電子の告白
目が覚めると時刻は21時を回っていた。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
泣き疲れて意識を失ったのだろうか。身体は鉛のように重く、まぶたも腫れていた。
誰もいない静かな家はまるで世界に自分しかいない錯覚を起こさせ、孤独感を助長する。
散乱したティッシュやペットボトルをぼんやり眺めながら部屋を歩く。
気づけば私はパソコンの前に座り、いつものようにマイクを繋いでいた。
もう身体が覚えてしまっている。
マイクの位置を調整し、オーディオインターフェースの電源を入れ、仮面を手に取る。
その一つ一つの動作が、何百回も繰り返してきたルーティンだった。
もしかしたら昨日のことは気のせいだったのかもしれない。
震える指で配信開始ボタンを押す。
「こ、こんばんは!えへへ、昨日はごめんね、ちょっと機材トラブルでさ変なこと言ったように聞こえたかも……」
返事を待つ。
いつもなら『こんばんは』とか『今日も疲れたー』とか何気ないコメントで埋まる画面は静まり返ったままだった。
視聴者数は1。
配信では自分のアカウントも視聴者数の欄に数えられるから、実際視聴者数は0だ。
Xでなんの告知もしてなかったからだよね……?
そう思い本垢の方で配信の開始をポストする。
だが10分、20分経っても誰かが配信に来ることはなかった。時たま視聴者数が2になることはあってもすぐにどこかへ行ってしまう。
……何を、期待してたんだろう。
瞳が暗い色に染まっていく。
私の視聴者が求めていたのは癒しだ、毎日仕事や学校で疲れたのを私のASMRで癒されに来る。それを昨日あんなことをして誰かが来るわけがないだろう。
私以外にもASMR配信者なんてごまんといるのだから。
孤独、屈辱、後悔、色んな感情が私の中をぐるぐると回り、そして最後に諦観が心に染みついた。
配信終了のボタンを押そうとしたそのとき。
コメントが1つついた。
『よかった、まだ配信やってた』
その一文を見た瞬間だった。
胸の奥を締め付けていた何かが、ふっとほどける。
乾ききった喉に一滴だけ水が落ちたような感覚。
たった1人。それでも私を探してくれた人がいた。それだけでさっきまで真っ暗だった世界に少しだけ色が戻った。
自然と口角が上がっていく。
「ありがとう……見に来てくれて!今日は誰も来てくれないんじゃないかって不安だったよ!」
まだ終わってなかった、全部失ったわけじゃなかった。
「何やろうか?耳かき?それとも囁き?リクエストあるならやっちゃうよ!」
たった1人でも、私を必要としてくれる人がいるなら。私はまだ配信者でいられる。
しかし
『すみません。俺です、翔気です』
そう新しくコメントが流れた瞬間、笑顔が消えた。
「しょ、うき……?」
その名前に一昨日の記憶が蘇る。
さっきまでの安堵感が嘘のように、私の心には冷たさが広がっていった。
『悪いとは思ったんですけど、DMブロックされてたみたいだったから連絡手段これしかなくて』
「……何しに来たの?」
配信者が視聴者に向けるとは思えないような低さの声がマイクに響く。
『伝えなきゃいけないことがあって』
……伝えなきゃいけないこと?
「……なに?笑いにでも来たの?……視聴者からも逃げられた私をさ……」
乾いた笑いが出る。
『違います』
「じゃあなに?悪いけど話すことなんて何も……」
『単刀直入に言います』
一拍。
『好きです』
「……は?」
頭の中が真っ白になる。何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
好き?
突然何を言っている?この男は。
その言葉の意味を噛み締め、理解し、そして沸々と怒りが湧いてきた。
「……ふざけないでよ」
2人しかいない配信、空気が張り詰めた。
「何を言ってるの?また私のことからかいに来たの?……いい加減なことばっか言ってんなよ!あの時言ったんだよ!?好きじゃないって!私のこと……好きじゃないって!」
金切り声が響く。
「言ったんだよ……!」
最後の一言は、机の上に落ちて消えた。
画面は静かだった、コメントも流れない。ただマイクだけが、浅く乱れた呼吸を拾い続けている。
『信じてもらえるとは思ってません』
その一文に、思わず動きが止まる。
『だからいまから学校に来てください』
「は?……学校?」
『直接話したいです、コメントじゃ何も伝わらないから』
「何を……」
『俺があすまるさんのことちゃんと好きだってことを』
数秒の沈黙。
そして最後のコメントが流れる。
『来なくても構いません、でも俺は学校で待ってます』
そう言って配信から数字が1つ消えた。
部屋の静寂がまた顔を覗かせた。
私はゆっくりと配信終了のボタンを押し、力が抜けたようにベッドへ倒れ込む。
何かから身を守るようにバッと布団を被った。
……誰が行くもんですか、誰が。
そんなの、また騙されるだけだ、もう期待なんてしたくない。
そう自分に言い聞かせる。
チク、タク。
時計の針だけが規則正しく時を刻む。
目を閉じても眠気は来ない。なのに瞼の裏には放課後に笑っていた彼の顔。ショッピングモールで私の話を聞いてくれた彼の顔。
そしてさっき『好きだ』と言った彼がいた。
忘れようとするほど、なぜかその姿は鮮明になっていく。
5分、10分、15分……
時間だけが過ぎていく。なのに心だけがあの学校に置き去りのままだった。
「ああ……もう!」
堪えきれず毛布を蹴飛ばす。勢いよく立ち上がると、そのまま玄関へ向かっていた。
悔しかった。あの男の一言でこんなにも簡単に揺らいでしまう自分が。
それでも止まれなかった。
私は半ばヤケクソのままドアを開け、夜の空気の中へ飛び出した。




