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54話

 サラが去った後、アキトは夜通し、同じ場所を何度もぐるぐると回り続けていた。


 リョウカを助けに行きたい。だが、もし自分が感染したら。ミサキの立場はどうなる。護衛のミオまで危険に晒すのか。思考は常に、自分を納得させるための「正当な言い訳」へと逃げ込んでいく。結局、一睡もできぬまま夜が明け、昼が過ぎた。


 そして、サラの再訪から丸一日が経った、翌日の夕方のことだった。


「アキト様。サラ局長だよ。面貸せってさ」


 扉の外から、昨日と全く同じ、能天気なミオの声が響いた。その無邪気な呼び出しが、今はひどく残酷に聞こえた。


 重い足取りで正門に向かうと、鉄扉の向こう側からピシャリと書類を入れたフォルダが閉じる音がした。いつもよりその音は鋭く、目の前で心を閉ざされたようにも感じられた。


「……リョウカちゃんを見捨てる、いうことでええのかな」


 覗き窓越しに投げられた声は、鋭いナイフのようにアキトをえぐった。


「見捨てたわけじゃない! でも、今は感染するわけにはいかないんだ。リョウカの想いを踏みにじることになるし、ミサキだって……僕が死ねば彼女は守れない。ミオだって、護衛として付いてくる彼女を感染させてしまったら、誰が責任を……!」


 溢れ出したのは、昨日から溜め込んできた情けない言い訳の羅列だった。そんなアキトを、サラは侮蔑すら混じった沈黙で切り捨てた。


「えらい賑やかなこと。将軍様。……ほんなら、もういいですわ」


 サラはさっと背を向け、歩き出した。


「待て! それだけか……!?」


  「もっと欲しい? ほな、もう一個だけ言わせてもらいますわ。……ミサキちゃん? ミオちゃん? リョウカちゃん? 笑わせてくれますわ」


 彼女の声が、地を這うように冷たく響く。


「目の前の女の子一人も守れんいくじなしが、二人も三人も守れるわけないやろ。……ましてや、一千万の民を守れるわけもな」


 それが最後だった。サラは二度と振り返ることなく、夕闇の向こうへ消えていった。


 しばらく立ち尽くしていたアキトは、棒のように重い足を引きずり、自室へと戻った。そこには、昨夜の沈黙を纏ったままのミサキが立っていた。


「ミサキ……」 アキトの声は震えていた。考えがまとまらない。何も言葉が続かなかった。ミサキはそれを、静かな眼差しで受け止め、待った。そして、言葉がこれ以上出てこないことを悟ると、静かに語り始めた。


「もし、私の心配をしてくださっているのなら……大丈夫です」  

 彼女の優しさが、今は余計に辛かった。


  「でも、僕に何ができるっていうんだ」


「カミシロ様は、将軍です」


 強い口調だった。だが、まだアキトの心には火が灯らない。


  「……自信がないんだ。今までだって、全部間違えてきた気がする。僕は、正しい道なんて選べない」


 それに対して、ミサキは慈しむような、けれど揺るぎない確信に満ちた微笑みを浮かべた。


「選ばないことも時には正しく、より勇気がいる決断だと私は思います。ですからカミシロ様は、どこにも行く必要はありません。」


 ミサキは一歩、アキトに歩み寄った。


「でも……もし行くことを選んでも、帰る場所はなくなりません。カミシロ様の居場所は私が守ります。……カミシロ様は、必ず戻ってきます。そう信じていますから」


 絶対的な信任。その言葉が、アキトの胸の奥深くに突き刺さった。偽物の皮の下で震えていた心に、不思議な力が満ちていく。


 この世に転生した時、初めて会ったのはリョウカだった。彼女が怖かったこともある、避けたこともある。それでも、自分のために死地に向かった彼女を、自分を「主君」と信じて戦う彼女を見捨てることだけは、やってはならない。もしここで逃げれば、自分の培ってきた倫理観が、人として大事な何かが、永久に壊れてしまう気がした。


「……行ってくる」


 迷いを振り切るように、アキトはそう応じた。ミサキは深く、誇らしげに一礼する。


 決断はあまりにも遅すぎたのかもしれない。もう手遅れかもしれない。


 それでもアキトは、鉄の門の開門を命じた。


 感染病の報を聞いてから数ヶ月。アキトは初めて、宮殿の外へと踏み出した。

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