第42話
宮殿の中庭は、熱気に包まれていた。
アキトの「総動員」の号令は、停滞していた巨大な機構を無理やり揺り動かした。これまで「将軍」という記号を遠巻きに眺めていた宮殿の人員たちにとって、自らが泥を被るという主君の宣言は、戸惑い以上に奇妙な高揚感をもたらしていた。
中庭には、数百人規模の人員が集結している。
一方は、リョウカが統率する宮殿の護衛や官僚たちの集団だ。整然と荷馬車に鍬や資材を積み込み、鋭い規律を保っている。
もう一方は、ミサキが差配する給仕や料理人、宮殿の維持を担う者たち。彼女たちの手によって、前線に届けるための保存食や薬草が手際よく捌かれていく。
離れた場所に立つミサキが、アキトの視線に気づくと深々と一礼をした。 そして、すぐさま視線を戻すと、周囲に指示を飛ばし、テキパキと荷を積み上げさせていく。その凛とした立ち振る舞いは、アキトの目にこの上なく美しく、そして頼もしく映った。
「将軍様! どう、似合ってる?」
不意に、場違いなほど明るい声が届いた。
振り向くと、そこにはミオがいた。筆頭護衛という肩書きを持ちながら、部下を率いることもなく、いつも通りたった一人でアキトの傍らに立っている。
だが、その装いはいつもの冷酷な戦闘服ではない。どこか田舎の親戚を思わせるような、動きやすさ重視の野良着姿だった。
「……ミオ」
アキトは思わず、吹き出してしまった。
あの日、村での惨劇以来、彼女を避けて生きてきた。冷徹な暴力の象徴だと思っていた彼女の、あまりにも「普通」で、そして似合いすぎる野良着姿に、数ヶ月ぶりに心の枷が外れた。
「ああ、似合ってるよ。……とってもな」
「本当! へへ、よかった。」ミオが、子供のように嬉しそうに笑った。
「久しぶりに話してくれたな……全く。最近全然喋ってくれないから、嫌われたかと思ったぜ」
彼女もまた、アキトとの断絶を彼女なりに気に病んでいたのだ。
「ごめん。最近色々あったからさ。ちょっとピリピリしてて。」
「将軍様は忙しいからな。あたしは難しいことはわかんねえけど、遊び相手が欲しければいつでも頼れよな」
(……ああ。これでよかったんだ)
アキトの胸に、数ヶ月ぶりに温かい火が灯った。
自分を殺し、仮面をかぶってきた日々。だが、皮肉にも大規模な飢饉が間近に迫ったこの瞬間、自分の死に対する恐怖が薄れた気がした。その刹那だった。
宮殿の正門を、一頭の馬が狂ったように駆け抜けてきた。 馬上の伝令は、アキトの姿を見つけるなり、崩れ落ちるように飛び降りる。
「……報告! 報告します!」
その叫び声が、和やかな空気を凍てつく刃のように切り裂いた。
「西部国境付近にて、未知の伝染病が発生! わずか数日で感染者が激増……!人が……次々と倒れております!」
一瞬、時が止まった。
アキトの視界の中で、リョウカの表情から血の気が失せていく。 ミサキの微笑みが凍りつき、ミオの肩が小さく震えた。
「カカとの国境」――そこは、まさに今、アキトが数百人の人員を送り込もうとしていた、その場所だった。
アキトが呆然と立ち尽くす中、背後で「ギィ……」と、何かが軋む音がした。
それは、宮殿の巨大な鉄門が、外の世界を拒絶するように閉まり始める音だった。




