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切り立つ目的地

第六十一話

夜明け前。

火の跡だけが黒く残って、風がそこを舐めていく。


僕は水袋を揺らした。

残りは、ちゃんと残りだった。


安心するほどでもないのに、

少しだけ息が抜ける。


運び屋はもう起きていた。

翼を畳んだまま、崖の縁に立っている。


見ているのは景色じゃない。

風だ。


「もう行く?」


僕が言うと、運び屋は頷いた。


「ここから先は、揺れる」


「昨日より?」


「昨日は“上”だった。今日は“割れ目”だ」


割れ目。

その言葉だけで、地図の白い部分が頭に浮かぶ。


僕は荷を締め直す。


地図。

紙束。

羅針盤。


落としたら終わりのものばかりだ。


「手を離すな」


運び屋が、昨日と同じ言葉を言った。


「……離さない」


返事をしてから、少し恥ずかしくなる。

言葉が増えると、誓いみたいに聞こえる。


でも、増やさないと不安が勝つ。


運び屋が僕を背に乗せる。

翼が一度、大きく膨らむ。


空気が押しのけられて、足元が抜けた。


地上が遠ざかる。

煙が小さくなる。

夜の名残が下に沈む。


そして――遠くに、大陸が見えた。


最初は黒い線だった。

近づくほど形が分かる。


平地が少ない。

山が、山というより“刃”みたいに突き出している。


「針……」


僕が呟く。


運び屋は短く息を吐いた。


「ここは嫌いだ」


「運び屋でも?」


「嫌いなだけだ。飛べないわけじゃない」


言い方は淡々としているのに、

翼の角度が少しだけ固い。


ああ。

ほんとに揺れるんだな。


大陸の端に入った瞬間、

風の質が変わった。


上昇気流がいきなり突き上げてくる。

次の瞬間、横から拳みたいな突風が殴る。


体が勝手に持っていかれそうになる。


「掴め」


「掴んでる!」


僕は羽根の付け根に顔を押しつけて、必死にしがみついた。


揺れは“怖い”というより“気持ち悪い”。

上下がわからなくなる。


運び屋は速度を落とさない。

落とすと、ここでは逆に持っていかれるのだろう。


針の山脈の間へ、

縫うように滑り込む。


山と山の隙間は思っていたより狭い。

影が深い。


陽が差しているのに、底はずっと夜みたいだ。


「下を見るな」


運び屋が言う。


「でも探さないと」


「探すなら、息を整えてからだ」


僕は一度、深く吸って、吐いた。

吐いたつもりが、風に持っていかれて肺が空っぽになる。


もう一度、吸い直す。


少しずつ、視線を下へずらした。


谷底は岩と岩。

獣道みたいな筋がいくつも走っている。


でも、それは自然の筋で、道としては使いにくい。


「……何もない」


「この地図が白い理由だ」


運び屋の声はぶれない。

ぶれないから、僕も視線を保てる。


針の山は続く。

どこまでも続く。


ここに拠点なんて――


そう思った瞬間、

僕の目が止まった。


不自然な線。

自然の割れ目と違う。


“切った”みたいにまっすぐで、角が残っている。


「待って」


叫びそうになって、喉で止めた。

空では声が散る。言葉は短く。


「左、二つ先。谷の奥」


運び屋はすぐに翼の角度を変える。

揺れの合間を縫って、僕の指す方向へ滑った。


近づくほど、はっきりする。


岩の壁に、階段みたいな段差。

風を逃がすための切り欠き。


崩れを止めるための、石の積み方。


――誰かが、手を入れている。


「……あれだ」


僕の声が勝手に震えた。


運び屋は少しだけ高度を落とす。


「降りられるか」


「降りる。降りたい」


「なら落ち着け。焦ると落ちる」


それは脅しじゃない。

いつも通りの確認だった。


僕は羅針盤を握り直し、

地図を胸に押さえた。


指先が冷たい。

汗なのに。


運び屋の影が谷に落ちる。

針の山の影が、僕らを飲み込む。


「行くぞ」


運び屋が言う。


僕は頷いた。

離さない。

今度も、それだけでいい。


そして僕らは、

風の刃の隙間へ、さらに深く潜っていった。

つづく

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