渇愛
◯14日目(水曜日)
3時間目、数学の授業。
長身のやせぎすの先生がしかめっ面で計算式の解説をしている。
ノートにシャーペンを走らせようとして、やっぱりやめた。
昨日の配信を思い出す。
……なんであんな酷いこと言っちゃったんだろう。あんなこと言うつもりなかったのに。
鬱屈とした気持ちが私の中に渦巻く。
今日は学校に来てからずっとこんな調子だ。何も頭に入ってこない、ただただ漠然と辛い。
そうして何をするでもなく授業をやり過ごしていると、突然授業終了のチャイムが鳴った。ビクリと身体が跳ねる。
いつもならちょくちょく時計を見て授業を聞いているから、チャイムの音がいつ鳴るかなんて予想できているのに。
数学の教師が教室を去ると、周りのクラスメイト達は各々のグループに集まりはじめた。
しかし私の周りには誰もいない。
まるで教室で私だけが透明な壁で仕切られているようだった。
別にいつもと変わらない光景なのに、今日はよりそう感じた。
「……帰ろ」
私は早退届を出しに職員室へ向かおうと教室を出る。
喧騒を背にして独りで歩くのはとても惨めだった。
「ねぇ亜瑠ちゃん、ちょっといいかにゃ?」
教室を出てすぐ、後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには1人の女子がいた。
人形のように真っ白な肌に、宝石のように光を反射し輝く銀髪。そしてその猫のようにつかみどころのない表情。
転校生というのはやはり注目されやすいものだが、その整った容姿も相まって隣の学校にまで噂が広まっている美少女。
流石に私も見覚えがある。確か名前は……
「猫又……さん?」
「あ、知ってるんだァー嬉しいー」
「……何か用ですか?」
「いやまあちょっと聞きたいことあってさー」
そう言うと猫又はずいと顔を近づける。
「翔気くんどこいるか知らない?」
「しょう……き」
その名前に思わず動揺する。
「知りません」
「あ、そうなのー?なんか今日休みらしいからさー、放課後いつも一緒にいる亜瑠ちゃんなら知ってると思ったんだけどなー」
「残念」と言い残し猫又は自分の教室へ戻って行った。
……不可解。
なぜ別のクラスの猫又が、翔気が今日休んでいることを知っている?それに、私たちが放課後に会っていたことまで。
しかしすぐにぶんぶんと頭を振る。
もうどうでもいい、あんな男もうどうでもいいはずだ。
そう自分に言い聞かせて私は階段を降りて行った。
◯
学校に早退届を出してうちに帰ってくるまでは30分も掛からなかった。
玄関のドアを開け、リビングに向かう。そこにはパソコンに向き合いながら仕事をしている父がいた。いつも通り何を考えているのか分からない。
「お父さん」
「……」
「今日、学校休んだ」
しばらくの無言。
こういうとき、普通の親なら「どうして?」とか「病院行く?」とか言うものなのだろう。しかし私の父は——
「そうか」
特になんの感情もなくそれを受け入れた。
父は私に関心がないのだ。
いつもそうだ。私が配信を始めたいと言ったときも何も言わなかったし、私が何かやりたいと言ったことを止めたことなんてなかった。
それだけ聞くと理解のある親のようだが違う。
友達から仲間外れにされて泣いていたときも、興味を引きたくて財布から金を盗んだときも何も言わない。
きっと私が死んだとしても眉ひとつ動かさないだろう。
父は私に興味がないのだ。
私のことなど死んだ母が残していった他人くらいにしか思ってはいない。
踵を返そうとすると「待ちなさい」と父が私を呼び止めた。
「亜瑠、私は今日から3日出張でいない。だからその間家事は自分でやりなさい。」
「……分かった」
少し何かを期待した自分を惨めに思う。父は何も変わらぬトーンで、表情で、仕草でそう言った。
私は部屋のドアを開け、ベッドに潜る。
静かだった。
スマホもいじらずただただ時間が流れていくのを感じている。
私にはもう何もない。親身になってくれる家族も、心置けない友達も、そばにいてくれる恋人も、応援してくれるフォロワーもなにもかも。
なんで誰も愛してくれないんだろう、なんでみんな離れていくんだろう、なんで私はこんな性格なんだろう。
涙が頬を伝い、枕を濡らす。
私ってなんなんだろう……本当の私ってどこにいるんだろう。
◯
自分に人付き合いの才能がないと気づいたのは中学1年生の頃だった。
友達の女子からなんとなく避けられてるような気がした。
毎日していたメッセージも段々と返す速度が遅くなっていたし、休み時間もその子は私じゃなく他の子とばかり一緒にいるようになっていた。
私はある日放課後にその子を呼び出して泣きながら問い詰めた「なぜ私を避けるのか」と。
すると彼女は一言「そういうところ」それだけ言った。
思い返せばこういうことは1度や2度ではなかった。
私は仲良くなった子にすぐ執着してしまうのだ。メッセージはすぐ返されないと不安になって電話してしまうし、その子が他の子と話しているところを見ると私に飽きたのではないかと思って、つい詰問してしまう。
結果として避けられ、孤独感によりストレスが溜まり、そのせいでさらに避けられる。
そしていつも気づいたときには私の周りには誰もいなかった。
たぶん私は普通の人よりも渇愛の気持ちが大きいんだと思う。
生来のものか、父が私に無関心だったからか、その両方かは分からないがこの性格のせいで私の人間関係は1週間以上続いたことはない。
私には人付き合いの才能がないのだ。
誰もいない世界は孤独で、虚しく、どこまでも暗かった。
首を吊ろうという考えに至るのにそう時間はかからなかった。……まあ、結局紐が切れて失敗に終わったが。
そんな孤独と自傷を続ける毎日を過ごし続け、中学1年生も終わる頃になったある日、なんとなく打ち込んだYouTubeのコメントに一万件のいいねがついたことがあった。
別に内容は普通だ、いまでもなぜあんな評価が貰えたのかは分からない。
だけどそのとき感じたのだ。天地開闢にも等しい衝撃を、いままで誰からも向けられなかった愛情を。
それから私はネットにどっぷりと浸り、配信を始めた。
初めてのコメント、初めての登録者、初めての高評価。全て覚えている。
学校では誰にも必要とされなかった私が、ネットでは「あすまるが生きがい」とまで言われる。
生きていていいんだと思えた、ここがあなたの居場所だよと言われているような気さえした。
そして私の世界は学校ではなく、パソコンの前だけになった。
あの時が私の人生で1番幸せな時間だった。
確かに心無いコメントや上手くいかないこともあった。でもそんなこと気にしなくていいくらいの愛がそこにはあったのだ。
私はその愛をもらうために自分を虚飾した。声を可愛く変えて、顔は出さないで、どんな配信がいいのかを日夜研究した。
当然、学校の成績は落ちていったし、リアルの人間関係なんて無いに等しくなった。
そんな生活を続けて1か月、2ヶ月、半年、1年……
『人は取り繕わなきゃ愛されない』
いつしかそんなことを思うようになった。
リアルで私が上手くいかなかったのは取り繕わなかったから。
ネットで私が上手くいったのは取り繕ったから。
……そんなこと知ってた。知ってたはずなのになんでこんなことになってしまった?
唇を噛み締める。
ネットはあくまでネット。それはどこまでいっても電子の繋がりでしかなく、肉声の伴わないその関係にはどこか物足りなさがあった。
でも……それでも満足しようとしてたのに……
好きだなんて言われたら欲が出ちゃうに決まってるじゃん。
結局、私は失敗した。3年続いた関係もろとも。
私の心根は母が死んだあの日から何も変わってはいない。
ただ泣いて喚いて「愛して」とわがままに癇癪を起こす子供のまま。
窓際に飾ってあるアスマルの花。母から貰って、もうとっくの昔に枯れてしまったその花を見つめる。
神様……愛してくれなんて贅沢、もう言いません。だからせめて誰か1人でいいから私を見つけてください。




