2人の彼女の想い
休み時間
周りのクラスメイトは友達と集まったり、次の授業の準備をしていたりするが、アタシは1人自分の机で本を読んでいた。
1週間前の田辺との件で友達がいなくなり暇になってしまったアタシは、最近休み時間には翔気に貸してもらった本を読むことが日課になっていた。
と言っても難しい文学作品とかではなく、高校生同士の恋を描いた、ごく普通の恋愛小説だが。
ページをめくる。
主人公の男の子が、少し照れながらヒロインの手を恋人繋ぎで握る。彼女も恥ずかしそうに笑うが、そのまま自然に唇を重ねた。
「……いいな」
思わず小さく呟いてしまった。
小説の中の恋人たちは、当たり前のように「好き」と伝え合う、当たり前のように手を繋ぐ、当たり前のようにキスをする。
それが恋人なんだ、と言わんばかりに。
「はあ……」
対して現実はどうだ。
毎日昼休みに弁当を食べ合って、たまにデートして……それだけ。
いやまあそれでも楽しいは楽しいが、それではやっていることが友達と変わらないではないか。
ジロリと後方に座っている彼を見つめる。
友達と話している最中のようだ。話の内容は聞こえないが一緒に笑い合っている。
「——なんなの、もう」
付き合って一週間。
恋人繋ぎもまだしてないし、もちろんキスなんて一度もない。
翔気が照れ屋なことくらい知っている。
でも、だからってそれが何もしなくていい理由にはならない。
……それともアイツはいまの恋人関係で満足だとでも言うのか。
じんわりと胸に熱が広がる。
恋人なんだから、もっと恋人らしいことをしたい。
もっと近付きたい、もっと触れ合いたい、もっと彼の特別になりたい。
……そう思うのは、わがままなんだろうか。
そうして1人不満を募らせていると——
「ねぇ知ってる?うちの学校の伝説」
隣の席から女子二人の会話が聞こえてきた。
「伝説?なにそれ」
「文化祭の日にキスしたカップルは、永遠に結ばれるんだって」
「えー!なにそれ、めっちゃロマンチック!」
二人は楽しそうに笑い合う。
「じゃあ私も彼ピと文化祭でキスしよっかな」
『キス』『永遠に結ばれる』というワードにアタシのセンサーがピクリと反応した。
視線を再び後ろに向け、付き合って1週間経つというのにキスのひとつもしてこないヘタレの姿を見つめる。
正確にはそのヘタレの唇を見つめる。
「……ふん」
アタシは読んでいた本を閉じ、密かに文化祭の計画を練ることにした。
◯
放課後。
来週の月曜日に迫った文化祭を前に、文化祭実行委員の仕事は佳境を迎えていた。
各クラスから提出された資料を確認し、当日のタイムスケジュールを見直しやらなんやら、トラブルが起きないよう、細かな部分まで目を通さなければならない……のだが。
「翔気くぅん……」
左腕に、むにっと柔らかい感触が押しつけられる。
「好きですぅ……大好きですぅ……世界で一番超好きですぅ……」
隣で俺の腕に抱きついて離れない江蜜のせいで遅々として進んではいなかった。
「江蜜さん……その、ちょっと離れない?」
困り顔でそう言っても、彼女は首を横に振るばかりだった。
「やです」
即答だった。
「だって教室ではいちゃついちゃダメって言うじゃないですか。だから今くらいは補給しないと生きていけません」
「補給って……」
ぷくっと頬を膨らませながら、さらに腕へ抱きついてくる。
俺は愛にバレるわけにはいかないから教室じゃ江蜜とあまり関わらないようにしていた。
それの反動かなにか分からないが、いま江蜜はありえないくらい身体を密着させてきていた。
細い身体、制服越しに伝わる体温、そしてその慎ましやかな胸がむにゅ……と腕へ当たるたび、理性が少しずつ削られていく。
……近い近い近い
昨日付き合い始めたばかりとは思えない距離感だった。
DMで見せていたあすまるの甘えん坊な一面が、そのまま現実へ飛び出してきたようだった。
「翔気くんは嫌ですか?私とくっつくのは」
耳元で蕩けるような甘い声が囁かれる。
全身にぞわりと鳥肌が立った。ASMR配信者としての経験を存分に使っている。
「それとも……もっと生で密着したいんですか……?ふふ、いいですよ?翔気くんなら……ッてああ痛い痛いでふ!ほっぺ引っ張らないでくらさい!」
俺は自分の理性を守るため、黙って江蜜の頬をつまんだ。
「……もう、ひどいです翔気くん」
しばらくして解放された彼女は涙目で恨めしそうにこちらを見つめる。
だが仕方ない、付き合って1日目でそんな一線は越えるわけにはいかない。
……いやそもそも俺には一線を越える資格なんてないんだから絶対ダメだ。
「……ってあ、そうだ!これ忘れてました!」
すると突然江蜜は何か思いついたように顔を上げ、鞄から文化祭のパンフレットを取り出した。
「翔気くん、文化祭デートの計画立てましょう!」
「え?」
「ほら、このお化け屋敷とか絶対行きたいです!」
指がパンフレットの上をぴょんぴょん跳ねる。
「カジノも楽しそうですし、演劇も見たいし……あ、でもこのメイド喫茶は絶対ダメですよ?」
「いやなんで?」
思わず苦笑する。
こんな他愛ないやり取りが、少しだけくすぐったい。だが
「……っていうかさ」
俺はパンフレットへ目を落とし、満面の笑みを湛える彼女に少し遠慮がちに言う。
「当日は実行委員の仕事があるから、一緒には回れないと思うよ?」
その瞬間だった。
江蜜の笑顔が、ぴたりと止まる。
「……え」
目をぱちぱちと瞬かせる。
数秒の沈黙の後
「あ、あうあ……」
声にならない声を漏らし、机に崩れ去っていった。
「文化祭……デート……」
可愛い……そう思いつつも、同時になぜこんなことになっているのだとも思う。
昨日の夜、江蜜と正式に付き合えたときは結構しおらしくてこんな様子ではなかったのだが。
……いや、今までのあすまるを見るにこの江蜜が本来の感じなのかもしれない。
まあ元気ならそれに越したことはないんだが。
「ほら、顔上げて江蜜さん」
苦笑しながら声を掛ける。
「ゆうて文実の活動中なら会えるかもしれないし——」
「……江蜜」
「え?」
彼女は下を向きながらボソッと溢した。
「そろそろさん付けやめましょう?江蜜って呼んでください、そしたら起き上がれます」
なんだその設定は。
「いや、それいうなら江蜜さんだって敬語だし……あすまるのときは結構タメ口だったのに」
「それはそれ、これはこれです。い、いいから早く」
急かす声だけが少し上ずっていた。
俺は小さく息を吐く。
「……えっと」
一度言葉が止まる。ただ名前を呼ぶだけなのに、こうして場を改められると妙に照れくさい。
「……え、江蜜」
静かな教室に、その二文字が落ちた。
江蜜の肩が、ぴくりと震える。ゆっくりと顔を上げた彼女は、目を丸くしたまま動かなかった。
「……」
何か言おうとして、ぱくぱくと口が少し開く。でも、声にはならない。
彼女の頬が、じわりと赤く染まっていく。
「……江蜜?」
もう一度呼ぶと、彼女はようやく瞬きをした。
「……はい」
消え入りそうな返事だった。
さっきまで机に突っ伏して駄々をこねていた人とは思えないくらい、おとなしい。
恥ずかしそうに視線を伏せながら、それでも口元だけは少し緩んでいた。
「……起き上がれそう?」
そう尋ねると、江蜜はこくりと小さく頷く。
「……もう大丈夫です」
立ち上がって制服の裾を整える。まだ頬はほんのり赤いままだ。
その姿がなんだか可笑しくて、俺は思わず笑ってしまう。
「じゃあ仕事しよっか、江蜜」
「……はい」
今度は迷わず返事をする。その声はさっきより少しだけ弾んでいた。
「で、でも意外だったよ」
資料へ目を落としながら、このむず痒い空気を破るように俺は口を開いた。
「てっきり名前で呼ばれたいのかと思ってた」
シャーペンを動かしていた江蜜の手が、ぴたりと止まる。
「……名前……ですか」
少しだけ微笑んだ。
「実は私、亜瑠って呼ばれるより、江蜜って呼ばれる方が好きなんです」
「そうなんだ?」
意外だった。普通は名前で呼ばれる方が嬉しいものだと思っていたから。
江蜜は手元の資料から目を離し、窓の外へ視線を向ける。
「うちのお父さん、婿入りなんです」
「え?」
「だから江蜜は、お母さんの苗字なんですよ」
その言葉に、俺は思わず手を止めた。
彼女は懐かしそうに笑う。その笑顔は、どこか幼い少女のようだった。
「だから私、この苗字が好きなんです」
シャーペンをくるりと指で回す。
「江蜜って呼ばれると、お母さんと繋がれてる感じがするから……」
少し照れくさそうに笑う。
「変ですか?」
「……いや」
俺は静かに首を横へ振った。
「全然、変じゃない」
「えへへ、そうですか」
江蜜は嬉しそうに笑い、再び資料へ目を落とした。その横顔を見つめながら、胸の奥がじわりと痛む。
彼女にとって母親はどれほど大事な存在だったのだろう。
苗字を呼ばれるだけで思い出せるくらい、大切な人。きっと亡くなってしまった今でもその一つ一つの思い出が宝物に違いない。
だからこそ心に影が差した。
あの夜、俺はそんな母親との思い出であるアスマルの花を……
「どうかしましたか?」
気づくと江蜜は不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
俺は頭を振り
「……いや、なんでもない」
それだけ言った。
◆◆◆大事なお知らせ◆◆◆
1話1話のクオリティを維持するため、誠に勝手ながら明日『第37話 神様は今日も無茶ぶり』を上げた後、毎日更新から2〜3日に1回の更新に変更したいと思います。
毎日更新を楽しみにしてくださっていた読者様には大変申し訳なく思っております。
必ず完結しますので、これからもこの作品を長い目で見守ってくださると幸いです。




