第31話
アキトは宮殿の庭園で、ささやかな安らぎの中にいた。
執務室で仕事をする時、自然とリョウカの近くで過ごすことになる。
あの冷たい目と発せられる狂気。その恐怖からリョウカを避けるようになっていた。
そのため、時間が許す限りは執務室以外の場所、例えばこの庭園で過ごしている。
「……アキト様、いつも難しそうなの読んでるな」
ミオが、アキトの持っている報告書を隣から覗き込んでくる。人懐っこい距離感。彼女からは、血の匂いなど微塵もしない、日向のような香りがした。
「食糧事情に関する報告書だよ。食糧が完全に尽きる日が近い。だからこれ以上大事な情報を絶対に見逃さないようにしたいんだ」
「確かに腹が減っては剣は抜けないとか言いますからな」
ミオがケラケラと笑う。その無邪気な笑顔を見ていると、アキトはこの不気味な宮殿の中でも、彼女だけは「普通の感性」を持っているのではないかと、密かな救いを感じていた。
だが、その静かな午後は緊張した声でかき消された。
「西部第参集積地にて、住民の蜂起が発生。派遣された兵士2名が負傷しました」
リョウカの声はいつも通り冷静だった。
「対応は」
「……すぐに鎮圧部隊を派遣し、首謀者を捕えます」
「待て!」 アキトは思わず止める。
ナギア人の専門家に対する兵士たちの蛮行。それを止めないリョウカの様子がフラッシュバックする。きっと介入しなければ血が流れる。
「僕が、直接話に行く。将軍の言葉ならば聞いてくれるかもしれない」
リョウカの表情が凍り付く。
「カミシロ様ご自身が? 無用な危険です。将軍の身に万が一のこともあってはなりません……」
「僕は将軍だ。民の声を聞き、理解したいんだ」
アキトはそう告げると、リョウカは静かに頷いた。
移動は速やかに手配される。蜂起が起きた集積地は宮殿から半日も離れていない距離だった。
殺気だった群衆と兵士たちが言い合いを行っていた。
群衆の多くは女性だった。老いた両親や子供のことを思い、必死に訴えを続けている。
お米が足りない。子供が飢えている。
飢饉の影は確実に迫っていた。
だが、不幸にも兵士に危害を与えてしまった。一線を超えてしまった群衆にはもはや怖いこともない。血塗られた争いへとエスカレートすることは確実だった。
アキトは護衛を離れ、必死に手を広げ、呼びかけた。
「みんな。第3代将軍 アキト・カミシロだ!話を聞きにきた。頼むから矛を収めて欲しい!」
一瞬の困惑、ざわめき。希望に満ちた目。そして静寂が場を包んだ。
「将軍様!もう限界です。我々は飢えています。食べるものはもうわずか。このままでは誰も生き残れません」
自分が来たことで緊張が和らいだことがわかる。胸を撫で下ろしながら、アキトは答えた。
「わかっている!僕たちがその事態を一刻も早く解決できるように今懸命に動いているんだ。もう少しだけ辛抱してくれ!」
「もう少しってあとどれくらいでしょうか?我々はあとどれくらい苦しめばいいんですか?」
必死な訴えだった。返す言葉もない。
「支給品はいつまで経っても増えない。夫は軍務から帰ってこない。戦争に連れてかれたものだって大勢いる。それでも食べるものがあったから我慢できた。でもその支給品すら無くなったんですよ!」
「謝る。すまなかった。必ず状況をよくする。あともう少しなんだ」
アキトができることはこれしかない。手は尽くしている。だが、この責任は自分にあった。
謝ること、誠意を尽くすことが今の自分ができる唯一のことのように思えた。
「民が飢える中、自分たちだけ着飾って、飢えることもなく、贅沢三昧。それで生活も一向によくできない、無能が!豚野郎が!」
罵声と共に放たれた石が、アキトの顔を掠めた
その刹那だった。
「――やれ!」
リョウカが鋭く言い放つ。だが、その指示が終わるより早く、ミオの背負った機械剣はすでに絶叫のような咆哮を上げていた。
『ガガガガッ、ギュィイイイイイイイ!』
凄まじい排熱。ミオの瞳から光が消え、彼女は「災厄」そのものへと変貌する。
ブーツの踵から高圧の蒸気が噴き出した。
一歩。ミオの体が、物理法則を置き去りにして群衆の中央に突き刺さる。
「ヒッ……!」
罵声をあげた女の悲鳴が上がる前に、帯電するチェーン刃がその首を、胴を、無造作に撥ね飛ばした。
「ひぃいいい!」
広場は瞬時に、言葉も通じない屠殺場へと変わった。
ミオの動きは、アキトを守るための防衛などではない。ただの八つ当たりに近い、剥き出しの暴力。
逃げ惑う老婆の背中に、蒸気ブーストを効かせた蹴りを叩き込み、倒れたところに震えるほどの電光を纏う刃を食い込ませる。叫びながら逃げる若い女たちの体を、ミオは空中で跳ねるようにして斬り刻んだ。
そこに、園庭で笑っていた少女の面影は、微塵もなかった。
「やめろ! やめてくれ、ミオ!」
アキトの呟きは、剣の駆動音と肉を断つ不快な音にかき消された。
ミオは、アキトに石を投げた「可能性」のある者すべてを、解体し、それでも止まらない。
戦うもの。逃げるもの。区別なく、その場にいたものたちに襲い掛かり、数分のうちにその場にいた群衆は残らず肉片になっていた。
「……終わったよ」
返り血を浴びたミオが、アキトを振り返った。
その目は空っぽで、温かさはどこにもない。
「カミシロ様……大丈夫?」
血に濡れた手で、アキトの頬に触れようとするミオ。
アキトは、その手を払いのけることすらできなかった。
背後で、リョウカが忌々しそうに言った。
「……次からは指示を受けてから動きなさい」
「うるせえ。殺すぞババア」
生暖かい風が、焼けた肉の匂いを運んでくる午後。
アキトの側にいた人、あどけない少女が、何も恐ろしい刃を持っていることをはっきりと理解した。




