↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/75

第64話

 冬の太陽は高い位置にあり、宮殿の白い石畳を容赦なく照らし出していた。


 正午を告げる鐘の音が遠くで響き、正門に続く検問所の近くで僅かに昼食のスープを煮込む匂いが漂ってくる。一日のうちで最も空気が弛緩し、警備にあたる近衛兵達の意識が空腹と休息に向かう時間帯だった。


 通るものといえば、友好国の使節や、食糧や物資などを運び込む馴染みの業者。そして、雲の上の人々である将校や官僚たちだけだ。この国で将軍アキト・カミシロに危害を与えようとする不届き者などいるはずがない。そんな平和すぎる後方警備に対して、割かれている人員はあまりにも多い。東ルガンとの国境の守備に回すべきだ、と上官が不満を堂々と口にしていた。この守備の体制を決めたのは将軍様のはずだ。それに対する不満は反逆罪も同然だ。通報をすれば死罪に追いやれるだろう。だが、忙しそうにしていれば、愚痴を聞かされるだけで、理不尽な仕事を振られることはない。上官としては悪くないのだ。同じ部品を磨くのは今日だけで三度目だが、それに気づく様子もない。意識が完全に昼食に向き、うわの空であろうと、適当な相槌さえ打っていれば、咎められることもなかった。


「……ん? あれは?」


 隊士の一人が、遠くから近づいてくる一団を見つけた。 軍の制服。先頭を歩くのは、その筋骨逞しい巨躯で知られる隊長のババだ。 近衛兵たちは、特に緊張を見せることはなかった。ババ隊長はこの宮殿の常連であり、軍会議際には毎度宮殿に出向いている。長引く隔離のために姿を見るのは久しぶりではあるが、その顔を知らないものはいなかった。


 だが、その一団が門の目前まで迫った時、門番たちはわずかな違和感に眉をひそめた。 ババの後ろに続く人数が、明らかに多すぎる。十人、二十人……。50名近い首都防衛隊の制服が、軍靴の音を一つに揃えて門前に整列した。


「ババ隊長。ご無沙汰しております」


 上官が、砕けた敬礼をしながら歩み寄った。


「本日お越しになることは伺っておりますが……お一人ではなかったのですか? 事前の通達ではお連れ様のことは伺っておりませんでしたが」


 その問いに対し、ババは目を細め、重々しく口を開いた。


「ああ。……すまない、こいつらも先日、北部の戦線で将軍様と苦楽を共にした者たちでな。今日宮殿に行くと言ったら、一度で良いから宮殿を見てみたい。そして、将軍様に敬意を表したいと、皆ついてきてしまったのだ。君も上官ならわかるだろう。部下の熱意を無下にするわけにもいくまい?」


 ババのその言葉について来た部下たちはバツが悪そうに互いを見る。それを見るや、ババはもっともらしい理由を付け加えた。


「それに、宮殿の防衛体制は実に見事でな。直に見ておくことも、彼らにとっては良い経験になる……そう思ったのだ。許してもらえるかな、上官どの?」


「……承知いたしました。そうしましたら、規定により、武器はお預かりの上、念のため隠した武器がないか身体検査を……」


「なんだ、随分と堅苦しいことを言うな」


 ババが一歩踏み出した。その巨躯から放たれる圧倒的な威圧感に、近衛兵達は思わず息を呑み、足がすくんだ。ババの背後に控える四十七名の男たちも、沈黙したまま鋭い眼光を近衛兵たちに突きつける。


「我々はつい先日まで、泥を啜りながら将軍様と並んで死線を潜り抜けてきた仲だぞ。それを、外国の使節風情のような扱いを受けねばならんのか?」


 ババの野太い声が、正門前の空気をピりつかせる。


「それとも何か? 我々の中に、よもや不逞の輩が紛れているとでも言いたいのか」


 防衛隊の面々が腰の刀に手をかける。それに呼応して近衛兵たちも一斉に銃をババに向けた。


「い、いえ! 滅相もありません。ただ、我々も任務ですので……」


「任務、か。結構なことだ。すまないな。こいつらは皆首都の外出身の田舎者ばかりでな。血の気が多くて困っているのだ。きっとお前たちのような勤勉な兵士に守られて、将軍様も心強いだろう。おい」


 ババの背後に立つ男たちが、一斉に前へ踏み出し、腰につけた剣や、ライフル銃をおろし、近衛兵達に差し出した。ババ隊長も同じように刀を外し、目の前の兵士に渡す。


「……これで良いだろう?……無くしてくれるなよ。大切なものなんだ」


「大変ご無礼を申し上げました!おい!開門!」


 上官の号令とともに、頑丈な鉄の門がゆっくりと左右に分かれていく。


 緊張が解かれ、近衛兵たちの表情にも笑顔が戻った。


「恩に着るよ、上官殿」


 ババは短く答えると、再び前を向いた。首都防衛隊の男たちが、近衛兵たちの間を悠々と通り抜けていった。


 軍靴が石畳を叩く音が、宮殿の奥へと、吸い込まれるように消えていく。 正門を通り抜けた一行の背中を見送りながら、近衛兵たちは「ようやく仕事が終わった」と言わんばかりに、昼食の準備に取り掛かった。


 北風が吹く寒空の中、空は青く、どこまでも澄んでいる。 宮殿はこれ以上ないほど平和な、まどろみの中にあった。だが、その門を開けた瞬間、西ルガンという歴史の時計の針は、もはや後戻りできない位置まで進んでしまった。  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。