修羅場
◯12日目(月曜日)
帰りのホームルームが終わり、聞き慣れたチャイムが校舎に響く。
教室中が一斉にざわめき始め、生徒たちは荷物をまとめて帰り支度を始めた。
俺もリュックを背負い、いつもの教室へ向かおうと席を立つ。
「翔気、帰ろ?」
聞き慣れた声に振り返る。そこにはバッグを肩にかけている愛がいた。
いつもなら……というか何もなければ俺も喜んで一緒に帰っていたところだが
「悪い、今日も文実の仕事があるんだ」
「……また?」
露骨に眉をひそめる。
「文化祭近いから最近は毎日だよ」
「ふーん」
返事は短い。明らかに不満そうだった。
俺だって本当は一緒に帰りたい。だけど流石に彼女と一緒に帰りたいから、なんて理由じゃ文実の仕事は休めない。
「ごめん、いつか埋め合わせするから——」
「待って」
時間も迫っていたので急いで空き教室に向かおうとしたのだが、腕をくいっと掴まれた。
「アタシも文実の仕事……手伝う」
「え、いいのか?」
「……別に暇だし」
少し俯きがちにそう言った。
俺は一瞬だけ委員会じゃない人間を連れてっていいのか悩んだが、別にそんな規則もないかと思い直した。
それに実際俺と江蜜だけでは少し人手が足りていなかったところだし渡りに船かもしれない。
「助かるよ。じゃ、一緒に行こう」
そう言うと、彼女はほんの少しだけ表情を緩めた。
そこで俺はあることに気づく。
——まずい。
江蜜に、愛が俺の彼女だと知られるわけにはいかない。
江蜜はあすまると繋がっている。もし江蜜経由であすまるに「翔気には彼女がいる」と伝われば——
顔が青ざめた。
「……あ、愛ちゃん、俺たちが付き合ってることしばらくは誰にも言わないでくれないか?」
彼女の足が止まる。
「……なんで?」
当然の反応だった。
俺は慌てて頭を回転させる。
「あー、その……ほら」
何か、何か自然な理由を。
「田辺とケンカした件、まだクラスでも噂になってるだろ?その上で当事者同士が付き合ってるって知られたら、また面倒なことになるかもしれないしさ」
言っていて自分でも苦しい。もっとマシな言い訳はなかったのか。
彼女はそんな俺を怪しむようにじっと見つめた。
「……まあ、翔気がそう言うなら」
完全には納得していない、だが特に否定する理由もない。
そんな顔だった。
「ありがとう」
俺は嘘をついたことへ少しの後ろめたさを覚えたまま、江蜜の待つ教室へ向かった。
◯
教室の扉を開ける。
窓際の席に、ぽつんと一人。
資料へ目を落としていた江蜜が、俺に気付いて顔を上げた。
「あ、翔気く——」
ぱっと花が咲いたように笑う。
だがその笑顔は、俺の後ろを見た瞬間に止まった。
「……江蜜さん?」
返事はない、まるで石像のように固まっていた。
「おーい」と声をかけてみると通話のタイムラグのように数秒遅れで、彼女は口を開いた。
「……翔気くん、隣の方は?」
さっきとは違う、少し低い声で尋ねられる。
——事前に何も言わなかったのはまずかったか?
江蜜は俺と同じで人見知りだ。それなのに急に人が来るってなって動揺しないはずがない。
LINEで一報くらい入れておくべきだったか?
そんなことを考えていると愛が一歩前に出た。
「ああ、いきなりごめんね。アタシ3組の卜返愛、今日は文実の仕事手伝いに来たの」
「……ああ、そういう」
「ごめん、江蜜さんなんかダメだった?」
「……いえ、別に大丈夫です」
そう言うと江蜜は机に目を落とす。
俺たちは彼女の席に近くの椅子と机を合わせる。
「……んで、2人だけ……場所なのに……女連れ込ん……みわかんない」
「江蜜さんなんか言った?」
ピタっと動きが止まり、彼女は少し含みのある微笑でこちらを向いた。
「……いえ何も」
その顔を見て俺は少し不穏なものを感じた。
○
「翔気、そっち詰めて」
愛は当然みたいに俺の隣へ椅子を引いた。
「ん、ああ」
肩が軽く触れる、体温が直に伝わり、否応なく肩に意識が集中してしまう。
彼女は特に気にした様子も無くバッグから筆箱を取り出し始めた。
カチカチカチ
「翔気、これどこに貼れば良い?」
愛が俺の袖を軽く引っ張る。
「ああ、それはここに」
俺は彼女の席へ少し身を乗り出す。手が少し触れた。
……柔らかい。
カチカチカチカチ
「翔気、終わったらちょっとコンビニ寄れる?」
「ん?いいけど」
「じゃ、一緒行こ」
目を合わせることもなく、言葉だけで会話する。
なんだか小慣れた感じのやり取りに、少し気持ちが昂る。
カチカチカチカチカチ
「あ、翔気……ゴミ」
「え?」
「髪にゴミついてる」
愛がさっと前髪に手を触れる。
「はい、取れた」
「お、おう」
彼女の香りがふわっと鼻孔を突き、少しドギマギする。
カチカチカチカチカチカチ
「……あの、江蜜……さん?」
「はい、なんです?」
「なんで……さっきからそんなシャーペンをカチカチしてるんです?」
「芯が出ないんです」
しかし江蜜の机にはシャーペンの先から落ちたであろうシャー芯がいくつも散らばっていた。
彼女はにこっとした笑顔を見せる。
「あ、そ、そう」
俺は何かを誤魔化すようにペットボトルのお茶を飲み、作業に戻った。
「あっつ……」
愛が小さく呟いた。
「喉渇いた」
そう言って机の上のペットボトルを手に取る。キャップを開け、そのまま口をつけた。
その姿を見て俺は固まった。
「……愛ちゃんそれ」
「ん?」
彼女はペットボトルを見る。
そして俺を見る。
さらに、自分の机に置いてある未開封のお茶を見る。
「これ……翔気の?」
「う、うん」
「…………」
彼女は一瞬で耳まで真っ赤になった。
「ち、違っ!」
勢いよく俺へペットボトルを突き返す。
「ま、間違えただけだから!」
「いや、別に俺は気にして——」
「アタシが気にするの!」
顔を真っ赤にしたままそっぽを向く。
……可愛い。
そんなことを思った瞬間。
バギッ!
シャーペンの折れる音がした。
シャー芯ではない、シャーペンだ。
「……ごめんなさい」
江蜜は折れたシャーペンを握り潰したまま、小さく笑った。
◯
何だろう、江蜜がずっとこちらを見てくる。
なんとなく無視してしまっているがたぶん怒っているのだろう、醸し出す雰囲気がそう言っている。
だが何故だ?本当に理由が見つからない。愛が来たことがそんなに気に食わないのか?
……いや、彼女のそれは馬の合わなそうな相手が突然現れたことによる不快感とは別種のものだ。
何となく俺が猫又と話していたのを見て不機嫌になった愛と似ている気がしなくもないが……
頭を悩ませていると愛がまた質問してきた。
「ねぇ、翔気ここのメイド服の予算の配分とかってどうなってるの?」
「そこはこちらに書いてありますよ」
俺が答えようとすると江蜜が間に割り込むように言葉を挟んだ。
「ああ、ありがと江蜜ちゃん」
「いえいえ、ところで1つ聞きたいことがあるのですが」
「ん?どしたの」
「翔気くんと卜返さんはどういったご関係なんですか?」
彼女はにこにこ笑顔で愛に質問する。
愛はきょとんと首を傾げる。
「アタシと翔気?」
一瞬だけ俺を見る。
「まあ、そりゃ恋び——友達だよ」
危なかった、本当に危なかった。
思わず安堵の息を吐く。事前に言っておいて本当によかった。
「へぇ、友達ですか……翔気くんって結構女友達いたんですね、意外です」
「いや、女友達って言っても愛ちゃんくらい……」
「愛ちゃん?」
「う、卜返さんくらいだよ!?」
やべぇ、ついいつもの呼び方をしてしまった。名前にちゃん付けなんて友達は言わな……
いやよく考えたらそのくらい普通か。江蜜が過剰に反応してるだけ?
……そもそもなぜ江蜜は俺と愛の関係がそんなに気になるのだろうか?
「ちょっと、翔気」
愛がちょいちょいと肩をつついて耳打ちしてきた。
「本当にそんな隠す必要ある?別に高校生なんだから付き合ってるだけでからかうやつなんていないと思うけど」
「ごめん愛ちゃん……ちょっと訳があってさ、しばらくこの設定に付き合ってほしい。」
「意味わかんない」
「……今度ねるねるねるね奢るから」
「何個?」
「3個」
「……ま、まあそこまで言うなら」
ちょろい……じゃない助かった
「何を二人だけで話してるんですか?」
真後ろから声がした。
「うわっ!」
振り返ると、江蜜が手を後ろで組みながら笑っていた。
「私も混ぜてくださいよ」
「べ、別にただの世間話だよ!」
俺は慌てて資料を押し付ける。
「それよりほら!仕事仕事!」
「……そうですか」
江蜜は少しだけ残念そうに席へ戻った。
◯
「翔気ー、この衣装のデザインってどんな感じなの?」
愛が指し示す項目は俺たちの今年の文化祭の出し物である、女装メイド喫茶の項目だった。
「ああ、それならスマホにメモってた気が」
俺はスマホを取り出しロックを解除する。
しかしそこに写っていたのはホーム画面ではなくDMの画面で、昨日のあすまるとのやり取りがズラっとあった。
おっと、しまった。こんな画面愛に見られたらそんなの修羅場どころじゃ……
「ん、どれどれ」
愛はずいと身体をこちらに寄せてスマホ画面を覗く。
……終わった。
急いで画面を閉じようとしたが、その前に愛の手が伸びた。
あっという間にスマホを奪い取られる。
彼女は真顔で俺のスマホの画面を凝視している。
「ちょ待ッ!」
俺がスマホを取り返そうとするもその腕は無慈悲に掴まれてしまった。
まずいまずいこれは本格的にまずい。
最後にやり取りしたのはどんな内容だか忘れたが少なくとも男友達とのやり取りには見えないだろう。
「「「……」」」
教室に静寂が訪れる。
エアコンのごうごうとした音と外の野球部の練習する声だけが存在感をもち、場は妙な緊張感をもっていた。
恐る恐る愛の方を見る。
彼女は……笑っていた。
怖いくらい静かに。
ただその目だけが、まるで深海みたいに暗かった。
なんだこれ、逃げたい。
「……あの、愛……さん?」
「翔気、これから3つ質問をするから、正直に答えてね。」
「……はい」
ちょっと口調違くないですか愛さん。
「まず最初の質問。このあすまるって子は女?」
笑顔のまま質問が飛んでくる。
あすまるの口調からして分かっているはずだ、それでいて質問してきている。
「はい、女性です」
正直に答える。ここで嘘をつくのは悪手だろう。
「ふーん、翔気さ女の子とまともに話したことないって言ってなかったかな?」
「いや、あの……それは、まあ別にまともに話したことないってのは、一度も話したことないという意味じゃ……」
「はぐらかすな」
「はい言いました」
殺気にも似た圧が飛んでくる。
「じゃあ次の質問。この子とアンタの関係性は?」
こちらの嘘を逃すまいとジロリと見つめる愛。それに俺は怯えることしかできない。
まさに蛇に睨まれた蛙だ。
「か、関係性……ですか」
思わず敬語になってしまう。
俺とあすまるの関係性など決まっている、そんなの恋人だ。だが絶対にそんなこと答えるわけにはいかない。
どうすればこの質問をどう切り抜けられる?
女友達?
いやバレるだろ、さっき女の子とまともに話したことないという話題を通過したばかりだし。
ちょっとした知り合い?
いやそれもダメだ。愛がどこまでトーク画面を見たかは知らないが明らかにちょっとした知り合いの距離感のトークではない。
それに紹介して、などと言われたら1発アウトだ。
しばらく考えたがいい案も浮かばない。
……うん、そうだな。ここはもう言うしかないな。
俺は愛に向き直り目を見てはっきりと言う。
「ネッ友……です」
「「ネッ友?」」
愛は予想外の回答だったのか一瞬ポカンとする。
あとなぜか江蜜まで怪訝そうな反応を見せた。
あすまるとは今は付き合っているが最初はネッ友みたいな感じだったし、違和感はない回答……のハズ。
「えっと、よく見てる配信者でさ……この前ちょっとDMしてみたら繋がれたんだよね。それで今ではちょっとしたネッ友……みたいな」
愛は発言を見極めるように訝しげに見てくる。
「ふーん、ネッ友ねぇ」
「う、うんネッ友ネッ友」
「ネッ友と寝落ち通話するんだ」
ギクリ……という音すら鳴った気がする。
昨日通話した履歴を見られてしまったか。
「い、いやこの人ASMR配信者だからさ、こういう提案してきたんだって。ただのサービスだよサービス」
「へぇ……そう」
愛は頬杖をついてこちらを見つめ、小さなため息を吐く。
「まあ、とりあえず今の所はそういうことって納得しといてあげる」
「ありがとうございます」
ふう、と息を吐く。
一つ一つ、些細なミスが死につながる。
まるで人狼ゲームで追い詰められた人狼のような気分だ。
「じゃあ最後の質問。このあすまるって子のことどう思ってる?」
ガタっと物音が聞こえた。
物音の方向を見ると江蜜が期待の眼差しでこちらを見つめているのが分かった。
なんでこの状況でそんな顔できるんだよ。もしかして俺の焦った顔を笑っているのか?
俺はブンブンと頭を振り思考を戻す。
いかんいかん。
今は俺があすまるをどう思っているか、だったよな。
どうって、そんなの……
「言ったろ?ネッ友だよ、それ以上でもそれ以下でもない」
「は?」
その声は江蜜の方から聞こえた。
教室の空気が一瞬止まる。
「え?」
江蜜の顔から、表情が消えた。さっきまで無理に貼り付けていた笑顔さえ、跡形もなくなっていた。
「すみません……なんでもないです」
全然なんでもなさそうだった。
「へぇ、じゃあ好きとかそういう恋愛感情はないと」
しかし今度は愛が詰めてくる。
「うっ……」
一瞬言葉に詰まる。好きか嫌いかといわれれば、たぶん好きなんだと思う。
確かに不安定な所はあるが、声は可愛いし、一緒に話していて楽しい。
でも、それは恋愛感情なのかと言われると、正直よく分からない。
いや、分かりたくない……のか?
灯子、そして愛の顔が浮かぶ。
俺は慌てて頭を振った。
「いや、違う違う」
「何が?」
「だから、その……あくまで配信者と視聴者の関係っていうか」
愛は疑わしそうな目を向けてくる。
「好きじゃ……ないよ。恋人になりたいとか、そういう恋愛感情とかは一切ない」
「本当に?」
「ああ……誓うよ」
沈黙が3人の間を支配した。
時間にしたら数秒だったのだろうが、俺はそれを永遠のように感じていた。
愛は一度何かを考えるように顎に手を触れた。そうしてしばらくして手に持っていた俺のスマホを差し出してきた。
「分かった。今回は翔気を信じてみる」
そう言って少しぎこちない顔でにはにかんだ。
俺はその一言に思わず胸を撫で下ろした。
よかった、とりあえず峠は越えたようだ。
「……そっか、ありがとう」
スマホを受け取り机の端に置く。
でもなぜかそのとき俺は愛の笑顔を正面から見ることができなかった。




