火の街に降りる
第八十四話
火の街に降りる
着地の衝撃はほとんどなかった。
運び屋が翼を畳み、地面に足をつけた瞬間、空気が一段変わる。
熱ではない。湿り気を含んだ温もりだ。
硫黄の匂いは薄く、代わりに鼻をくすぐるのは、湯と木の香り。
視線を上げれば、石畳の道が緩やかに続き、
その両脇には低い建物が並んでいる。
瓦に似た屋根、
深い軒、
格子戸。
湯気がところどころから立ちのぼり、
夕刻の光を柔らかく歪ませていた。
「……町、だ」
少女の声が、驚きを隠しきれずに漏れる。
火山帯のただ中だというのに、ここには生活がある。
商いの声、人と魔族が混じる足音、湯に浸かる笑い声。
――当たり前のように。
だからこそ、次に起きたことが異様だった。
視線が、集まる。
客のものではない。
好奇や警戒でもない。
街を“管理する側”の視線。
通りの奥から、数人が歩み出てきた。
足取りは静かで、だが揃っている。
彼らは僕たちの前で一斉に膝を折り、
両膝に手をついて深く頭を下げた。
「御客人……この街に、何用がおありで」
声音は低く、礼儀正しい。
問いかけの形をしているが、そこに迷いはない。
僕は一瞬、言葉を探した。
隣で少女が息を呑む気配がする。
扱いが、明らかに違う。
同じ旅人のはずなのに。
同じ外から来た者のはずなのに。
答える前に、運び屋が前に出た。
「灼将に会いに来た。それだけだ」
短い言葉だった。
だが、それで十分だったらしい。
「承りました」
頭を下げたまま、道が開かれる。
ほどなく、二人がかりで担がれた籠が運ばれてきた。
木で組まれ、布で囲われた簡素なものだが、作りは頑丈で揺れが少ない。
「こちらへ」
促され、僕と少女が乗る。
運び屋は外を歩く形になるが、誰もそれを無下にはしない。
「徒歩になりますが、よろしいでしょうか」
「構わん」
運び屋は平然と返す。
この程度で動じる性格じゃない。
籠が持ち上がる。
視界が少し高くなり、街並みが流れていく。
人も魔族も、誰一人としてこちらを凝視しない。
だが、完全に無関心でもない。
視線は一瞬だけ交わり、すぐに逸らされる。
――知っている者だけが、察している。
屋敷が見えてきた。
平屋を基調とした和装建築。
白木の柱、深い軒、控えめな装飾。
派手さはないが、隅々まで手が入っているのが分かる。
籠が静かに下ろされる。
地面に足をつけた瞬間、木の香りが濃くなる。
玄関口から漂う、乾いた木と畳の匂い。
「……将の使いって、すごいんだな……」
少女が小さく呟く。
だが、案内役たちは一切反応しない。
足音だけが、揃って屋敷の中へと続く。
畳に足を踏み入れると、感触が柔らかい。
紙障子越しの光が、室内を淡く照らしている。
僕は運び屋に顔を近づけ、小さく囁いた。
「……おかしい」
「ああ」
「まだ、会いたいって言っただけだ」
「だな」
今までの拠点とは明らかに違う。
翼将のところでも、鎧将のところでも、ここまで露骨じゃなかった。
敵意はない。
だが、偶然でもない。
濁将が何かしたのか。
鎧将が手を回したのか。
それとも――もっと、別の理由か。
考えはまとまらない。
けれど、拒まれる気配もない。
「……ついて行こう」
そう言って、僕は歩みを進めた。
襖が、音もなく開く。
中にいたのは、一人。
人の形をしている。
だが、人ではない。
赤黒く鈍く光る耳。
身体の後ろに揺れる、複数の尾。
炎ではない。
だが、確かに熱を孕んでいる。
魔力が溢れているのではなく、溜まっている。
この場にあるだけで、空間の密度が変わる。
その一歩後ろに、角を持つ大柄な魔族が立っていた。
何も言わない。ただ、見ている。
――そして。
僕は、灼将の顔を見た瞬間、息を忘れた。
心臓が、一拍遅れる。
見たことがある。
どこかで。
確かに。
思い出そうとする。
戦場じゃない。拠点でもない。夢でもない。
なのに、確信だけがある。
――知っている。
理由が分からない。
場所も、時も、何一つ掴めない。
それでも。
灼将の視線が、まっすぐ僕を射抜いた。
その瞬間、逃げ場はなくなった。
どこで見たんだ。
思い出せない。
でも、確かに――。
つづく




