ASMRは気持ちいい
その日の夜。
ベッドに仰向けになりながら、俺はスマホを見つめていた。
部屋の電気は消している。画面の光だけがやけに眩しい。
……彼女ができた。
卜返愛。
まっすぐで、強くて、可愛いくて、ちょっと素直じゃなくて。
俺みたいなのとは釣り合わないくらいの子。
……なのに。
「……はあ」
嬉しいはずなのに、胸の奥が重い。
理由は分かってる。
……あと9人。
あの神の言葉が、頭から離れない。
この先、俺は愛を裏切る。
それが決まってる。
「……最低だな」
呟いて、スマホを顔の上に乗せる。
眠れない。
目を閉じても、ぐるぐる考えてしまう。
だから……
逃げるみたいに、スマホを操作した。
動画アプリを開く。
何か目的があるわけじゃない、ただ気を紛らわせたかった。
適当にスクロールしていると
『眠れない人へ♡ 添い寝配信』
そんなタイトルが目に入った。
サムネイルは、暗い部屋とマイク。顔は映っていない。
配信者名『あすまる』
右下にイヤホン推奨と記載されていた。
「……なんだこれ」
そう思いながらも、ベッドをまさぐりイヤホンを探す。
……まあ、ちょっとだけ。
軽い気持ちでタップする。
画面が切り替わる。
真っ暗な背景。小さなマイク。
そして、イヤホン越しに音が流れる。
……コツ、コツ。
小さな音。
耳元で何かが触れるような感覚。
「……ッ」
思わずイヤホンを外しかけて、止まる。
次の瞬間。
『……聞こえてる?』
近い。
耳のすぐ横で、囁かれたみたいだった。
思わず息を止める。
『ふふ……びっくりした?』
小さく笑う声。
柔らかくてなんだか落ち着く声。
『大丈夫だよ。ここにいる人、みんな同じだから』
……同じ?
『眠れない人、ちょっと疲れちゃった人、誰かに本当の自分を受け止めて欲しい人』
ドクン、と心臓が鳴った。
なんだこれ、別に俺は……
『疲れてる?大丈夫だよ、私はあなたのこと好きだから』
とろけるような甘い声が耳を抜け、脳を優しく包み込んだ。
その一言で、思考が止まった。
そんなこと、言われたことなかった。
家でも、学校でも。誰にも。
この声には家族や愛とは違う、ただ受け止めてくれる包容力があった。
『ねえ』
また、すぐ近くで声がする。
『今日も、頑張ったね、お疲れ様』
分からない、俺は頑張ってるのか?浮気しようとしてるやつが?
『大丈夫、ちゃんと見てるよ』
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
『眠れないならさ……このまま、一緒にいよっか』
少しだけ甘えるような声。
『寝るまで、そばにいるから』
その一言で……抗えなかった。
スマホを切ることも、動画を閉じることも、できなかった。
イヤホンをつけたまま目を閉じる。
ただその声だけが近くにある。
『いい子いい子……』
子供のとき以来、言われたことのない言葉。
もう年不相応な言葉。だけどいまはそれが安心した。
『大丈夫だよ、ひとりじゃないから……』
……ああ、ダメだこれ。めっちゃ気持ちいい。
気づけば、思考がゆっくり溶けていく。
罪悪感も、不安も、全部……薄れていく。
『……好きだよ』
そうしてどれくらい時間が経ったのだろうか。
気づいた時には、『配信終了』の文字が画面に映っていた。
「……」
静かな部屋。
さっきまであった声がもうない。なんだかやけに寂しい。
「……もう1回」
気づけば、あすまるのチャンネルのアーカイブを開いていた。
……なんだよこれ。
自嘲気味に笑う。でも、指は止まらない。
再生ボタンをポチッと押す。
そして思う。
……まあ、少しだけならいいか。
その少しがどこまで続くかも知らずに。
◯
気づくと朝になっていた。
「……寝落ちしてたか」
まだ眠い目を擦り、スマホを手に取る。
そこには一通の通知が来ていた。
『はっあーいアタクシ様よ♡お待ちかね次の共鳴体が決定しました♡次の浮気相手は〜どぅるるるるるる〜じゃん!配信者あすまるちゃん!んじゃ、頑張ってねぇ〜♡』
「……は?」




