日常
◯13日目(火曜日)
朝の教室はいつも通り騒がしかった。
友人同士で談笑する声。机を引く音。廊下を走る誰かを教師が怒鳴る声。スマホから漏れる動画の音。
昨日と何一つ変わらないはずの光景だった。
なのに俺には、その全てがどこか遠く感じられた。
まるで透明な膜を一枚挟んで世界を眺めているような、妙な疎外感が胸の奥にこびりついて離れない。
席へ座り、鞄を机の横へ掛ける。
その流れのまま、無意識にスマホを取り出していた。
画面を開く。
DM。
指は迷うことなく、一番上のトーク画面を押していた。
そこには昨日までと変わらない履歴が並んでいる。
昨日までは確かに意味を持っていたはずなのに、今見るとどれも中身のない文字列に思えた。
画面を閉じる。
その瞬間、教室の扉が開く音がした。
思わず顔を上げる。
だが入ってきたのはただの男子生徒だった。
「……何やってんだ、俺」
小さく呟く。
自分でも馬鹿みたいだった。
◯
放課後。
文化祭実行委員の作業日。
幸か不幸か今日は江蜜と2人きりではなく、各クラスの文化祭実行委員が集まる日だった。
翔気は少しだけ深呼吸をしてから教室の扉を開けた。
窓際の席。
そこに江蜜はいた。
昨日と同じ場所、同じ制服、同じ姿勢。
夕日に照らされた横顔まで何も変わっていない。
なのに、昨日までよりずっと遠く感じた。
「……」
一瞬だけ視線が合う、本当に一瞬。
それだけだった。
江蜜は何も言わない。
何事もなかったみたいに視線を資料へ戻し、淡々と作業を続ける。
まるで俺なんて最初から存在していないみたいに。
胸の奥がじわりと痛んだ。
◯
「江蜜さん、この数字ってここで合ってます?」
別のクラスの男子が尋ねる、江蜜はすぐに顔を上げた。
「あ、はい。そこはそのままで大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
柔らかく笑う。
感じの良い、いつもの笑顔だった。
昨日まで自分へ向けられていたものと同じ笑顔。
そのはずなのに、今は自分には向けられない。
たったそれだけのことが、妙に堪えた。
俺は視線を落とす。
シャーペンを握る指に、少しだけ力が入った。
「ここ、ちょっといいですか?」
不意に彼女の声が聞こえた。
心臓が跳ねた。
反射的に顔を上げる。
「……え」
しかし彼女の視線の先は、俺の後ろにいた別の男子。
それだけだった。
ただの自意識過剰、ただの勘違い、胸の奥が鈍く沈む。
自分でも驚くくらい、くだらないことで傷ついていた。
◯
作業が終わる頃には、外はすっかり夕暮れ色になっていた。
机の上を片付けながら、俺は何度も江蜜へ視線を向ける。
話しかけるべきだろうか、謝るべきだろうか、昨日のことを、今までのことを。
けれど、いざ言葉にしようとすると何一つ形にならなかった。
ごめん。
その一言すら、今の自分にはただの自己満足に思えた。
そうして迷っているうちに、江蜜は鞄を肩へ掛ける。
そして、俺の横を通り過ぎた。
「……」
「……」
何もない。
立ち止まりもしない。視線すら向けない。そのまま教室の扉へ手を掛けガラガラ、と扉を開けた。
夕方の廊下の音が流れ込む。
ピシャリ、と静かに扉が閉まった。
ちらりと見えた横顔はゾッとするほどの無表情だった。
◯
帰り道。
「翔気」
隣を歩く愛がこちらを見上げる。
「ん?」
「今日も変」
夕焼け空の下、愛はアイスの棒を咥えたままじっとこちらを見ていた。
「そうか?」
「そう」
即答だった。
愛はしばらく無言で歩く。
やがて、小さく息を吐いた。
「ちょっと変なこと言っていい?」
「ん?」
「なんか……最近アンタは何かを怖がってるみたいな感じする」
その言葉に、翔気の足が一瞬止まりかけた。
「怖がってる?」
「うん、誰かじゃなくて何かを」
「……」
「ごめん、意味分かんないよね……忘れて」
そう言うと愛は再び前を向く。
少しの沈黙が2人の間を支配する。
そしてぽつりと呟くように、心配するように愛は言う。
「ま、何があったかは知らないけどさ、むしゃくしゃしてわけわかんないならさ……頼って良いんだよ?」
少し恥ずかしそうに
「恋人、なんだし」
夕日が金髪を赤く照らしていた。
綺麗だと思った。
救われる気もした。
「うん、ありがとう……でも大丈夫だよ」
誤魔化すような俺の言葉に愛は少し不満気な顔をした。
だけど、これだけは愛に頼るわけにはいかなかった。




