57話
アキトの姿をその瞳に捉えた瞬間、リョウカの表情が凍りついたように大きく見開かれた。
「カミシロ様……? いけません。どうして、どうしてここに」
そう言いながらも、彼女の口元は微かに震え、歪んだ。
張り詰めていた何かが決壊したかのように、その瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「サラから聞いたんだ。反乱の兆候があるって……君を助けるためになるべく多く兵士を連れてきた。君は無事か?」
「問題ありません。私よりも……カミシロ様は早くここを離れてください。今、感染者の処理を急がせています。万が一にも、将軍様に感染しては大変です」
リョウカが口にした「処理」という言葉。その不吉な響きが引っ掛かり、アキトの視線はようやく周囲に走った。
そこで行われていたのは、文明社会の感染対策とはかけ離れた光景だった。憲兵たちが民家の窓や扉に太い木の板を打ち付けている。内側から扉を叩く音や、絶望的な悲鳴が響くが、兵士たちは冷徹に釘を打ち続けていた。それを止めようとする村人たちを、殴り飛ばし、力ずくで押し戻している。
「リョウカ……あれは、何をしているんだ」
「隔離です。家から出るのを物理的に止めています。もう間もなく、全棟の閉鎖が完了します」
あまりに恐ろしい、そして恐ろしいほどに合理的なやり方だった。これならば、感染者が外に出ることは物理的に不可能になる。だが、リョウカが静かに手を挙げ、振り下ろした瞬間に、その思考が完全に停止する。
松明を持った憲兵たちが一斉に、板で塞がれた民家へと近づいていく。
「リョウカ、あれは……」
「処置です」
その一言には、ゾッとするほどの拒絶の色があった。 感染すれば最後。致死率は極めて高く、この時代の医学では治る見込みなど皆無だ。同じ屋根の下に住む家族ならば、すでに感染している可能性が高い。遺体を運べば感染が広がる。ならば、どうすれば安全に感染の連鎖を絶てるのか。
――閉じ込めて、家ごと焼く。
それが、リョウカが導き出した「正解」だった。次々と民家に火が放たれる。乾燥した冬の夜気に煽られ、火勢は瞬く間に強まった。内側から上がるのは、病の苦しみではない、焼き殺される者の断末魔の叫び。
その叫びを呼び水に、村人たちが甲高い叫び声を上げ、死に物狂いで憲兵団に襲いかかった。
「行け!!」 ミオの鋭い叫びが響く。彼女は背中の電動刃を駆動させ、地面を蹴った。
一拍遅れて、宮殿から連れてきた近衛兵達がそれに続く。そして躊躇するようにしながらも、圧倒的に数で劣る友軍を支援するために首都防衛隊の兵士たちが前線に走り出した、闇夜の中で回転刃が村民の農具にぶつかり、火花が上がる。血飛沫が宙に高く上がる。そして、次々と悲鳴が上がった。
だが、その狂気の中で、アキトとリョウカだけは二人別の世界にいるかのように静かに対峙していた。
「リョウカ……これは……」
「……最初は、違ったのです」
火の粉が舞う中、リョウカは虚空を見つめながら淡々と語り始めた。
「最初は説得しました。家に戻るよう呼びかけました。ですが、彼女らは言うことを聞きませんでした。石を投げ、唾を吐きかけようとした。……だから、見せしめに閉じ込めました。わずかな隙間を作り、そこから食料を差し入れて。ですが、そこから感染が漏れました。また、亡くなった者をどうしても弔いたいと言われ、それを許した私の甘さがさらに病を広めてしまいました……」
リョウカの瞳に、赤黒い炎が反射する。
「より厳格な対応を行うと、村人はますます怒り、暴徒と化しました。抑えきるには人数が足りなかった……考えたのです……もしカミシロ様なら、どうなさるか。私の頭の中で、あなたが仰ったのです。『合理的に考えろ。閉じ込めて、感染者を家ごと燃やせば、感染は増えないと』と」
「……っ、僕は、そんなことは」
「これは効果的でした。憲兵の恐ろしさが伝われば、皆、隔離を守るようになった。見せしめに家を焼けば、誰もが口をつぐみました。反乱が起きても、即座に鎮圧しました。……そして、反乱に関わった者たちもまた、殺して焼きました」
アキトは言葉を失った。何も喋れない。肺が煙を吸い込み、拒絶反応で喉が震える。
「以来そのような処置を必ず行うようになりました。この処置に反対するものは、カミシロ様に反対するものに等しい。カミシロ様に石を投げたものと、反乱を行った村のものたち……食料の減少を不正で隠した役人……そして、いつだったか、こともあろうにカミシロ様に窮状を訴え、困らせようとした村長と同じ、西ルガンの敵です。」
止まっていた思考が、パズルをはめるように、急速に色がつき始めた。
石を投げられた。だが、あの時ミオや兵士たちに村人を殺すように命じたのは、確かにリョウカだった。
アキトが命じた「不正に関わった者たちの処分」。それはあくまで、罰金や降格、公的な処罰のつもりだった。それを彼女は『殺せ』と解釈したのだ。
キタハラ村長。宮殿を訪れ、アキトに涙ながらに訴えたあの老人もまた、リョウカの手によって消された犠牲者の一人だ。
今まで何人殺してきたのだろうか。冷たい汗が、アキトの全身を駆け抜ける。最悪の推測が、震える唇から漏れ出た。
「……レイジを……兄さんを殺したのも……君だったのか」
止めなく響く悲鳴の音はもはや耳に入らない。パチパチと弾ける家の建材の音も耳に入らない。
ただ、蒸気機関がほとんどない地方の集落にあって、歯車がゆっくりと砕ける音がした。




