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音が違う

第六十九話

音が違う


石材加工所は、炉場と違って暗かった。

火の光はここまで届かない。


代わりに、粉が舞っている。

石の粉。

土の匂い。


呼吸のたびに、喉の奥が乾く感じがした。


グラード族は、今日もそこにいた。

大きな身体。鋭い爪。


石の角を撫でるように見て、触って、決めていく。

道具を使う気配はない。勘だけで、石の筋を読む。

その作業の音は、静かだった。重いのに、騒がしくない。


僕は、革袋を抱えたまま立っていた。

後ろに少女。少し離れて、テンゲ族が三体。


彼らは暇そうに見学しているが、目だけは笑っていない。

自分たちが作ったものが、ここでどうなるかを見に来ている目だった。


「戻ったか」


グラード族のひとりが、顔だけこちらへ向けた。

威圧じゃない。


いつもの調子だ。作業の手を止めないまま、

そこにいるだけで、空気が固くなる。


僕は頷いた。喉が少し詰まる。

「……答えを、見つけてきた」


言葉にした瞬間、胸の奥が妙に軽くなった。

軽くなった分だけ、怖くなった。

言った。もう引っ込められない。


グラード族は、石から視線を外さないまま言った。


「言葉はいらん。行動で見せろ」


それは拒絶じゃなかった。

判断の仕方がそうなだけだ。


ここでは、言葉は飾りに近い。

石は嘘をつかない。手も嘘をつかない。


嘘をつくのは、たぶん僕の頭だ。

都合よく、うまくいく形を思い描けるから。


僕は革袋を下ろし、布を広げた。


楔。

ハンマー。

タガネ。


炉場で生まれたばかりの金属が、

ここではやけに綺麗に見えた。

石粉の中で、光だけが異物だった。


テンゲ族が鼻を鳴らす。


「おいおい、ちゃんと並べろよ」

「落とすなよ、欠けたら泣くぞ?」

「ガハハ! 俺らの芸術だ、てやんでえ!」


笑い声は明るい。

でも、僕の腹のあたりは冷たいままだった。


少女が楔を見下ろして言った。

「……これが石を割る道具?」


「うん」

僕は短く答えた。


説明しようとすると、舌が絡まりそうだった。

自分でも、まだ“やったことがない”から。


グラード族の視線が、道具の形を一度だけ舐めた。

それだけで分かってしまう気がして、僕は息を吸った。


「ここだ」


僕は石を選んだ。

大きすぎない。薄すぎない。割れ目が素直そうなもの。

僕の目は、石の筋を読めない。だから、書いた通りにするしかない。


本で見た図が、頭の中に浮かぶ。

溝。並べる。間隔。順番。

そして――最初の一本。


僕は楔を立てた。

石の上に、そっと置く。

倒れないように指で支える。


ハンマーを持つ。

想像より重かった。

重いのが正しい。そう書いてあった。重くないと、入らない。


僕は腕を上げた。

振り下ろした。


――コン。


鈍い音だった。

石が笑ったような音。

楔は、ほとんど動かなかった。


もう一度。


――コン。


同じ音。

同じ場所。

同じ無反応。


僕は息を吸って、三度目を打った。


――コン。


今度こそ、と思った。

でも楔は、皮膚に触れただけの棘みたいに、石の表面で止まっている。


一拍、遅れて、頬の内側が熱くなった。

何だ、これ。

違う。

このままじゃ、違う。


僕は楔を押さえる指に力を入れた。

ハンマーを握り直す。

腕を上げる。

振り下ろす。


――コン。


音が、変わらない。


背中に、視線が刺さる。

テンゲ族の視線。

少女の視線。

グラード族の視線。

誰も何も言わない。言わないのに、言っている。


“言葉はいらん。行動で見せろ。”


僕は喉の奥が鳴った。

呼吸が浅くなる。


焦りが、遅れて追いついてくる。

失敗じゃない、と思いたい。

まだ最初だ。

まだ一回目だ。

でも――それは言い訳だ。ここでは。


僕は、図の通りにしている。

道具も図の通りに作った。

順番も、間隔も――まだ整えていない。

それでも、一本目が入らないのはおかしい。


僕の頭の中で、文字がばらけ始めた。

“刺す”。

“食い込ませる”。

“割れ目を作る”。

理屈が、急に遠い。


僕の口が、勝手に動いた。


「……食い込まない」


出してから、しまったと思った。

言ってどうする。

言ったところで、石は変わらない。

でも言わずにいられなかった。


テンゲ族が即座に反応した。


「食い込まねぇ?」

「おい、道具のせいにすんなよ!」

「俺らの楔は完璧だ、べらぼうめ!」


笑いの調子だ。

バカにしているわけじゃない。

でも“誇り”が混ざっている。


「刃は立ってる」

「焼きも入ってる」

「形も図の通りだ!」


グラード族も、楔を一度だけ見て、短く言った。

「それは信用できる」


疑いの余地が、消える。

道具は悪くない。

つまり――


僕が悪い。


言葉が浮かんだ瞬間、胸が締まった。

“僕が悪い”。

“僕が足りない”。

今まで散々知っていたはずのことが、ここで刃になって戻ってくる。


僕はハンマーを見た。

持てる。

振れる。

でも、入らない。


少女が一歩、前に出た。

石の前にしゃがみ、楔を覗き込む。


「……音が違う」


僕は顔を上げた。

少女は、炉場の方を顎で示すように見た。


「さっき、テンゲたちが叩いてた音と」

「全然違う」


テンゲ族が、眉を上げる。


「何だと?」

「音で分かるのか?」

「ガハハ、面白ぇな」


少女は笑わなかった。

僕の手元を見て、言った。


「お前、力が足りないんじゃないか」


その言葉は、刺さらなかった。

刺さるより先に、腑に落ちた。

そうだ。

そういうことだ。

僕はずっとそれを避けて、文字で埋めてきた。埋められると思ってきた。


少女は立ち上がり、手を伸ばした。

「私がやる」


僕は反射的に、楔を押さえる指を引っ込めた。

拒む理由がない。

拒む言葉もない。


少女がハンマーを受け取る。

重さを確かめるみたいに一度だけ持ち替えて、すぐに構えた。


「……どこを叩けばいい」


僕は息を吸った。

喉が乾いている。

でも、これは言える。

言える範囲のことだ。


「……まっすぐ」

「……楔の頭を」


少女は短く頷いた。

そして振り下ろした。


――キィン。


甲高い音が、石材加工所に跳ねた。

炉場の金属の音とは違う。

もっと乾いていて、硬くて、石が応えた音だった。


楔が、沈んだ。

目に見えて沈んだ。


僕の腹の奥が、遅れて熱くなる。

あっ、と声が出そうになって、飲み込んだ。


少女はもう一度、同じ軌道で振り下ろす。


――キィン。


楔が、さらに食い込む。

石が、黙っていない。

微かな震えが、指先に伝わってくる気がした。石が割れる準備を始めた震えだ。


テンゲ族が歓声みたいに笑った。


「ガハハ!」

「入ったじゃねぇか!」

「ほら見ろ、俺らの楔だ!」


グラード族が、初めて手を止めた。

楔と石を見て、短く言う。


「……続けろ」


命令じゃない。

確認だ。

石が嘘をついていないことの確認。


少女がまた振り下ろす。

甲高い音が、一定の間隔で積み重なる。

そのたびに楔が沈む。


僕は、その横で立っていた。

何もしていないのに、胸がいっぱいになる。

情けなさじゃない。

悔しさでもない。


――知識が、形になっていくのを見ている。


僕ひとりでは、できなかった。

でも、僕ひとりのものでもなかった。


少女が一度、振り下ろす腕を止めて、僕を見た。

火の光が届かない場所なのに、目だけが明るい。


「……教えてくれ」

「続きを」


僕は頷いた。

頷けた。


「……次は」

僕は石の上を指差した。

「……間隔を、揃える」

「……同じだけ、入れる」


言葉は短い。

でも、今はそれで足りた。


石材加工所に、甲高い音がまた響く。

石が、少しずつ、割れ目を受け入れていく。


僕は、胸の奥で思った。

知識は一人では完成しない。

力もまた、一人では意味を持たない。


――だから、ここに二人いる。


そして、その事実が、妙に静かに嬉しかった。

つづく

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