表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/74

59話

 北方地域で地獄絵図が描かれていたその頃、首都の地下深く。


 暗く湿った、鉄の匂いのする部屋で、カツロウの意識を覚醒させたのは、冷たい水ではなく、頬を打つ硬い軍靴の感触だった。


「……起きろ、爺さん。寝ている暇はないぞ」


 低い、感情を削ぎ落とした声。顔を上げると、そこには見慣れぬ軍服を纏った男たちが立っていた。

 リーダー格と思われる男が、冷淡な眼差しでカツロウを見下ろしている。


「俺たちが誰だかわかってるのか……? 将軍様の客人だぞ。ふざけた真似をすれば、将軍様が黙っていないだろう」


   カツロウは掠れた声で威嚇したが、男は鼻で笑った。


「我々は軍開発局のものだ。将軍様が気まぐれに拾い上げた『泥の専門家』の命など、この国の存立に比べれば羽毛よりも軽い。閣下には『不慮の事故』が起こったとでも言っておけば済む話だ」


 カツロウは隣を見た。そこには、一緒にナギアから無理やり連れてこられたケンスケが顔面蒼白で椅子に縛り付けられている。


「軍の開発局がなんの用だ。俺たちは土のこと以外、何もわからないぞ」


 目も合わせず、制服についた汚れを払いながら、開発局と名乗った男はつまらなそうに答えた。


「確かに我々は土なんぞに興味はない。我々が興味があるのは、敵を打ち砕き、敵国に多大なる損害を与える兵器。ただそれだけだ。『白霧シロキリ』の作り方を教えてもらおうか」


 その単語が出た瞬間、カツロウの背筋を氷のような寒気が駆け抜けた。


  「白霧だと……? あんな呪われた兵器に手を出して、何のつもりだ」


「我が国のさらなる栄光のためだ。東ルガンの腐った兄弟ども。かつて我々の大地を踏み躙り、今やノヴァの犬と化したお前達の母国。そして、お前達の飼い主のノヴァの糞どもにお見舞いしてやるのだ。早く教えろ」


  「……知るわけないだろう。あれが作られたのは先の大戦の時だ。関連資料はとっくに焼却されている。見たことも聞いたこともない」


「とぼけるな。白霧を作るには土の中の特定の有機物を特定の割合で配合する必要があることはわかっている。その開発に携わっていたのは、お前たちがいたナギア国立土壌環境研究所だということは調べがついている。八十年前だろうが関係ない。その技術の系譜を継いでいるのはお前たちなら何か知ってるだろう」


「知らん。白霧の研究は敗戦後禁忌に指定された。研究は封印され、関連資料は全部燃やされた。誰も知ってるはずはねえ」


「……お前なら先輩から何か話くらい聞いてるだろ。早く言え、爺さん。十秒以内に言わないと、痛い目に遭うぞ。十、九、八……」


「勝手にしろ。知らねえものは、知らねえんだ」


 カツロウが吐き捨てた瞬間、男の拳が彼の顔面を捉えた。 視界が火花を散らし、激しい衝撃とともに口の中に鉄の味が広がる。


「知らないか。それならば新しく作れ」


 血を吐き出しながら、カツロウは残ったすべての力を込めて一喝した。


「白霧に……あんな忌々しい呪われた兵器に関わるくらいなら、死んだ方がマシだ! 殺したいなら殺せ! 俺は、土を人殺しの道具にするために生きてきたんじゃない!」


 一瞬、静寂が流れた。


「なかなか骨がある、爺さんだな。こっちの若い方はどうかな。ちょっと歌わせてみようか」


 男はケンスケに歩み寄ると、彼の胸ぐらを掴み、もう拳を振り上げる。その瞬間


「待って! 待ってください! 知ってます! 僕が教えます!」


 ケンスケは狂ったような叫び声を上げたのは、ケンスケだった。


「ケン坊! てめぇ! 口を閉じてろ!」


「いやだ!死にたくない!僕は死にたくない!」


 泣き叫ぶ弟子の姿を見て、カツロウは力が抜けていくのを感じた。


 男はわざとらしく驚いたような表情を浮かべた。そして、ニヤリと笑い、残酷につげた。


「ガキの方が知ってるなら、爺さんは要らないな。このまま話して、告げ口されても面倒だ」


 ああ、終わったのだ。自分の命も、そして自分が守ろうとした秘密も。 男が銃を構える。カツロウは静かに目を瞑った。


 不思議なものだ。死の間際、脳裏に蘇ったのは土の匂いではなく、とうの昔に捨て去ったはずの家の光景だった。  女房。そして、息子の姿だった。


(なんで……あいつらのことを、思い出さなきゃならねえんだ……)


 家族仲は最悪だった。若い頃から研究と仕事に明け暮れ、家庭を顧みなかったツケだ。女房とは十数年、まともな口を聞いていない。息子は……どこか、あの将軍アキト・カミシロを彷彿とさせた。礼儀正しくも、自分の本心は隠してしまう。常に不安を抱えながらも、いつの日か何か大きなことを成し遂げようと偉そうな口を叩く。自分の理想ばかりを追う軟弱者の息子。彼ともまた、絶縁同然の状態だった。


 人の気持ちなどわからなくていい。土の声が聞こえれば、それで満足だった。なのに……


「……なんで、今更あいつらのことを、思い出すんだろうな」


 カツロウの目から、熱いものが頬を伝った。

 それは恐怖でも悔恨でもない、もっと得体の知れない情愛だった。


「飯……ちゃんと、食ってるかな」


 それが、放たれた弾丸がカツロウの意識を断つ前に残した、最後の言葉だった。


 __________

 第三章 完

 __________


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ