第65話
正門を抜け、宮殿へと続く石畳の回廊を、ババ達は静かに進んでいた。長く続いた隔離のせいで、冬の厳しい寒さにも関わらず雑草が至る所に生えている。道路の雪は積もったままで、車はとても通れそうにない。国の中枢ですらまともに管理ができないその惨状は、将軍アキトに対する軽蔑をさらに強めた。分厚い軍服の内側には、研ぎ澄まされた短刀が、主人の指先が触れるのを静かに待っていた。彼に続く47名の男たちもまた、重い外套の下に、ピストルや、抜き身の刃を潜ませていた。
宮殿の入り口、精緻な彫刻が施された巨大な大理石の玄関ホールの前には、一人の老いた文官が立っていた。何の疑念も抱いていない。文官にとってババは良く知っている、信頼に足る実直な軍人であったからだ。
「ババ隊長。大変ご無沙汰しております……まったく例の感染症のせいで、長年見知った友も他人のように感じられますな」
「ご無沙汰しております、文官殿。ずいぶん長い間、宮殿に来ていなかったから、久しぶりで、身が引き締まるような思いです」
「それにしても、今日はずいぶん多いですね。将軍様とお話しするのは百戦錬磨のババ隊長でも心細いということなのでしょうか?」
文官は眼鏡の奥の目を細めて言った。その声には、旧知の友人に対する親愛と、少しばかりの茶目っ気が混じっていた。
「大勢で押しかけてしまってすみません。もう10年以上首都の郊外にいますので、宮殿に用事があると言ったら、子供のように皆ついてきてしまったのです。手入れされた庭や細かい装飾を見るだけで喜ぶ田舎者達です。将軍様に迷惑がかからないように中庭でちゃんと待たせます」
ババの声は、深く、穏やかだった。
「それは良いことです。首都防衛隊の皆様の日頃の苦労を思えば、それくらいの役得はあっても良いでしょう……中庭でお待ちいただけましたら、あとでお茶とお菓子を持って来させましょう。シノザキ副官に気付かれれば、お小言をもらってしまうかもしれませんが。なあに、私の方で、うまく話を通しておきますよ」
文官は屈託ない笑顔をババに向けた。ババも笑顔で応じた。先代の将軍の時から仕えてきた文官。多少言いづらいことや、無理なこともこの文官がうまく将軍に伝えてくれたこともある。
「助かります」
文官は本殿へ続く巨大な玄関の取っ手に、皺の寄った手をかけた。 彼が背中を向け、重厚な扉をゆっくりと押して開く。
「どうぞ。中に」
「……申し訳ございません」
短く、沈痛な、だが揺るぎない響き。 文官がその言葉の真意を問おうと振り返るよりも早く、ババの右手が軍服の内側から鋭利な短刀を抜き放った。 一閃。冷たい刃は文官の胸を正確に付き、鼓動し続けていた心臓を深く貫いた。
「あ……」
文官は悲鳴を上げることすらできなかった。彼の体はゆっくりと、抗うこともできずに本殿の中へと倒れ込んでいく。豪華な玄関ホールの絨毯の上に、老いた文官の骸がゆっくりと転がった。
昼食の準備を整えていた給仕がたまたまその凄惨な光景を目の当たりにしていた。運んでいたスープの入った磁器が手から滑り落ち、砕ける音とともに、宮殿の静寂を切り裂くような悲鳴が上がった。
「キャアアアアアアアアッ!」
その悲鳴を合図に、ババは血に濡れた短刀を強く握り直した。彼の背後で、四十七名の男たちが一斉に外套を脱ぎ捨て、隠し持っていた武器を抜き放つ。
ババは部下達の方を向くと、彼らの指揮を高めるように力強く指示を出した。
「総員、傾注!手筈どおり、各出入り口に2名ずつだ。クモ一匹外に出すな。外の連中に何も気付かせるな。残りは私に続け。無用な殺生はするな。抵抗せぬ者には手を出すな。我らの目的は、国を死に至らしめる毒を断つことにある」
ババは部下たちに言い聞かせ、だがその瞳に反乱を完遂する冷徹な炎を灯して続けた。
「敵は西ルガン第3代将軍アキト・カミシロ。民の殺戮を行い、憎しみを撒き散らす暴君だ。躊躇はするな……邪魔をする者は、全て敵だと思え」
四十七人の影が、一斉に玄関ホールへと雪崩れ込んでいく。 北風が吹き抜ける、平和だった昼下がりの宮殿は、一瞬にして、断末魔と軍靴の音が反響する地獄へと変貌した。
絶えず悲鳴をあげていた歯車の音は、限界を超えて軋み、鋭い割れるような音を立てて、完全に止まった。後に残ったのは、血の匂いと、冷たい冬の静寂だけだった。




