55話
護衛としてついてきた澪を伴い、数ヶ月ぶりにくぐった宮殿の正門。その外側に広がる景色は、アキトが記憶していた西ルガンの首都とは似ても似つかぬものに変貌していた。
かつては活気に溢れ、人々の怒号すらどこか生命力を感じさせた街並みは、今や冷たく湿った静寂に支配されている。隔離という名の鎖が、この街の喉元を締め上げているのだ。
車を出すことも検討した。だが、いざ外に出てミオと歩き始めると、それが不可能なことはすぐに理解できた。道路は整備が完全におざなりとなり、アスファルトの亀裂からは冬の雑草が顔を出し、放置された荷車や瓦礫が至る所で道を塞いでいる。 車は出せないし、馬に乗る自信はない。取れる選択肢は徒歩のみだった。将軍という職位に到底似つかわしくない泥臭い行軍が始まった。
歩き始めて10分。近衛団の検問所に差し掛かった。 宮殿を守るための強固なバリケード。そこを固める近衛兵たちは、内側――つまり宮殿側から徒歩でやってくる二人組に、最初は不審な目を向けた。だが、先頭を歩く男の顔を認めた瞬間、場に戦慄が走った。
「……カミシロ将軍? まさか?」 「将軍様! 将軍様であらせられますか!」 兵士たちは慌てて武器を置き、石畳に膝を突いた。宮殿の奥深くに鎮座しているはずの「雲の上の人」が、護衛を一人だけ連れ、泥で服を汚しながら歩いている。そのあまりに異常な光景に、現場はパニックに近い驚きに包まれた。
「シノミヤ局長はどこだ。彼女がここを通ったはずだ」
アキトが努めて冷静に問うと、分隊長と思わしき男が震える手で一通の封筒を差し出した。
「はっ……局長からは、もし将軍様がここを通られたらお渡しするようにと、以前手紙を預かっておりました」
アキトは封を切り、中身に目を通す。そこには憲兵団の正確な所在地と、そして簡潔で冷徹な一筆が添えられていた。 『大規模な反乱の兆候あり。リョウカもここにいる。』
血の気が引くのを感じた。リョウカが、一人でその暴風の中にいる。
「指揮官と話せないか。我々と共にこの手紙にある地域に来て欲しいんだ」
アキトの言葉に、検問所の責任者は難色を示した。
「申し訳ございません。我々の任務は宮殿の警護。ここから動くことは致しかねます」
その言葉にミオの顔色が変わった。
「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと責任者呼べよ。誰だ?近衛兵の隊長か?」
「… 近衛兵は宮殿護衛官の配下にあたる部隊でして、厳密に申し上げると、その護衛官筆頭が責任者にあたるそうです。我々もそれがどなたか存じ上げないのですが、その方の指示がなければ…」
ミオは目を丸くして、自分を指差した。 「筆頭護衛官……って、あたしじゃん……へぇー、あたしってそんな偉かったんだ。」 彼女は一瞬だけ驚いた顔を見せたが、すぐにその口角を吊り上げた。そして目を丸くする近衛兵達に対して怒鳴り始めた。 「おいてめぇら。将軍様以上に守らないといけないものがあんのかよ。今すぐ動けるやつは全員呼んでこい!これは『命令』だよ!」
こうして百名ほどの近衛兵を従えたアキトの一行は、さらに首都の幹線道路を北上した。 その道中で、首都の外郭を固める首都防衛隊の拠点に差し掛かった。
「……将軍様。宮殿の外でお会いすることになるとは思いませんでした」 隊長のマサヨシ・ババはすでに進軍する将軍の一行について報告を受けていたのか、凍えるような冬空の下でアキトを待ち構えていた。その立ち姿は岩のように頑強で、発せられる声には一分の隙もない。アキトに対する敵意はないが、同時に信頼もまた微塵も感じられなかった。
「ババ隊長。単刀直入にすまない。憲兵団が展開している村で民衆の暴発が起きようとしている。憲兵団だけで抑えきれるかわからない。首都防衛隊にも同行いただけないだろうか」
アキトの言葉を聞き、ババは深く、長く沈黙した。その沈黙は、アキトの覚悟を計る天秤のようだった。
「……将軍様。我が部隊は首都の防衛のために存在しています。配置から動けば、首都の防衛が手薄になってします。」
アキトはババの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「もちろん理解はしている。だが、今戦争状態にあるのはアウリス帝国だけだ。その戦場は西の彼方だ。民衆の暴動を放置すれば拡大し、首都が脅かされる可能性がある。暴動が兆候で済むうちに、なんとかおさめたい。頼む。力を貸してくれ」
ババはアキトの瞳をじっと見据えた。一瞬の迷いの末、頷いた。
「……承知いたしました。同行いたしましょう」
ババの言葉とともに、四百名の隊員が合流した。
こうして、総勢五百名にまで膨れ上がった軍勢が、冬の荒野を行進し始める。
背後に響く、規則正しい五百人分の足音。それは、アキトが初めて背負った「命の重さ」そのものだった。
「……待っていてくれ」
砂塵に巻かれながら、アキトは急ぎ集落へと向かった。




