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第70話

扉の向こう側から響く、重い破砕音。


それは宮殿の最奥、謁見の間にまで届くほどに近づいていた。怒号、金属の擦れ合う音、そして聞き慣れてしまった絶望の悲鳴。一歩、また一歩と、死の足音が近づいてきている。


それでもなお、アキトは深い意識の海を漂っていた。思考は冷え切り、感覚は麻痺している。もうすぐ、侵入者がこの部屋に踏み込んでくる。そして殺される。その未来を、アキトは驚くほど淡々と受け入れていた。


(……死ぬのは、初めてじゃない)


だからだろうか。


今では遠く昔のことのようにも思える前世の記憶。西ルガンのように死が日常の風景ではない、平和で安全な国の記憶。それでも死を決意したあの日に至るまで、感じた苦しさは鮮明に蘇ってくる。


死は苦しみから逃れるための福音のようにも思える。今の自分には「死んで当然だ」という確信すらある。


この国に転生し、第3代将軍アキト・カミシロとして目覚めてから今日まで、自分は何一つ成し遂げることができなかった。


国家運営において最高難易度の国、西ルガン。嘘、陰謀、暴力、飢え、病、そして死に満ちたこの呪われた土地で、彼はただ足掻き、その過程で関わったあらゆる人々を不幸のどん底に叩き落としてきた。村を焼き、人を殺し、味方さえも駒として使い潰した。己の能力を驕り、この国にもたらしたのは、救いではなく、より深い地獄だけだった。


(これで、いいんだ……)


自分が消えれば、この国の呪いも少しは和らぐのかもしれない。アキトがそう思い、完全に目を閉じようとしたその時。


「――カミシロ様」


すぐ傍らで、透き通った声がした。ぼやけていた視界が、一瞬だけクリアになる。隣を見れば、そこには凛とした横顔のミサキが立っていた。何を考えているかはわからない。だが、その眼差しはまるでアキトを慈しむかのようだった。


「大丈夫です。私たちが将軍様をお守りします。助けも……必ず来ますから」


ミサキの声は、穏やかで、まるで夜の海に捧げる祈りのようだった。彼女はゆっくりと、アキトの力なく垂れ下がった手に、自らの手を重ねた。


「大丈夫ですから……」


その瞬間、アキトの意識は、激しい衝撃を伴って現世へと引き戻された。その手は冷たく、何かに濡れ、そして、激しく震えていた。


彼女は常に感情を抑え、アキトに従順であり続けた。どんな状況であろうとも、彼女は静かな凪のようにそこにいた。仮面のような顔を常に貼り付けた彼女が理解できず、ミサキを恐ろしく感じることすらあった。だが、違った。彼女はアキトと何ら変わらないただの人なのだ。そして今、恐ろしいのだ。死が迫る恐怖。大切なものが壊される恐怖。それらに押し潰されそうになりながら、それでも彼女は「将軍の妃」としての仮面を被り、震える心を必死に隠して、他人であるはずのアキトを勇気づけようとしているのだ。


自分よりも遥かにか弱い、この女性が。自分のような、人を不幸にしかできない男のために。その「震え」が、アキトの心臓に直接触れた。


(……僕は、何をしていたんだ)


自分の罪を数え、感傷に浸り、死を待つ。それは、自分のために命を懸けている者たちに対する、最大級の冒涜ではないか。罪滅ぼしをしたいなら、地獄へ逃げる前にやるべきことがあるのではないか。


アキトは、重ねられたミサキの手を、反射的に強く握り返した。死んでいたアキトの瞳に、鋭い、冷徹な光が戻りかける。だがその直後、謁見の間の巨大な扉が、重量を伴った咆哮を上げてゆっくりと開いた。

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