その道のプロたち
第七十三話
その道のプロたち
寝床に戻っても、すぐには眠れなかった。
灯りの下で、僕は革袋から本を引きずり出し、膝の上に広げた。
水。
それに関する頁を、端から端まで追う。
井戸。
溜め池。
水路。
段差を使った落水。
樋。
樽。
どれも、知っている。
そして、どれも――ここには合わない。
この拠点は、谷だ。
平地はほとんどなく、斜面が重なり、風が裂ける。
掘れる場所は限られ、貯めれば流れ、流せば散る。
僕は指で行をなぞりながら、小さく首を振った。
これは違う。
これも違う。
たぶん、これも。
本を閉じかけて、もう一度だけ頁を戻す。
少し前、目を滑らせていた項目に、視線が止まった。
――集水。
雨水。
斜面。
岩盤。
自然に流れるものを、逆らわず、集める。
息が、止まる。
これだ。
いや、正確には――
これなら、考える価値がある。
でも、すぐに続きの行で、現実が追いかけてくる。
「大規模な構造物が必要」
「材の選定を誤れば崩壊する」
「一個人では不可能」
……そうだ。
僕一人では、無理だ。
本を閉じたまま、胸に抱えた。
考える前に、決める必要があった。
誰に、話すか。
答えは最初から決まっていた。
鎧将の広間は、今日も静かだった。
石と鉄の匂いの中、集まった顔ぶれは少ないが、重い。
鎧将は玉座に座ったまま、僕を見下ろす。
「用件は」
短い。
結果を求める声だ。
僕は喉を鳴らし、口を開いた。
「……水のことです」
鎧将の視線が、わずかに動く。
「この拠点全体の、水です。
今は問題になっていない。
でも――この先、必ず足りなくなる」
一拍。
「続けろ」
僕は息を整えた。
「解決策は、あります。
ただし、僕一人ではできません」
鎧将は腕を組んだ。
「要るのは何だ」
その問いに、少しだけ救われた気がした。
否定でも、疑問でもない。
ただ、確認。
「……人です。
それも、専門の」
鎧将は頷き、短く指示を出した。
「呼ぶ」
それ以上の言葉はなかった。
集まったのは、当然の面々だった。
空気を支配するミュル族の女王。
殻を揺らし、無言で立つガルド族。
腕を組んで笑っているテンゲ族。
そして、背筋を伸ばしたリーフォークたち。
鎧将は一人ずつを見渡し、淡々と告げる。
「石はグラードが読む」
「金属はテンゲが打つ」
「木と地はミュルが支配している」
「組み上げはガルド」
「運搬と力仕事はリーフォーク」
一拍置いて。
「……揃っているな」
鎧将は玉座に背を預けたまま、顎で促した。
「名乗れ。役目もだ」
最初に前へ出たのは、床に影を落とすほどの存在感を持つミュル族だった。
羽音がわずかに空気を震わせる。
「ミュル族女王でございますわ」
その声は高く、澄んでいて、命令口調と優雅さが同居していた。
「木を読み、地を掘り、流れを変えるが我らの役目。
谷も斜面も、通せぬ道はございません」
一瞬、鋭い視線が僕に向く。
「必要とあらば、森ごと動かしてみせましょう」
誰も異を唱えない。
それが誇張ではないと、この場にいる全員が知っていた。
次に、ずしりと床を踏み鳴らして前に出たのはガルド族。
甲羅の継ぎ目が軋む音がする。
「ガルドだ」
それだけ言って、短く頷く。
「積む。支える。崩れりゃ直す」
「それで足りる」
余計な言葉はない。
だが、その重みだけで十分だった。
前に出たのは、岩の塊のような体をしたグラード族だった。
肩から背にかけて、石肌が重なり合っている。
「……グラードだ」
低い声だった。
「石を割る」
「削る」
「合わせる」
一拍置いて、短く続ける。
「石は嘘をつかん」
「割り方を知れば、形は応える」
鎧将の方を一度だけ見て、頷く。
「新しいやり方だろうと、
筋が通っていれば、使う」
それだけ言って、元の位置に戻った。
テンゲ族は三体、ほぼ同時に一歩前へ出て、顔を見合わせた。
「テンゲだ!」
「金属だな!」
「熱と音は任せとけ!」
誰が代表でもないらしい。
一体が僕の方を見て、歯を見せて笑った。
「また面白れぇ事始めようってのか」
「図面はわかんねぇがよ」
「形になったら、もっと良くできるぜ?」
最後に、静かに進み出たのはリーフォークたちだった。
少女も、その列の端に立つ。
「我らはリーフォーク」
「運び、叩き、支える役を担う」
形式的な声だったが、鎧将の前だからこそ、拒絶はない。
「拠点の仕事であるなら、協力する」
少女はちらりと僕を見て、すぐに視線を戻した。
それだけで十分だった。
鎧将は全員を見渡し、低く言った。
「聞いた通りだ」
「役は揃っている」
そして、僕に視線を固定する。
「――説明しろ」
空気が、重くなる。
喉が鳴った。
胸の奥で、ずっと温めてきた言葉が、ようやく形を取る。
僕は一歩、前に出た。
つづく




