体現するために
第七十五話
体現するために
鎧将の根城の外で、風の流れがわずかに乱れた。
気づいたときには、もう影が落ちている。
運び屋だった。
斜面の途中に足を掛け、翼を畳んだままこちらを見る。
「今度は、何を始めた」
短く、要点だけを突く声。
僕は立ち止まり、簡単に説明した。
水の話。拠点全体の話。まだ形にもなっていない考え。
運び屋は最後まで口を挟まずに聞き、ふっと息を吐いた。
「そうか」
それだけ言って、僕の少し後ろに立つ。
視線は作業場の方へ向いている。
それ以上は聞かない。
けれど、離れない。
――それで十分だった。
作業場は、すでに騒がしかった。
「おいおい、これ、角度おかしくねえか?」
「いや、逆だろ! 斜面に沿わせるなら、こっちだ!」
「ガハハ! どっちでも一回叩いてみりゃ分かる!」
テンゲ族の三体が、金属音を鳴らしながら笑っている。
叩くたびに、音が少しずつ変わる。
「……あ、今の音、いいぞ」
「だな。さっきより締まった」
「ほら見ろ、やっぱ熱の入れ方だ!」
誰も僕を見ていない。
でも、僕が広げた図解は、いつの間にかテンゲ族の手に渡っていた。
「あっ……」
思わず声が漏れる。
「おっと、悪い悪い!」
テンゲ族の一体が、悪びれもせず紙を掲げる。
「でもよ、これさ、絵がいい。説明しなくても分かる」
「ここ、力逃がしてるよな?」
「なら、芯ちょい太くしてもいけるんじゃねえか?」
勝手に相談を始める。
僕は口を挟めず、ただ見ているだけだった。
その上から、澄んだ声が降ってくる。
「静かに。楽しむのは結構ですが、順序は守りなさい」
ミュル族の女王だった。
細く長い体躯、硬質な外殻。
羽音もなく空中に留まり、作業場全体を見下ろしている。
「掘削班、そこは深すぎますわ。木組みが先です」
「はい!」
「はいですわ、ではありません。“了解”」
「了解!」
即座に動きが揃う。
女王の視線が、僕に向いた。
「少年。あなたは動かなくていい」
命令口調だが、拒絶ではない。
「今日は“見ている役”ですわ。……もっとも」
女王は、作業の音に耳を澄ませる。
「この音。――皆、久しぶりに楽しい顔をしています」
確かに。
ミュル族も、テンゲ族も、グラード族も。
グラード族が大岩を抱え、作業場へ運び込む。
「この大きさなら……割れるな」
短く呟き、楔を打つ位置を示す。
「おい、テンゲ。こっち、もう一本要る」
「任せろ! 今の音、覚えてるからよ!」
テンゲ族が火床に向かいながら笑う。
「こういうのな、理屈より先に身体が覚えてるんだ」
「失敗しても楽しいやつだ!」
女王は、その様子を見て満足そうに頷いた。
「少年。あなたが何を考えているか、全ては分かりません」
少しだけ声を落とす。
「ですが、“仕事が増える前触れ”というのは、匂いで分かりますの」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
誰も成果を求めていない。
誰も責任を押し付けていない。
ただ、新しいやり方に手が伸びているだけだ。
隣で、運び屋が斜面に立ったまま、静かに息を吐く。
飛べる者が一人いるだけで、場の空気が違う。
それを誰も言葉にしないのも、また自然だった。
女王は最後に一度だけ、僕を振り返った。
「少年。――良い“種”ですわ。あとは、勝手に根を張ります」
そう言って、再び空へ舞い上がる。
作業の音は、さらに賑やかになる。
僕はその中に立ち、何も言わずに見ていた。
今は、それでいい。
拠点が、自分たちで動き始めているのだから。
つづく




