第41話
宮殿の奥底では、絶えず巨大な機構が唸りを上げている。
一時期はその規則正しい旋律が、この国を動かす心強い鼓動のように聞こえていた。
だが、今のそれは、ただの不快な雑音でしかなかった。
壁の向こうで噛み合う歯車は、油が切れたように悲鳴を上げ、互いの金属を削り取りながら、破滅的な不協和音を撒き散らしている。
アキトは、執務室の窓際でひとり、その軋みに耳を澄ませていた。
以前のような、未知の可能性に満ちた複雑な和音はもうどこにもない。
それぞれの歯車が、もはや噛み合うことを拒みながら、慣性だけで回り続けている。
「……6割から、7割か」
手元の報告書を握りしめる指が、白く震えた。ジャガイモ疫病 。
それは不運な事故などではない。これはこの歪んだ国の構造がもたらした必然の結果だった。
『――俺たちナギア人のいうことをこれっぽっちも聞かねえ。そして、お前は崇められすぎだ。すまない』
カツロウの走り書きに心を抉られる。かつて侵略、そして占領されたナギア人に対する消えることのない憎しみにより、単一作物は避けるべきという自分たちのためのアドバイスでさえ踏み躙られる。そして、「将軍」に対しての信仰。それが言うことを聞けばうまくいくという希望から来るものなのか。それとも、従わないと殺されると言う恐怖から来るものなのか。理由がどうであれ、多くの農民が盲目的に他の作物を抜いてでもジャガイモに塗り替えたのだ。 胸の奥からせり上がってくる吐き気に、アキトは奥歯を噛み締めて耐えた。
(飢饉はもう…避けられない!)
いつか見た、難易度:Brutalという警告音と共に点滅するゲーム画面がチラついた。
その画面が現れたのはレイジの死亡を知らされた時だった。
突き上げるような怒りが込み上げてくる。
(余計なことをするな。リョウカやサラの言いなりになるだけでいいんだ)
その理性の声を突き破り、アキトは小さく唸った。
「……終わらせてたまるか…」
静寂が、一気に「動」へと転換する。
アキトは椅子を蹴るようにして立ち上がると、机を激しく叩いた。
「リョウカ、すぐに指示を出す! 書き留めろ!」
アキトの瞳に、危ういほどの熱が宿る。
「諸外国への食糧援助要請を引き続き行ってくれ。体裁なんて気にするな!それと、ナギア人専門家たちの意見を国策の最優先に置く。彼らが『正しい』ことは証明された。今後彼らの意見は僕の意見だと思い、必ず聞いてもらえるように徹底するんだ 」
アキトの剣幕に気圧され、静寂が部屋を支配した。その間アキトは脳をフル回転させている。
(何か他にできることはあるか…)
迷っている間にも、破滅は近づいてくる。時計の刻む音さえ、処刑までのカウントダウンに聞こえた。
処刑…
不意に、暴動を起こした村での出来事を思い出した。反対の声を力でねじ伏せるミオの残像を頭から追い出し、その前に聞こえた村人の言葉を思い出す。
(民が飢える中、自分たちだけ着飾って、飢えることもなく、贅沢三昧…)
脳裏にあの女性の言葉が呪詛が蘇った。
アキトは言葉を選んで、ゆっくりと口を開いた。
「今日から宮殿も節制を行おう。贅沢品はすべて換金し、民の生活に回そう。食事の質も落とす。軍も、貴族も全員だ。僕らが先頭に立ち、模範となる。どうかな」
「……ですが、それでは反発が――」
「反発があれば僕が抑える 」
はっきりと力強く言い切った。リョウカを鋭く睨む。
リョウカはしばらくして、コクリとうなづいた。
(まだ…何かできることがあるはずだ。)
その時。アキトの脳裏に、あの人の声が響いた。
「話すときさ。人じゃなくて、資料ばっかり見てた」
「もう少し、人を見た方がいい。そうすれば、言葉の奥にある本音が、ちょびっと見えるかもしれない」
亡き兄、レイジの言葉だ。
アキトの言葉は止まらない。アクセルを全開に踏み込んだ車のように、彼は指示を出し続けた。
「僕たちも農村へ行こう。宮殿の人員は全員だ。首都防衛隊とか、前線以外の兵士もだ。銃を鍬に持ち替えさせ、全国の畑に送り込もう。」
「専門外です。それに冬が近づいています。人手がいたところで、何もできません。兵士を動かせば、防衛にも致命的な穴が空いてしまいます」
正論だ。リョウカが言うことが正しい。そして自分の口から出る言葉はあまりに合理性を欠いていた。
「将軍も兵も、民と一緒に泥にまみれて戦うんだ。そうすれば、民の士気は必ず上がる!」
リョウカの正論を怒鳴り声でねじ伏せ、再びリョウカを睨みつける。
しばしの沈黙。リョウカはコクリとうなづき、そして微笑んだ。
「承知しました。将軍様。やりましょう!」
宮殿内に鐘の音が鳴り響き、止まりかけていた機構が、壊れた加速装置をつけたように回り始めた。この地獄のような状況を、ひっくり返すために。




