第69話
一歩、足を踏み出すたびに、軍靴が吸い上げる返り血が重みを増していく。 ババは、硝煙と血の匂いが立ち込める回廊を、鋭い眼光で睨みつけながら進んでいた。
侵攻した首都防衛隊は、宮殿の奥に着実に進んでいる。どこかに潜む標的、アキト・カミシロを探して。出入り口は押さえた。電話交換室も最優先で抑えた。宮殿の構造上報知塔への到達には時間がかかる。電話を除けば報知塔は外界との唯一の連絡手段だ。宮殿の人員も最優先でそこを目指したはずだ。だが、どういうことか、鐘ははまだならない。
偶然か。それともパニック状態で宮殿の人員は誰も鐘を鳴らすことを思いつかなかったのか。
そんな幸運にも関わらず、宮殿の防衛体制の貧弱さに苛立ちを隠せない、矛盾した感情が沸々と湧いてきた。
(……いずれにせよ長くは持つまい。救援が来るのは時間の問題だ)
それまでに、任務を完遂せねばならない。
クーデターの後に将軍の座に座るつもりなど、毛頭なかった。自分たちが今行っているのは、聖戦ではない。ただの反逆であり、凄惨な殺戮だ。もし将軍を討つという大義を果たせたなら、その瞬間に自分も、そして付き従った四十七人の男たちも、等しく極刑に処されるべきだと考えていた。自らの命を「あとのない捨て石」と定義した男たちの足取りは、死神のように重かった。
進軍の途中、護衛の兵士と何度か遭遇した。だが、迷いを捨てたババ一行の物量と連携は、彼らを瞬時に屠った。ババにとって、最大の懸念は別にあった。護衛筆頭、ミオ。北部の集落で実際に目の当たりにした理屈を無視した異常なスピード。死角から影のように滑り込まれれば、何人の部下が命を落とすか分からない。ババは常に全神経を尖らせ、天井や曲がり角から来るであろう「最強の牙」を警戒し続けていた。
だが、実際に彼らの前に立ちはだかるのは、予想に反して、か弱い「盾」ばかりだった。 震える手で鈍器を握り、涙を流しながら叫び道を塞ぐ宮殿の女たち。見知った顔も多い。ババは彼女らを斬り伏せるたびに、胸の奥を焼かれるような不快感に襲われた。
(……何が、彼女らをここまでさせる)
将軍がばら撒く恐怖に縛られているのか。それとも、背後の家族を人質に取られているのか。 あるいは――あの暴君に、そこまでの人望があるというのか。 ババには理解できなかった。民を蹂躙し、焼き払い、己の欲望と恐怖で国を支配する男のために、なぜこれほど多くの無辜の民が死地に身を投じるのか。
「……すまない」
ババは、足元で息絶えた文官の瞳を閉じさせ、短く呟いた。
足取りが重くなるのを感じる。壁としてはあまりにも貧弱な彼女らの骸は、確実に彼らの足取りを鈍くさせていた。
だが慈悲は、この宮殿には不要だ。ここで立ち止まり、彼女らを救おうとすることこそ、最も無責任な偽善だと彼は知っている。顔に暗い影が差した隣の兵士の表情を見て、ババは語りかけた。
「迷うな。行くんだ。我々の罪を清算するのは、あの首を獲ってからだ」
回廊の曲がり角を抜けた瞬間、ババの視界が開けた。 人、人、人。廊下を埋め尽くすほどの障害物と、それを必死に支える人々。その最奥に、一際重厚な輝きを放つ扉が、威厳を保ったまま立ちはだかっていた。
謁見の間の扉。 軍人としての本能が、確信を持って告げている。 この「人の壁」の向こう側に、討つべき標的。将軍アキト・カミシロがいる。
ババは血に濡れた刀身を強く握り直し、最後の一歩を踏み出した。




