嬉しいのだろう、太陽のような笑顔を浮かべた。
「ま、まあ結構描写は万人受けしないですもんね」
「ですよね、でもそこがいいっていうか……私、主人公があえてヒロインのメレーナを振ったシーンとか好きなんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、いままでの緊張は吹き飛びボクのオタクスイッチが入った。
「そうなんですよ!あそこでメレーナを振るからこそ、主人公の誠実さがちゃんと伝わるっていうのに、ネットでは『あそこで振るのはないわ』とかいうコメントばっかりで……」
そこまで言って、ハッとした。
まずい……今までこのシーンの良さを分かってくれる人が翔気しかいなかったせいで、つい初対面の相手だというのに熱弁してしまった。
「す、すみません……ボク、つい」
慌てて頭を下げる。
けれど彼女は引くどころか、楽しそうに笑った。
「あはは、大丈夫ですよ。本当に好きなんですね、『顎髭』」
「……はい。子どもの頃から、ずっと好きで」
「分かります。私も『顎髭』が1番好きなラブコメなんですよ」
彼女はそう言いながら、手に持った漫画へ視線を落とした。
「メレーナの話もそうですけど、私、14巻のラストも好きなんです。あそこ、どう思いました?」
「え、14巻のラストですか。いいですよね、確か——」
言いかけたところで、駅前の時計が目に入った。
もうすぐ昼時だった。
彼女も同じものを見たらしく、少し困ったように笑う。
「……ここで立ち話もなんですね」
彼女は辺りを見回し、それから少し先の通りを指さした。
「この近くに、落ち着いて話せるカフェがあるんです。私ちょうどお昼を食べようと思っていたんですけど……」
一度、こちらの顔色を窺うように言葉を切る。
「よかったら、一緒にどうですか?」
「え……」
「あ、もちろん断っていただいても大丈夫ですよ。急に知らない人と食事なんて、嫌でしょうし」
彼女は少し慌てたように手を振った。
「でも本当、ただ……もう少しあなたと『顎髭』の話をしてみたいなって思っただけなんです」
「……もう少し」
思わず、その言葉を小さく繰り返した。
「……は、はい。ボクでよければ」
気づくと自然と口が動いていた。
そう答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
なぜだろう。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がほんの少しだけくすぐったくなった。
◯
彼女に連れられたカフェは前に一回翔気と来たことがある場所だった。
よく分からない英語のコーヒーを注文して、日の当たらないテーブル席に腰掛ける。
……普段のボクなら初対面の人にカフェに誘わられたとしても来ないだろう。
でも今日は彼女に惹かれてのこのことここまで来てしまった。
……怪しい勧誘とかだったらどうしよう。
今になって少し不安感が芽生え始めた。
「……もしかして緊張してます?」
すると彼女はそんなボクを見透かしたように声をかけてきた。
「って当たり前か、こんな変な人に急にカフェ誘われて、緊張しない方がおかしいですもんね」
「……」
彼女はズズッとコーヒーを一口啜る。
「……いま『自覚あったんだ』とか思いました?」
「へ!?い、いやそんなこと!」
慌てて否定するボクを見て彼女はクスクスと笑った。
そんな彼女につられて、ボクも少し照れくさく笑った。
少しだけ緊張が取れた気がした。
「あ、あのそういえばお名前なんていうんですか?ボクは早乙女友一です」
注文したコーヒーに角砂糖をぽちゃんと落としながら、おずおずと聞いた。
「ああ私は翔……」
そこまで言いかけ、彼女は突然固まった。
「翔……?」
「えー、えーと……しょ!ショウコ!ショウコです!……そ、そんなことより顎髭で1番好きなシーンはどこですか!?」
そう言って彼女は誤魔化すように話を逸らした。
少し違和感を感じたが、その後ボクたちは『顎髭』の話で盛り上がった。
もちろん最初は緊張してあまり話せなかったが、彼女が好きな漫画やアニメがことごとくボクの趣味と合っていて、だんだんと口が緩くなっていったのだ。
「え!じゃあ『魔王終焉録』も読んでるんですか?」
「もちろんです。私はレイよりグレン派ですね」
「ああっ!分かります!」
思わず机を叩いてしまう。
「グレンってネットだと『優柔不断』とか『主人公補正で生きてるだけ』とか言われますけど、あれ全部責任感から来てるだけなんですよ!」
「ですよね、ちゃんと読んでれば分かるんですけどね」
「そう!ちゃんと読んでれば!」
気付けば初対面ということも忘れて夢中で話していた。
こんなに話が噛み合う人なんて翔気以外で初めてかもしれない。
「ふふ」
彼女はコーヒーカップを口元まで運びながら、小さく笑う。
「友一さんって本当に漫画好きなんですね」
「え?」
「さっきから目がキラキラしてますよ」
「え、あっ……」
急に恥ずかしくなる。
「す、すみません……ボクまた一人で喋っちゃって」
「いえいえ」
彼女は首を横に振った。
「私好きなことを話してる人を見るの、結構好きなんです。」
「……」
その一言だけで、不思議と肩の力が抜けた。
今までだって趣味の話はしてきた。でも、ここまで真面目に聞いてくれる人は少なかった。
彼女はそんなボクを見てにこやかに言った。
「あの、もしよかったら私と友達になってくれませんか?」
「え、友達……?」
「はい……友一さんとは趣味も合うし、話もはずむし……ダメでしょうか?」
「友達」という言葉に過去を思い出し、胸がキュッとしまった。
「……ショウコさん、ひとつだけいいですか?」
「ん?どうしました?」
「……あの、実はボク男なんです」
たぶん彼女がこんなにフレンドリーに話しかけてくれているのはボクを女だと思っているからだろう。
ボクは昔からよく女子に見間違えられる容姿、声だった。
「最初に会ったときに言えなくてすみません」
……彼女はボクが男だと知っていったいどんな反応をするんだろう。やはりがっかりするのだろうか。
不安感から目を逸らしてしまう。
すると彼女は
「そうなんですね、意外でした」
特に気にした様子もない、そのあっけらかんとした回答に目を丸くする。
「『そうなんですね』って、えそれだけですか?」
今までボクが男だと知った人はほとんど全員態度が変わっていった。
別にいきなり「騙してたな!」とか怒られたり、ドン引かれたりするわけではない。
ただなんとなく、バツの悪そうな雰囲気が生まれて……だんだんと距離が遠くなっていくのだ。
……でも彼女の態度はさっきと全く変わらなかった。
その予想外の反応に困惑してしまう。
「その……男なのにこんな見た目で……引いたりとかしないんですか?」
恐る恐る聞いた。
「……いや、友達になりたいって思ったなら性別とかどうでもよくないですか?」
その言葉で過去の記憶が蘇った。
——性別とかどうでもよくない?俺が早乙女と友達になりたいって思ったんだからさ——
それは4月に翔気と初めて会った日に言われた言葉と同じだった。
いままで性別で判断されてきたボクを初めて「早乙女友一」という個人として見てくれた彼と同じ言葉だった。
胸がじんわりと熱くなる。
「あーそれともダメでした?やっぱり初対面でいきなり友達は——」
「い、いや!違います!ちょっとびっくりしただけっていうか……!その……ボクも話してて楽しいし、なりたいです……友達」
慌てた様子のボクを見て彼女は安心したように笑った。
「ふふ、よかったです」
なぜかその彼女の笑顔をボクは直視できなかった。
「……じゃあ連絡先交換しましょう?友一さん」
「そ、そうですね……LINEならやってるんで……」
そう言ってスマホを取り出す。
友達追加なんて実に半年ぶりなので、やり方を思い出せず少しあたふたしてしまった。
「……LINE」
すると彼女は、なぜかぴたりと動きを止めた。
「ショウコさん?」
「あ、あー……」
何かを考えるように視線を泳がせる。
「あ、あの……LINEじゃなくて……その……インスタ……もダメか……あ!Discord!Discord交換しませんか!?」
「Discord……ですか?……なんでわざわざ?」
すると彼女は「……あー」とバツの悪そうな顔をした。
「えっと……わ、私LINEとかインスタ苦手でぇ……その……Discordしか連絡手段もってないっていうかあ……」
「そうなんですか?」
慌てる彼女に少し違和感を覚える。
今どきLINEやってない高校生なんているのだろうか……?
「は、はい。なのでDiscordで」
「……その、すみません、ボクDiscordやってなくて」
「じゃあ今作りましょう」
「今!?」
思わず声を上げる。
彼女は何でもないことのように頷いた。
「すぐ作れますよ。ほ、ほら、アプリ入れて」
「え、えぇ……」
そうして勢いに押されるまま、言われた通りDiscordをインストールしてしまった。
「えっと……これでいいんですか?」
「はいはい。次ここ押して……」
ショウコさんに教えてもらいながらアカウントを作っていく。
それから数分後。
ボクのスマホの画面には、新しく一人だけフレンドが追加されていた。
『ショウコ』
「……できました」
「よ、よおし、これでいつでも連絡できますね」
「……はい」
彼女はまた安心したように笑う。
その顔を見た瞬間、ボクもまた少しだけ胸が熱くなった。
こうしてボクのスマホには、新しく『ショウコ』という名前が増えた。




