猫の気配
◯8日目(木曜日)
昼休み、俺は空き教室にいた。
「ねぇ、翔気……これ」
隣に座る愛が弁当をおずおずと差し出してくる。
昨日LINEで『明日弁当もってこないで』と言っていたのはこれか。
「別に、食べなくてもいいけど」
「いや、食べるよ、愛ちゃんのなら絶対おいしい」
「……」
無言で背中を叩かれる。
痛い。
もらった弁当を開けるとたこさんウインナーやおにぎり、卵焼きなど弁当のメインどころが顔を覗かせる。
だが1番目を引くのは白米の上に乗せられたハート型の海苔だった。
「……ッ!」
愛は急に俺の弁当を奪う。
すごく慌てた様子だ。
「間違えた……ほんとのはこっち」
「え?」
愛はもう1個の弁当を俺に手渡す。
そちらの弁当は中身はさっきの弁当と同じだが、ハート海苔だけが無くなっている。
「アンタのは、これ」
そう言うと愛はハート海苔の部分からいそいそと弁当を食べ始めた。
「……もしかして本当はその弁当俺のだったり?」
弁当を食べる手がピタッと止まった。
「……でも途中で恥ずかしくなっちゃった、とか?……あはは、そんな、俺なら別に……」
「早く食べる」
すごい形相でこちらを睨んできた。
「はい」
俺は弁当を食べながら、艶事主命からのメールについて考える。
2人目のターゲット『あすまる』
あすまるってのは、昨日の夜に聞いていたASMR配信者のことでいいのか?
いや、どういうことだ?
改めて困惑する。
配信者を?落とすのか?俺が?
無理、という言葉が頭の中にひしめく。
愛の時は同じ学校だしまだアプローチの仕方があった。
しかし今回はどこにいるのかすら分からない。
DMでアプローチなんて論外だろう、ブロックされて終わりだ。
というかそもそもなぜあの神は本名を出さない。
愛の時はちゃんとフルネームで送られてきたし、写真も顔が写っていた。
しかし今回送られてきたのはあの配信画面の顔が隠れた写真だけで何の情報にもならない。
名前も顔も居場所も分からない相手を1週間で落とせってか!?
スマホが震えた。
手に取る。
『名前はねぇ、教えない方が今回は面白いかなって!てへ♡』
画面を殴りたい。
ふざけている。
俺はタコさんウインナーを食べながら、心の中で悪態をついた。
「そういやさ、放課後暇?」
愛が卵焼きを片手に聞いてきた。
「……あーごめん今日は文実の用事ある」
「文実?」
「文化祭実行委員。文化祭近いしちょっと忙しいんだよ」
俺は文化祭実行委員なのだが、数週間後に迫った文化祭のために今は忙しいのだ。
今日も放課後もう1人の文化祭実行委員と居残りだ。
「そっか、じゃあ帰りは1人か……アタシも文実入ろっかな」
少し寂しそうに呟かれたその言葉は俺の耳には入らなかった。
◯
帰りのホームルームが終わり、次々と生徒が教室から消えていく。
俺は文化祭の準備のために別の教室へ行こうと席を立った。
するとトントンと肩を叩かれた。
「翔気くん」
振り返ると猫又がいた。
猫又カブラ……鮮やかなピンク色の髪、雪のように真っ白な肌。爪はネイルをしておりところどころ宝石が散りばめられていて、スカートは少し目を背けてしまうくらい短い。
愛とはまた対照的な……いわゆる白ギャルだ。
確か以前も少し声をかけられたな。
隣のクラスだった気がするがなぜここに。
「ど、どうしたの猫又さん」
「えー苗字呼び?カブラショック、名前で呼んでよ翔気くん」
「え」
「ほらほら、呼んでよー」
「カ、カブラちゃん……?」
思わず呼んでしまった。
するとカブラはにんまりと笑った。それは猫を連想させるようなつかみどころのない笑顔だった。
「カブラねぇ、ちょっとー気になることがあってー」
「気になること?」
「うん」
カブラはずんと顔を近づける。
「翔気くんって、もしかして卜部ちゃんと付き合ってるのかにゃ?」
少し心臓が跳ねた。
「……ああ」
一瞬今後の浮気のために話していいか迷ったが、名前まで当てられてるし多分もうバレてるだろう。
「やっぱり?2人が空き教室で食べてるの見ちゃったんだよね」
キャーとカブラは1人で盛り上がっている。
「カ、カブラちゃん。あの、このことは他の人に言わないでくれるかな?」
「なんで?」
「……まだちょっと……恥ずかしいし」
浮気したいからなんて言えるわけがない。
適当にそれっぽい言葉で誤魔化す。
「中学生かー?」
カブラはニヤニヤ笑う。
「まあでもいいよー?2人……いや3人だけの秘密ね」
カブラは「じゃ、末長くー」と言って去っていった。
ふう、と息をつく。
急なハプニングに戸惑ったが、なんとかなった。
しかしそうか、これからはカブラのように気づいた人たちには口封じして置かなければいけないのか。
心に影が差す。
俺はこれから浮気のための行動をしなくてはならない。
マツリの顔を、愛の顔を、母の顔を思い出す。
……俺はまだ浮気というものを受け入れられてはいないようだ。
「……ッ」
その瞬間、背中に刺すような視線を感じた。
周りを見るが誰もいない。
「……なんだ?」
分からない、でもなんだか悪意のような、愛情のような、なんだろう。
とても気持ちの悪い視線を感じた。
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