表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/125

僕が今まで生きてこられた訳

第八十八話

僕が今まで生きてこられた訳


灼将の寝室は、不思議と静かだった。


広くはない。

だが、天井は低く、木の梁が近くに感じられて、落ち着く空間だった。

畳の匂いに、ほんのりと温泉の硫黄が混じる。

この街全体の匂いが、ここにも流れ込んでいるようだった。


灼将は布団の上に腰を下ろし、背を伸ばして僕を見ている。

威圧するでもなく、試すでもなく、ただ待っている。


僕は正座のまま、しばらく言葉を探した。


――聞きたいことは、山ほどある。

でも、どこから聞けばいいのか分からない。


母だと言われた。

それだけで、頭の中はいっぱいだった。


聞きたい。

でも、聞いていいのかも分からない。


少し視線を落として、息を整える。

ここで黙ったままでは、きっと何も進まない。


「……」


灼将は何も言わない。

ただ、急かさずに待っている。


僕は、ようやく顔を上げた。


「……聞いても、いいですか」


自分の声が、思ったよりも低く響いた。


灼将は一瞬だけ目を細め、それからゆっくりとうなずいた。


「よい」


それだけだった。


許可でも、覚悟でもなく、

ただ当然のように。


胸の奥が、きゅっと締まる。


僕は少しだけ頭を回した。

何を聞くべきか。

何を一番最初に確かめなければならないのか。


思い浮かんだのは、さっき触れられた言葉だった。


――リーフォーク。


「あの時……」


言葉を選びながら、続ける。


「あの時、言っていましたよね」


視線は灼将から逸らさずに。


「リーフォークと、少しばかり問題があったって」


喉が鳴る。


「その……」


一拍置いて、はっきりと言った。


「その関係を、教えてください」


灼将は、すぐには口を開かなかった。


布団の上に置いた手を、ゆっくりと組み直す。

赤黒く鈍い光を帯びた耳と尾が、わずかに揺れた。


「……ふむ」


短い吐息。


「どこから話すべきかのぉ」


それは将の思案ではなく、

言葉を選ぶ母親のそれだった。


「まずは……父親の話じゃな」


胸の奥が、ひくりと鳴った。


「おぬしの父は、リーフォークじゃ」


言い切りだった。

迷いも、躊躇もない。


「強かった。

爪を振るえば迷いがなく、

仲間を背に立てば、決して退かん男じゃった」


その声には、誇りがあった。

そして、それ以上に――惜しむ色。


「高潔で、勇ましく、

それでいて……愚直なほど仲間想いでのぉ」


灼将は、ふっと遠くを見る。


「わらわは、ああいう気質を、嫌いになれなんだ」


胸の奥に、じわりと熱が広がる。

知らないはずの人物なのに、

なぜか、言葉だけで輪郭が浮かぶ。


「じゃがの」


灼将の声が、少しだけ低くなる。


「亜人同士であれば、

いかに特異であろうと、同じ種族の延長じゃ」


尾が、畳に触れて静かに止まる。


「じゃが、リーフォークとわらわは違う。

力と魔法。

肉体と魔力」


視線が、まっすぐ僕に向いた。


「……それでも、子は生まれた」


一瞬、間が落ちる。


「わらわは、喜んだ」


はっきりと、そう言った。


「じゃが――結果は」


灼将は、言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「出来の悪い混血じゃった」


胸が、ぎゅっと締まる。


「力を振るには弱く、

魔力を扱うには足りぬ」


その一言一言が、

僕の過去に、ぴたりと重なる。


「双方の長所を継がず、

弱みばかりが表に出た」


灼将は、視線を逸らさなかった。


「――失敗作、と呼ばれても仕方のない子じゃ」


頭が、少し白くなる。


怒りは、ない。

否定も、できない。


だって、それは――

僕自身が、ずっと感じてきたことだったから。


「……」


喉が詰まる。

声が出ない。


灼将は、そんな僕を見て、

ほんのわずかに眉を寄せた。


「じゃがの」


声が、静かに揺れる。


「わらわは、そこで切り捨てることを選ばなんだ」


その言葉に、顔を上げてしまった。


「出来が悪かろうと、

弱かろうと、

それでも――」


灼将は、はっきりと言った。


「わらわは、おぬしを愛した」


胸の奥で、何かが崩れる。


否定されると思っていた言葉を、

一番欲しかった形で突きつけられて、

どう反応していいのか分からない。


「……」


僕は、拳を握った。


嬉しいとか、悲しいとか、

そういう単純な感情じゃない。


ただ、

ずっと“自分は間違いだった”と思って生きてきた時間に、

別の答えが差し込まれた感覚だった。


「……」


言葉が、出てこない。


灼将は、そんな僕を責めない。

慰めもしない。


ただ、続ける準備をしている。


灼将は、畳に視線を落としたまま、静かに口を開いた。


「……決定的な亀裂が入ったのは」


少しだけ、言葉を選ぶ間。


「おぬしが生まれた、その後じゃ」


赤黒い尾が、ゆるやかに揺れる。


「あやつは、誇り高いリーフォークじゃった」

「仲間を想い、弱きを守る、勇ましい戦士じゃ」


そこで一度、言葉が切れる。


「……じゃが」


声が、わずかに硬くなる。


「“出来損ない”を認めることだけは、できなんだ」


畳に置かれた手が、ゆっくりと握られる。


「ひ弱な体と言う事実が、

種の誇りを傷つける、と」


灼将は、目を伏せたまま続けた。


「わらわは否定した」

「生まれ持った弱さを理由に、

存在を否定することこそ、誇りを失う行為じゃと」


尾の動きが止まる。


「……言葉では、終わらなんだ」


その一言が、重く落ちる。


「あやつは、決闘を申し込んだ」


淡々とした口調。


「種の誇りを賭けて」

「将であるわらわを、止めに来た」


灼将の指が、眼帯に触れる。


「結果は……引き分けじゃ」


静かな声。


「わらわは、左目を失い」

「あやつは、右腕を失った」


それは、勝敗ではなかった。

象徴だった。


「どちらも、譲らなんだ」

「どちらも、引くことができなんだ」


灼将は、そこで初めて、わずかに息を吐いた。


「……じゃが」


声が低くなる。


「将であるわらわが、感情で動いた事実は消えぬ」


伏せたままの視線。


「このままでは、街が割れる」

「魔族の秩序が、崩れる」


拳が、畳に沈む。


「だから――」


灼将の声は、将のものになった。


「裁きを下した」


短く、明確な言葉。


「リーフォークを、魔族領域から追い出した」

「……そして」


灼将の声が、ほんの少しだけ、低くなった。


「角を持つ、おぬしもじゃ」


一切の装飾がない。


「制裁として」

「危険な、人間の領域へ」


そこに、迷いは語られない。


「それが、将としてできる、唯一の選択じゃった」


沈黙が落ちる。


「……愛する者を、切り捨てねばならぬ」

「それが、将という立場の残酷さじゃ」


灼将は、最後まで僕を見なかった。


その言葉は、言い訳ではなく、

誇りでもなく、

ただの事実だった。


しばらく、言葉が出なかった。


僕は正座したまま、畳の目を見つめていた。

灼将の語ったことは、重くて、痛くて、でも——理解できた。


「……将の判断としては」


自分の声が、少し遠く感じる。


「合理的だった、と思います」


灼将の肩が、わずかに揺れた。


「全部が正しかったとは言えません」

「でも、街を守るための選択だったことは、わかります」


一呼吸。


それでも、胸の奥に引っかかるものが消えなかった。


「ただ……」


言葉を選ぶ。

慎重に、でも逃げないように。


「僕は、集落で……疎まれていました」

「話を聞いても、理由がわからなかった」


顔を上げる。


「それだけが、どうしても……」


灼将は、ゆっくりと首を横に振った。


「……迫害など、されておらぬ」


きっぱりとした否定。


「誰一人として、おぬしを傷つけてなどおらん」


その声は、母のものだった。


「恐れていたのじゃ」

「おぬしを」


僕の思考が、追いつかない。


「わらわの子であることを」

「灼将の血を引く存在であることを」


赤黒い尾が、床をなぞる。


「人間の領域は、魔族にとって最も危険な場所じゃ」

「じゃが、おぬしのために、用意した」


そこで、灼将は初めて僕を見た。


「普通の魔族なら、避難所など用意せぬ」


言葉が、胸に落ちる。


「教えたのじゃ」

「隠れ方を、生き残らせ方を」


息が、詰まる。


「誰も、避難所には来んかったじゃろう」


僕は、何も言えなかった。


「それでよい」

「皆が動けば、人の目が集まる」


灼将の声は、静かだった。


「おぬしを守るために、

皆は別の場所へ逃げた」


その瞬間、力が抜けた。


正座を保っていた膝が、耐えきれずに崩れる。

畳に、手をつく。


「……っ」


呼吸が、浅くなる。


頭の中で、一つの考えが、どうしても浮かんでしまう。


——僕のせいで。


——僕が、いたから。


喉が、震える。


「……みんな」


言葉にならない。


灼将は、何も言わなかった。

ただ、そっと僕の肩に手を置いた。


その温度だけが、現実だった。

つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ