第68話
宮殿の静寂は、死を招く霧のように深く沈み込んでいた。
リョウカは五名の者たち――文官や給仕たちを伴い、息を殺して回廊を走っていた。彼女らの手には、先ほど武器庫からかき集めてきた数振りの古びた剣と、将軍専用の豪華な装飾があしらわれたライフル銃が一丁握られている。
リョウカの声は低く、だが鋼のような響きを保っていた。背後を付いてくる「部隊」の顔は蒼白だ。恐怖は伝播する。自分の声からそれが広まらないようにリョウカは自らの感情を必死に理性で縛りつけた。
目指すは、宮殿の北東に位置する報知塔。アナログだが、そこにある機械式の鐘で、異変があった合図を出せばいい。近衛兵団がすぐに救援に駆けつけるはずだ。
「宮殿の構造なら私たち以上に詳しいものはいないはずです。敵に遭遇せずに必ず辿り着けます」
その言葉通り、慎重に足音や気配を聞きながら、素早く報知塔を目指した。そして到着するとすぐに、リョウカは報知用の大きなレバーを力任せに引いた。手応えがない。虚しく空を切る感覚とともに、塔の頂上にある鐘は一度も揺れることなく沈黙を保ったままだ。ふと耳を澄ます。
「……音が、しない」
この宮殿の心臓部から常に聞こえていた、蒸気の噴き出す音や、巨大な歯車が噛み合う「悲鳴」が、跡形もなく消えていた。
「……単なる故障?それとももう壊された後か?」
確認する余裕はない。歯車が止まった理由は分からないが、確かなのは、この宮殿が完全に外界から遮断された「密室」と化したことだった。助けを呼ぶための「声」を、彼女たちは失ったのだ。
「……シノザキ様、いかがしますか」
後ろに控える女官の一人が、怯えた声で問う。リョウカは迷うように唇を噛む。だが、即座に翻った。
「電話も通じませんでした。ならば直接、外にいる近衛兵を呼びにいくしかありません。ついてきてください!」
侵入者の足音を迂回し、迷路のような廊下を抜けて、窓から正面玄関側の外部へと出た。ババが配置したと思われる二人の精鋭兵が、宮殿のうちと外を鋭い眼光監視している。正門までは距離がある。こちらはリョウカを含めて六名。だが、戦闘訓練を受けたのはおそらく自分だけだ。あとの五人は、まともな戦闘訓練すら受けたことのない一般人だ。
リョウカは五人を見据え、残酷な命令を下した。
「いいですか。私が合図をしたら、全員で一斉に門に向かって走ってください……兵士が追いかけてきても、誰かを捕まえて殺しそうになっても、振り返ってはなりません。門を開けて、一人でもいい。外に。近衛兵に会うまで走り続けてください」
全員震えている。だが、覚悟を決めた目で頷いた。
「私はこの銃で援護します……行きます!」
死の予感を振り払うような、短い咆哮。 リョウカの合図とともに、五人の女性たちが一斉に影から飛び出した。 同時に、リョウカも柱の陰から身を乗り出し、ライフル銃を構えた。
飛び出した五人にすぐに気づくと、二人の兵士は門までの進路を塞ぐように走った。
五人は鋭い刃物に怯え、足が鈍る。
リョウカはそれを勇気づけるかのように、轟音とともに鉛の弾丸を放った。
兵士の一人に命中し、鮮血が石畳を濡らす。
想定外の反撃に敵は一瞬怯んだ。その一瞬のうちに五人は兵士のところに到達する。撃たれた兵士が剣で刺され、もう一人は引き倒された。だが、そこまでだった。兵士は、短刀で深く飛びかかった女性たちを突き刺す。 「ぎゃあああ!」 悲鳴が上がる。だが、刺された女性たちは離れなかった。彼女たちは自らの血で滑る手で、兵士の足や腕を必死に掴み、その場に縫い止めた。残りのものたちは鉄門の解錠レバーを操作する。
ライフル銃の装填が間に合わない。リョウカは叫びながら抜刀し、加勢に向かった。カチリ、と重い音が響き、門がわずかに開く。その間、押さえていた二人を振り切り、兵士は門の女たちに切り掛かった。あっという間に全員が傷を負う、だが、そのうち一人。給仕が二の腕の傷を必死に押さえながら、開いた門の隙間から外へと滑り込んだ。
「振り返るな!走れ!!」
止めようとしていた兵士にリョウカが後ろから切りかかった。走り去る背中を見送りながら、リョウカは兵士にトドメの一太刀を見舞った。
2人の死と2名の重症を対価に、一人が宮殿の敷地を飛び出した。その背中に微かな希望を託し、リョウカは再び宮殿の中に駆け戻った。




