電マ
放課後
見慣れた街を歩いていた。しかし目的地は俺の家ではない、愛の家だ。
昨日女装を手伝ってほしいとLINEをして、今日学校終わりに集まることになったのだ。
事前にLINEで送ってもらった地図を頼りにして愛の家についた。そこは特に何の変哲もない一軒家だった。
スマホをの時計を見ると予定の時間より早い。
「早く来すぎたかな……」
本当は灯子の見舞いを済ませてから来る予定だった。だが病院へ行くと、検査がひと通り終わるまでは面会できないと言われてしまったのだ。
少し緊張する手でインターフォンを鳴らす。
……反応がない。
留守かと思ったその時だった。
ドタドタドタッ!!
二階から慌ただしく駆け下りてくる音が響く。
何かが倒れる音。
「ちょ、ちょっと待っ——」
小さくそんな声が聞こえた気がした。
数秒後、勢いよく玄関のドアが開く。
「……はぁ、はぁ」
息を切らした愛が立っていた。
少し髪が乱れているし、なんだか妙に顔が火照っている気がする。
「どうしたの、なんか運動でもしてた?」
「は!?……い、いやちょっと部屋片付けてただけ」
「へえ」
まあ女の子だし、部屋に人を呼ぶなら片付けたくもなるか。
「……なに」
「いや、律儀だなって」
「ま、まあね……てか来るって言ってた時間より早くない?」
「ああ、ちょっと用事あったんだけど無くなったんだよ。ごめん、早く着きそうって連絡すればよかったね」
「いや……ま、まあ、とりあえず上がりなよ」
なんだか曖昧な感じで返され、俺は二階にある愛の部屋へ案内された。
そこはコスメやぬいぐるみが多くある部屋で、普段の彼女とは少しイメージの違うふわふわとした印象を受けた。
小さな丸テーブルには既にコップが二つ置かれていた。
「はい、お茶」
「ありがとう」
「……熱いから気を付けなよ」
どこか落ち着かない様子でそう言うと、愛はベッドの上へ腰掛けた。
ちらちらと俺の反応を窺っている。
「どうかした?」
「……別に」
そう言いながらも、指先でクッションの端をいじっていた。
普段の愛ならこんな仕草はしない。
「……もしかして緊張してる?」
「は!?してないから!」
愛は耳を赤くして即座に反論する。
「でもさっきからなんか顔が赤いし……」
「う、うっさい……こっち見ないで」
そう言うとそっぽを向いてしまった。
「とにかく緊張なんかしてないから……!」
「あはは、そうなんだ、やっぱ愛ちゃんは大人だね。俺は結構緊張しちゃってるんだけど……」
俺は高校では彼女がいたことないので、こういう女子の部屋は初めてで少しむず痒いのだ。
「……え?」
愛がぴくりと肩を震わせる。
「翔気……緊張してるの?」
「ああ、そりゃするよ」
俺が苦笑すると、愛は一瞬だけ目を丸くした。
そして視線を逸らし、髪を指へくるくる巻き付けながら、小さく口元を緩める。
「へ、へぇ翔気はしてるんだ……ふぅん」
どこか嬉しそうに頬を緩めた。
◯
「ねぇ、昨日のLINE本気?」
「ああ本気だ、俺は文化祭で女装する」
俺は昨日彼女にLINEで女装したい旨を伝えた。一応の理由としては文化祭で使うからということにしてある。
友一を落とすために女装したいとは言えないしな。
「いや、まあそれは勝手にすればとは思うんだけど……なんでアタシを頼るのよ」
「愛ちゃんはファッションデザイナー目指してるじゃん?だから女子のファッションとかメイクとか詳しいんじゃと思って」
「いや文化祭でそんな高クオリティにする必要ある?ドンキの女装セットで充分でしょ」
「俺は完璧主義者だからね」
そう言って胸を張る。
昨日俺なりに艶事主命のアドバイスを解釈してみたが、たぶん愛をファッション担当として頼れということなのだろう。
彼女はため息をつく。
「まあ、仕方ないから適当に見繕ってあげたけど。なに?なんか希望とかあるわけ?」
「え、うーん女子っぽい感じとか?」
「女子っぽい感じ……ね、ちょっと待って」
愛は自分の部屋のタンスを「うーん、これかな」「あ!これいいじゃん」と言いながら物色し始めた。
その様子を自然と目で追ってしまう。
最初は腑に落ちない様子だったが、彼女は結局なんだかんだで協力してくれる。
……本当俺にはもったいないくらい優しい子だ。
スマホと服を見比べながら楽しそうに服を選ぶ姿に、自然と頬が緩んだ。
「……何笑ってんの?」
そんな俺に気づき愛は怪訝そうな表情を見せる。
「あ、ああごめん……なんかすごい楽しそうだなって」
「そう?」
愛はきょとんとした顔をすると、自分の頬にそっと手を当てた。
どうやら自分では気づいていなかったらしい。
「愛ちゃんって、服のことになるとそんな顔するんだね」
照れ隠しなのか、ぷいっと顔を背ける。
「いいでしょ。服とかオシャレには、子供の頃からずっと憧れてたんだから。」
そう呟く声は、どこか誇らしげだった。
夢……というやつか。
その横顔を見ていると、また自然と頬が緩んだ。
◯
愛はタンスから数着の服を取り出すと、ベッドの上へ並べ始めた。
「女子っぽいって言ったら無難にこれかな」
差し出されたのは、白を基調としたふわりとしたブラウスに、淡いピンクのスカート。どこか雑誌のモデルが着ていそうな、いわゆる王道の”可愛い女の子”という服装だった。
「これ着てみて」
「あ、うん」
言われるがままに服を受け取り、着替え始める。
服を着て、ウィッグを被り、愛に言われるまま軽くメイクも施してもらう。
「……よし」
最後に肩をぽんと叩かれ、恐る恐る鏡の前へ立つ。
「…………」
「…………」
俺も愛も、何も言わなかった。鏡の中には確かに女装した俺が映っている。
だが、それだけだった。
服だけが浮いている。可愛い服に、可愛くなりきれていない俺。
無理をしているような違和感が拭えない。
「……なんか似合ってなくない?」
「まあ文化祭ならこれくらいでもいいでしょ?」
愛は肩を竦める。
「遠目で見れば普通に女子っぽいし」
「いや……」
遠目から見て女子っぽいだけではダメだ。それは逆に言えば近くで見たら男子ということなのだから。
女子として友一と接するなら最低限、男子とバレない程度のクオリティは欲しい。
「もっと何とかならないかな」
「そんなに拘る?」
「ああ」
俺は鏡から目を離さないまま頷く。
「中途半端じゃダメなんだ」
神様のことは話せない。友一のことも話せない。
だけど、この一週間だけは絶対に失敗できない。
そんな焦りだけが胸の奥で膨らんでいた。
愛はしばらく俺の顔を見つめ、それから鏡へ視線を移した。
「……うーん、じゃあこれとか?」
それから俺は小一時間ほど色んな服を試した。
花柄のスカート。肩の開いたニット。果てには、なぜかタンスの奥に眠っていたメイド服まで着せられた。
しかし結局、どれを着ても結果は似たようなものだった。
女の服を着ていることは分かる。化粧もウィッグも、それなりに形にはなっている。
なのに鏡の中の俺からは、無理に可愛らしく見せようとしているような違和感が消えなかった。
「……駄目だな」
何度目か分からない着替えを終え、俺はベッドへ腰を下ろした。
愛も同じことを感じているのか、鏡の中の俺を黙って見つめていた。
さっきまで楽しそうに服を選んでいた表情は消えている。顎に手を当て、俺の顔と身体を上から下まで何度も見比べていた。
「アンタって、可愛い系じゃダメかもね」
「え?」
「人にはそれぞれ似合う服ってのがあって……アンタはそういう可愛い系統が似合う顔じゃないの。目元とか結構キリッとしてるし、顔立ちも整ってるし。どっちかって言うと、カッコいい系の顔——」
そこまで言って、愛はハッとしたように口を閉じた。
褐色の頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「カッコいいって……照れるな」
「て、照れんな!ぶ、分析しただけだから!」
愛は慌てて顔を背けた。頬だけでなく、耳まで赤くなっている。
その分かりやすい反応に、思わず笑ってしまう。
その時だった。
——そのパンクロックなカッコいいファッションに一目惚れだったんだ——
愛のカッコいい系という言葉に、ふと昼休みのとき友一が言っていた言葉が頭の中に蘇ってきた。
それと同時に、友一の初恋だという鼬重カイナの姿が頭に浮かんだ。
「……もしかして」
今まで俺は女装といえば可愛い系だという固定観念があったが、それは少し違うのかもしれない。
これはただの女装ではなく、友一を落とすための女装だ。ならただ女に見えるだけでは足りない。友一が本当に惹かれる姿を目指すべきなのではないか?
例えばそう……カイナ……とか。
「どうしたの?」
「ちょっと待って」
『顎髭』の電子書籍を開き、第26巻の表紙を表示する。
そこには革ジャンを羽織り、鋭い目つきで立つ鼬重カイナの姿があった。
スマホを愛へ差し出す。
愛は画面へ目を落とした。
次に俺の顔を見る。
もう一度カイナを見てから、わずかに目を見開いた。
「……ああ、なるほど」
「できそう?」
「まあ……できると思う。ていうか、なんで最初にこれ見せなかったの?」
「今思いついたから」
「先に自分が何になりたいかくらい決めときなさいよ……」
呆れた声とは裏腹に、愛の目には再び光が戻っていた。
画面と俺を見比べながら、頭の中で新しい服装を組み立てているのだろう。先ほどまでの迷いは、もうどこにも見えない。
「うん……確かにアンタはこっちの方が絶対に似合うかも」
「じゃあお願い!」
「はいはい。じゃあまずそれ全部脱いで。メイクも一回やり直すから」
愛は立ち上がると、今度は迷うことなくタンスの奥へ手を伸ばした。
◯
30分後。
黒のレザージャケットをラフに羽織り、その下にはダークカラーのプリントTシャツ。
赤と黒のチェック柄スカートが揺れ、足元は厚底ブーツ。
その姿はまるでパンクロックバンドのメンバーのようだった。
思わず鏡を見たまま固まる。
……誰だ、これ。
そこに映っていたのは、俺ではなく、下北沢にいるバンド女子そのものだった。
「すご……」
愛もしばらく言葉を失っていた。
「……ちょっと意味わかんないんだけど」
「え?」
「なんでそんな似合ってんの?」
少し不満気に俺の顔を見る。
白く整えられた肌に、切れ長の目元。薄く整えられた眉と、肩まで流れるさらさらの黒髪。普段の自分の面影は、探さなければ見つからないほど薄くなっていた。
「コスメとかウィッグとかだいたいのもんはうちにあったけど、ここまで似合うのはアンタの元々の才能だね……なんか悔しい」
そう言われると少し照れ臭い。
やはり無理に可愛い系を目指すよりも、カイナのようなカッコいい系に寄せた方が、俺には合っていたようだ。
「……んでこれで満足?」
「うん、ありがとう!大満足だよ!」
きっと……いや絶対に俺1人じゃこんなレベルの女装などできなかっただろう。
しみじみと感謝である。
「んじゃ、そろそろ片付けしないとね……服はアタシ畳んどくからアンタは散らばってるコスメ片付けて」
そういえばなんだかんだもう19時だ、もうそろそろ帰って夕飯の準備しないとな。
そうして俺たちは2人で片付けを始めた。
ファンデーション、コンシーラー、チーク、今の今まで知らなかったのに今日一日で随分詳しくなったものだ。
慣れない化粧品を仕分けているうちに、指先からコンシーラーを滑らせてしまった。
落ちたコンシーラーはコロコロとベッド下に吸い込まれて行った。
「あ、やべ」
取り出そうとベッドの下を覗き込むが真っ暗で何も見えない。
「あれ、どこだ……」
とりあえず手を突っ込み掴む。すると指先に何か固いものが触れた。
……なんだ?この感触、冷たくて、硬くて……長いな。
「よ……っと」
とりあえずで取り出したそれをまじまじと見つめる。
細長い円筒形をベースに、一方の先端が丸く膨らみ、反対側が持ち手として細く伸びた、流線形の形をしている。
そう、いわゆるこれは電動マッサージ機だ。
……まずい。
そう思った瞬間、愛がこちらを向いた。
「翔気ー終わったー?」
「え!あ……うん!だいたい終わったよ!?」
咄嗟にそれをバッグへ放り込み、チャックを閉めた。
汗がダラダラと背中を伝う。
「……どうかした?」
「え!いやぁ!?別にどうもしてないよ!?」
「そう?」
不審そうな顔で彼女がこちらを見つめる。
「そうそうなんもないって!」
「……バッグになんか隠してる?」
彼女の鋭い視線が突き刺さった。
「隠してない隠してない!!」
「本当?」
「ほんとほんと!そ、それよりほら……あれ……そろそろき、着替えるから部屋1人にしてくれない?」
マシンガンのように早口になった俺を見て彼女はまだ不審そうな目をしていたが、最終的には「まあ、うん」と言い部屋を出て行った。
ドアがちゃんと閉まったのを確認し、俺はへなへなと床にへたり込んだ。
「あ、危なかった」
なんとかバレずに済んだ。
隠していた電マをバッグから取り出す。
元に戻さなければとは思うが、ついその白い棒をまじまじと見つめてしまう。
「これって……そういうこと、だよな」
ごくりと唾を飲み込む。
「……ッ」
パンッ
俺は頬を叩き意識を戻した。
いかんぞ浮田翔気、そういうの考えるのは今じゃない!友一の件が最優先だろう?
邪な考えを振り払い、俺は電マをベッドの下へ戻そうと身をかがめる。
「……よし」
腕を伸ばす。
もう少し、あと数センチ。
「……届かないな」
もう一歩だけ身体を乗り出す。するとゴンと頭をベッドに打ってしまった。
「ったあ……」
痛みに顔をしかめながら、ベッドの下から身体を引き抜いた。その瞬間だった。
バンッ!!
勢いよく部屋のドアが開いた。
「しょ、翔気!!言うの忘れてたけど絶対にベッドの下は見な……」
突然の声に俺は思わず電マを握ったまま勢いよく振り返ってしまった。
まるで証拠品でも掲げるように、右手を胸元まで持ち上げて。
愛の言葉が止まる。
視線が俺の右手へ吸い寄せられた。
「……」
「……」
世界から、音が消えた。
時間にしては数秒だったのだろうが感覚的には無限の時が流れていた気がする。
見ると彼女の顔はみるみるうちに真っ赤になっていき、俺の手から勢いよく電マを取り上げた。
その様子を見て俺は咄嗟にフォローしなければと口を開く。
「あ、あの……俺は何も見てな……」
「ち、違うから」
しかし愛が小さな声で俺の言葉を遮る。
肩はわなわなと震えており、瞳は少し涙ぐんでいた。
「これは……その……違うから!最近か、肩とか凝ってたから買っただけで……ア、アタシそういうことしたことないから!!」
そう勢いよく捲し立てるとドアをバタンと閉め、愛はどこかへ逃げていった。
部屋には静寂だけが残った。
◯
家に帰り、愛に貸してもらった服を見つめる。
女装の準備は、このくらいが限界だろう。
一週間という制限がある以上、これ以上時間をかけてはいられない。
友一と早く付き合うために女装するというのに、その女装の準備のせいで付き合うのが遅れるのでは本末転倒というものだ。
愛の協力で、女装の完成度は自分でも驚くほど高くなった。
きっと明日、この姿で友一の前に現れても、俺だとは気づかれない。
一つため息を吐き、スマホを手に取る。
なら……次にすべきことは、もう決まっていた。
LINEを開き、友一とのトーク画面を表示する。
『友一、明日遊ばね?』
送信すると、10分程度で既読がついた。
『本当?なんか久しぶりだね遊ぶの!』
『ボクもちょうど翔気と遊びたいと思ってたし、いいよ!』
『いつもの駅前でいい?』
立て続けに届くメッセージ。
画面の向こうで嬉しそうに笑う友一の顔が浮かんだ。
『じゃあ11時に』
『うん!楽しみにしてる!』
俺はしばらくその文字を見つめてから、スマホの画面を伏せた。




