第60話
西ルガンの心臓部、宮殿の地下深くでは、巨大な蒸気機関が絶え間なくその命動を刻み続けていた。 無数の歯車が噛み合い、蒸気を吐き出し、国家のインフラを支えるその音は、かつては完璧な規律を象徴する精緻な律動であった。だが、今のその音には、不快な雑音が混じっている。 時折、金属同士が悲鳴を上げるような甲高い摩擦音が響き、それは次第にはっきりと、今にも何かが破綻して壊れそうな末期の音へと変わりつつあった。
北部の集落で起きた「地獄」の噂は、風よりも早く国中に伝播した。 家ごと人を焼き、抵抗する者を肉塊に変える惨劇。実は、これまでも似たような「処理」は行われてきた。だが、これまでは住民たちが恐怖のあまり口をつぐむか、あるいは目撃者が一人残らずリョウカの手によって「処理」されてきたため、真実が表に漏れることはなかった。
だが、今回は違った。 惨状を目の当たりにし、死に物狂いで逃げ帰った近隣の村人たちがいたのだ。 精神を病み、戦意を喪失したミオ。罪悪感の深淵に沈んだリョウカ。そして魂が抜け落ちたアキト。誰も、逃げ惑う彼らを追撃し、口を封じる余力など残っていなかった。 生き残った者が語る「カミシロの業火」の物語は、凄惨な尾ひれをつけて全土へ拡散された。
皮肉なことに、その恐怖は国家を管理する上では劇的な成果を上げた。民衆は震え上がり、政府が強いる厳格な隔離命令を、病的なまでに遵守し始めたのだ。感染者の報告は驚くほど少なくなっていった。だが、それは平和への前進ではなく、権力の暴走に魂を屈服させた、絶望的な沈黙の結果に過ぎなかった。その出来事は、西ルガンという国に、決して消えない浅くない爪痕を刻みつけた。
数日後。宮殿の重厚な正門前には、将軍一行の帰還を迎えるため、宮廷の文官や兵士たちが整列していた。首都の住民たちは、いまだ続く厳格な隔離措置によって家々に閉じ込められており、広場は異様なまでに静まり返っていた。帰還する将軍の一行にもまた、感染の恐れがある。隔離措置に従えば、出迎える必要はない。だが、非礼を働けば粛清される。その恐怖が宮廷の人々を出迎えのために並ばせた。
だが、現れた一行の姿に勝利の凱旋に相応しい誇りも、秩序を取り戻した安堵もなかった。
最初に見えたのは、護衛筆頭のミオだった。 かつての彼女は、獲物を狙う猛獣のような、触れれば切れるような鋭い生命力に溢れていた。だが、今の彼女の瞳には光がなく、濁り、焦点はどこにも合っていない。足取りは糸に操られるようにどこかチグハグで、まるで行き先を失った亡霊が、ただ慣習に従って足を交互に前に出しているだけのようだった。
続いて現れたシノザキ副官、リョウカもまた、別人のようだった。常に軍規そのもののようにピンと張られていた背筋は微かに丸まり、視線は地面の石畳に固定されている。一歩踏み出すたびに、自分が踏み越えてきた命の数を数えているかのような、痛々しい足取りだった。
そして最後。 兵士たちに囲まれ、馬車を降りたアキト・カミシロ。恐怖に屈しながらも、国や民衆の危機に立ち上がった西ルガンの将軍。その面影は、その虚ろな表情のどこにも存在しなかった。
「……おかえりなさいませ、カミシロ様」
ミサキは穏やかな、いつも通りの微笑みを浮かべてアキトの前に歩み出た。 だが、アキトの視線が彼女を捉えることはなかった。彼の瞳はミサキを通り越し、何もない虚空を見つめたままだ。
アキト、リョウカ、そしてミオ。 三人は、まるでミサキという存在がそこにいないかのように、集まった文官たちの横を無機質にすり抜けていった。 挨拶も、労いも、現状報告すらもない。宮殿の奥へと消えていくその背中に向かって、人々は跪くことすら忘れ、ただただ言葉を失って立ち尽くしていた。
西ルガンを動かす巨大な歯車が、終わりを告げるような不快な悲鳴を上げ、さらに大きく歪んだ。その亀裂が修復不可能なレベルに達していることに気づいている者は、まだ、少なかった。




