表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/126

火に混ざる

第九十二話

火に混ざる


石畳が途切れ、道幅が少し広がった。


「……あ」


少女が足を止めた。


木で組まれた門のようなものが、道をまたぐように立っている。

赤く塗られてはいないが、形はどこか整っていて、意図して作られた境目だとすぐに分かる。


「門……?」

「たぶん、境界だね」


くぐった瞬間、空気が変わった。

人の声が増え、火の音が混じり、どこか甘い匂いが流れてくる。


「音、違うな」

「うん。さっきまでより、にぎやか」


少女の声が、少し弾んでいた。


門を抜けた先は、思ったより落ち着いていた。


人は多いが、押し合うほどではない。

屋台が並び、布を張った簡素な店が道の両脇に続いている。


「おお、祭りか」

「この街、こんなのもあるんだな」


焼けた匂い、甘い匂い、焦げた灰の匂い。

火山の街らしい匂いが、全部混ざっている。


少女はきょろきょろと首を動かしながら歩いていたが、

ある一点で、ぴたりと足を止めた。


「……なに、あれ」


指さした先。


透明な塊が、木の皿の上に並んでいた。


揺れるたび、光を受けて形が変わる。

水でも、氷でもない。

なのに、透けている。


「……食べ物?」

「……だと思う」


店主が気づいて声をかけてくる。


「くず餅だよ」

「冷えてるから、今の時分は食いやすい」


少女はじっとそれを見つめている。


「……透明だ」

「うん」


「水じゃない」

「うん」


「石でもない」

「……うん」


僕が値段を聞くと、少女はもう視線を外さなかった。


「これ、食べたい」

「……金、あるから」


受け取った皿を、少女は慎重に持ち上げる。


箸でつつくと、ぷる、と揺れた。


「……動く」

「餅、らしいよ」


恐る恐る口に入れる。


一瞬、少女の目が丸くなり――


「……甘い」

「どう?」

「……不思議」


噛んでも、噛んだ感触が薄い。

でも、ちゃんと食べ物だ。


「溶ける……?」

「いや、残ってる」


少女はもう一口食べて、今度は少し考え込む。


「透明なのに……腹に来るな」

「ちゃんと食べ物だからね」


店主が笑う。


「水みたいだと思うだろ。

 でも、腹は裏切らねえ」


少女は小さく頷いてから、僕のほうを見た。


「魔族の街って……変だな」

「うん」


「でも――」

少しだけ、声を落として。

「嫌いじゃない」


そのとき、遠くから太鼓の音が響いた。


どん、と低く。

地面に伝わる音。


「……なに、あれ」

「中心、たぶん」


透明な甘味を食べ終え、

二人は自然と音のするほうへ歩き出す。


火と灰の匂いが、少しずつ濃くなっていった。


太鼓の音の正体は、すぐに分かった。


広場の中央が、円を描くように空いている。

その中心に、エンショウ族がいた。


四足で地に伏し、黒曜石のような体を揺らしながら、低く息を吐く。

背中から立ち上る熱が、夜の空気を歪ませていた。


「……あ」


少女が小さく声を漏らす。


周囲には人と魔族が混じって立っている。

誰も恐れていない。

むしろ、順番を待つように、静かに列を作っていた。


一人、また一人と前に出る。


膝をつく。

エンショウ族の頭に、そっと手を置く。

撫でる。


それから、脇に置かれた桶から、灰を一掬い。


もう一方の手で、エンショウ族の口元へ運ぶ。

口が開き、灰が落ちる。


最後に、もう一度、撫でる。


それだけ。


言葉はない。

祈りもない。

でも、誰もが同じ動きをしていた。


「……食べてる」

「うん」


少女の声は、さっきよりも低かった。


「石じゃないんだな」

「火山の灰、らしい」


「……変なの」


でも、その声に嫌悪はなかった。


エンショウ族は満足そうに尾を揺らし、

周囲から、笑い声が上がる。


「ほら、今日は機嫌いいぞ」

「昨日より熱が穏やかだな」


そのときだった。


人の流れが、わずかに割れた。


自然と道ができる。

誰かが命じたわけじゃない。

でも、そうなる。


最初に現れたのは、背の高い影。


黄色い角。

和装を崩した服装。

重心の低い歩き方。


若頭だった。


何も言わず、桶を受け取る。

同じ作法で、灰を与える。


動きに無駄がない。


次に、軽やかな足音。


肌を惜しげもなく晒した女が、ゆるやかに歩み出る。

笑みを浮かべたまま、エンショウ族の首元を撫でる。


「いい子ねぇ」


声は柔らかいが、手つきは確かだった。


灰を与え、もう一度撫でる。


場の空気が、さらに落ち着く。


そして。


熱が、ひとつ、増えた。


湯気の向こうから現れたその姿を見て、

周囲が一斉に膝をつく。


灼将だった。


赤黒く鈍く光る尾が、静かに揺れている。

耳の奥で、火が鳴る。


灼将は何も言わず、エンショウ族の前に立つ。


桶を受け取り、

灰を掬い、

口元へ。


動作はゆっくりで、

ひとつひとつが、よく見える。


最後に、頭を撫でた、その瞬間。


灼将の動きが、止まった。


視線が、わずかに横へ流れる。


広場の外縁。

人の輪の、その向こう。


僕のいる方向へ。


灼将は、ほんの一瞬だけこちらを見た。


本当に、刹那だった。

でも、見間違えるはずがなかった。


すぐに視線は戻り、何事もなかったかのようにエンショウ族の頭を撫でる。

尾が、ゆっくりと揺れた。


「……」


周囲は誰も気づいていない。

少なくとも、そういう空気だった。


灼将は灰を桶に戻し、立ち上がる。

その動きに合わせて、若頭と姐さんが一歩前に出る。


「皆の者」


灼将の声は、よく通った。


「今宵は良き祭りじゃ。

エンショウの子らも、よく応えてくれておる」


人も魔族も、自然と頭を下げる。


「さて」


灼将は、わざとらしいほど軽く周囲を見回した。


「旅人がおるようじゃの」


その一言で、空気が少し変わった。


視線が、僕たちの方へ集まる。

驚きでも警戒でもない。

ただ、“確認”の視線。


「……え?」


少女が小さく声を漏らし、僕の袖を掴む。


灼将は、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

その歩調は、将のものではあるけれど、圧はなかった。


「初めての街であろう」


そう言って、僕と少女を見る。


「作法も分からぬまま、ここまで来たと見える」


僕は一瞬、言葉に詰まった。

でも、灼将は答えを待たない。


「よいよい。

この祭りは、教わりながら楽しむものじゃ」


周囲から、くすりと笑いが起きる。

張りつめていた空気が、少し緩む。


若頭が一歩前に出る。


「灼将様、でしたら——」


「わらわが教える」


灼将は、きっぱりと言った。


「旅人には、街の者が導くのが筋。

ましてや、この祭りはな」


そう言いながら、灼将は桶を指差す。


「まずは、エンショウの子に挨拶じゃ」


少女が目を輝かせる。


「やっていいの?」


「うむ。

作法は、今から教える」


灼将は少女の前に立ち、ゆっくりと動作を示した。


「膝をつく。

焦らず、な」


少女が真似をする。


「まずは、撫でる。

頭でも背でもよい」


少女の手が、エンショウ族の背に触れる。

熱いけれど、火傷するほどではない。


「次に、灰を掬う。

今撫でた手とは、逆じゃ」


言われた通り、少女は反対の手で桶に手を伸ばす。


「口元へ。

流し込むのではない。

“渡す”つもりで」


エンショウ族が、ゆっくりと口を開く。

灰が落ち、低い音が喉の奥で鳴る。


「最後に、もう一度撫でる」


少女が撫でると、エンショウ族の尾がぱた、と動いた。


「……動いた!」


「うまいぞ」


灼将は、満足そうに頷いた。


それから、僕を見る。


「次は、おぬしじゃ」


一瞬、心臓が跳ねた。


でも、灼将の声には試す色も、疑う色もなかった。

ただ、当たり前のように。


僕は頷き、同じように膝をつく。


灼将が、低く言った。


「よいか。

覚えたままにやればよい」


僕は、何も考えずに動いた。


撫でる。

灰を掬う。

口元へ。

渡す。

撫でる。


一連の動きが、途切れずにつながる。


エンショウ族が、はっきりと尾を振った。


「……」


周囲が、少しざわつく。


灼将は、ふっと息を吐いた。


「うむ。

見事じゃ」


その一言で、場が完全に和らいだ。


「さて」


灼将は、広場の中心を見渡す。


太鼓の音が、再び強くなる。

人の輪が、ゆっくりと動き出す。


「祭りはここからじゃ」


踊りの輪が、形を成し始めていた。

つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ