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五人の英雄

第百二十四話

五人の英雄


遥か西方。

北に永久凍土、南に果てなき砂海を抱え、東には魔族の領域を内包する広大な大陸。

その最西端に位置する、交易と文明の要衝――大陸最大の港町。


幾多の船が行き交い、幾多の富が集まり、幾多の冒険者が名を残してきたこの港に、今日また一隻の船が寄港した。


大陸間航行のため特別に仕立てられた大型船。

帆に刻まれた紋章が港の空に翻った瞬間、桟橋にいた者たちがざわめき始める。


「あの紋章は……!」


「カイル様のっ……!」


「うおおお!この大陸にも、あの勇者カイル・レイフォード一行がついに!」


「作業なんか後だ後だ!急げ!出迎えるぞ!」


荷役の手を止め、商人が帳簿を閉じ、兵が姿勢を正す。

港の空気が一瞬で熱を帯びた。


やがて船が岸壁に固定され、下船の準備が整う。

静まり返った桟橋へ、ゆっくりと影が差した。


翻るマント。

その下から一人の青年が降り立つ。


カイル・レイフォード。


各地を巡り、数え切れぬ魔族を打ち倒し、幾つもの都市と集落を救ってきた男。

王国に属さず、勲章も求めず、それでも人々の間でいつしかこう呼ばれるようになった。


――勇者。


歓声が起きるより早く、彼の背後から酒の香りが漂った。


瓢箪を傾けながら、着物を大きくはだけさせた女が大股で桟橋に降り立つ。


女剣士 ツバキ・カガミ。


魔獣を両断し、竜の首を落としたとも語られるカイル一行の牙。

豪放にして苛烈、その大太刀が振るわれた戦場に生き残った敵は少ない。


その隣を、整った褐色の顔立ちの男が静かに歩み出る。

仕立ての良い装束、紳士然とした所作。だがその瞳の奥には底知れぬ理が宿っていた。


魔法使い サフィール・アズラ。


魔術理論を刷新し、人の魔法体系を数段階押し上げた研究者にして実践者。

光と闇を除くあらゆる属性魔法を操ると噂される、当代屈指の魔導士。


その後ろから、静かに一人の少女が姿を現す。

柔らかな光を帯びた瞳と、穏やかな微笑。


僧侶 エリシア・ヴェール。


大修道院の司祭候補にして、神聖に最も愛されたと称される少女。

修行の旅の途上、カイル一行と行動を共にし、その癒しの奇跡は各地で語り草となっている。


そして最後に、少女の手を軽く引きながら桟橋へ降り立ったのは、長い耳を揺らす金髪の美女だった。


斥候 エイル・アルヴァ。


人とは異なる長耳族の女性。

種族特有の卓越した感知能力と索敵眼により、幾度となく一行を危機から救ってきた影の立役者。

彼女の視線が届く限り、奇襲は成立しないとまで言われている。


五人が並び立つ。


歓声が遅れて港を満たした。


長き旅を経てなお衰えぬ威光を携え、

英雄たちは今、新たな大陸へと降り立った。


歓声は波のように広がり、やがて港全体を包み込んだ。


「カイル様だ!」

「本物だ……!」

「竜を討った勇者様がこの大陸に……!」


作業を放り出した荷運びたちが駆け寄り、商人や兵士までが道を空ける。

誰もが目を輝かせ、英雄たちを迎えた。


その中心で、カイルは困ったように笑った。


「そんなに大げさにしなくていいよ。僕たちはただ、通りがかっただけだから」


その言葉に、港のあちこちから感嘆とざわめきが上がる。


「通りがかりで魔族の軍勢を潰す人がいますかよ……!」

「いやあ、噂以上だ……!」


頭を下げられ、手を握られ、子どもたちが駆け寄る。

カイルは一人ひとりに視線を合わせ、丁寧に応じていく。


その横で、瓢箪を傾けていた女が一息ついた。


「……ったく、いきなり人だらけじゃねぇか」


ツバキ・カガミは肩を鳴らし、酒を一口あおる。

着崩した和装の袖を乱暴に払うと、近くにいた港の男がぎょっとした顔で一歩下がった。


「お、お強いんですよね……その……竜を……」


「ん?ああ、あのデカいトカゲか」


ツバキは眉をひそめ、少し考える。


「……首落とした後、肉うまかったな。あれまた食いてぇ」


港の空気が一瞬止まり、次の瞬間、どっと笑いが起きた。


「ははは!さすがカイル様の仲間だ!」

「豪快だ!」


「酒あるなら出しな。長旅で喉が干上がってんだ」


「あ、あります!いくらでも!」


「おう、話が早ぇ」


ずかずかと樽の方へ向かうツバキの背を、カイルが苦笑しながら見送る。


「……ごめん、ああ見えて一番頼りになるんだ」


その言葉に周囲がさらに沸く。


一方、その少し後ろ。

整った装いの男が一歩前に出た。


「お騒がせして申し訳ありません」


サフィール・アズラは軽く会釈し、穏やかな声で続ける。


「我らはしばしこの街に滞在する予定です。補給と情報収集が済み次第、すぐに出発しますので」


その落ち着いた口調と礼節に、商人たちがほっと息をついた。


「おお、これはご丁寧に……」

「宿の手配はすぐに!」


「助かります。良質な魔力触媒を扱う店があれば、後ほど教えていただけると」


「いくらでもございますとも!」


サフィールは満足げに頷き、静かに列へ戻る。


その後ろでは、小さな少女が子どもに囲まれていた。


「ほんとに聖女さま?」

「けが、なおしてくれるの?」


エリシア・ヴェールはしゃがみ込み、柔らかく微笑む。


「聖女ではありませんよ。ただの旅の僧侶です」


そう言いながら、転んで擦りむいた膝に手を添える。

淡い光が灯り、傷は静かに塞がっていった。


「わあ……」


子どもが目を輝かせる。


「もう大丈夫。でも、次は気をつけてくださいね」


「うん!」


そのやり取りを見ていた大人たちが、深く頭を下げた。


「ありがたい……」

「本当に神に愛された方だ……」


エリシアは困ったように首を振る。


「皆さんが無事でいられるなら、それが一番です」


その様子を少し離れた場所から見ていた長耳の女が、静かに口を開いた。


「……いい街ね」


エイル・アルヴァは腕を組み、港の全体を見渡す。

視線は人混みではなく、建物の配置、兵の立ち位置、屋根の上、路地の奥――。


「敵意なし。視線も健全。武装密度も低い。……歓迎は本物みたい」


「さすがだね、エイル」


カイルが歩み寄る。


エイルは肩をすくめた。


「アタシたちが歩く場所は、だいたい問題が起きるから。最初くらいは確認するでしょ?」


その横で、ツバキが酒樽を抱えて戻ってくる。


「おーい!この街当たりだぞ!酒がちゃんとしてる!」


「もう飲んでるの……?」


エリシアが小さく苦笑する。


サフィールは軽くため息をついた。


「上陸からまだ数分ですがね」


ツバキは気にした様子もなく笑う。


「細けぇこと気にすんなって!平和な港なんて久々だろ?」


その言葉に、五人は自然と顔を見合わせた。


確かに――

こうして歓迎される上陸は、いつ以来だったか。


港の喧騒の中、英雄たちは静かに立つ。

祝福と期待を背に受けながら。


だがそれでも、彼らは変わらず旅人だった。


港の喧騒はしばらく収まらなかった。


歓迎の声、握手を求める者、荷運びの再開。

それでも英雄たちの周囲には自然と人垣ができている。


「すげえなぁ……」

「ほんとに竜を斬ったんだってよ」


遠巻きに眺める視線の中に、わずかに質の違うものが混じる。


エイルがそれに最初に気づいた。


「……来るわね」


小さく、しかし確実に。


カイルが振り返る。


「何人?」


「六。正面三、裏路地二、屋根一」


「多いな」


「いつも通り」


短いやり取り。

それだけで全員が状況を理解した。


人混みの奥から、がらの悪い笑い声が聞こえる。


「おいおいおい、随分と派手に歓迎されてるじゃねえか」


肩で風を切るように、武装した男たちが歩み出る。

剣、斧、槍。装備は揃っているが統一感はない。

いかにも腕に覚えのある傭兵崩れといった風情だ。


「……あれが勇者様か?」


「噂ほど大したことなさそうだな」


ツバキが酒瓢箪を揺らしながら、ちらりと横目で見た。


「おいカイル。ご指名だぞ」


サフィールが軽く肩をすくめる。


「我ら全員で出るほどの相手でもないな」


エリシアが困った顔をした。


「け、喧嘩はよくありません……」


エイルはすでに周囲を見回し終えている。


「逃げ道は塞いでるつもりみたい。でも雑。……まあ、いつも通りね」


男たちの一人が剣を抜いた。


「勇者だかなんだか知らねえがよ!てめぇを倒せば俺たちが英雄ってわけだ!」


「名を上げるにはちょうどいい!」


港の空気が一瞬凍る。

だが五人の反応はあまりにも薄かった。


ツバキがため息混じりに肩を鳴らす。


「……めんどくせぇ」


サフィールは淡々と続ける。


「カイル君が相手をした方が後々面倒がない。

我らが出ると『勇者から逃げた』などと言い訳を始める連中ですからね」


「うん、そうだね」


カイルはあっさり頷いた。


エリシアが慌てて袖を掴む。


「カイルさん、本当に争う必要が……」


「大丈夫。怪我はさせない」


柔らかな声でそう言って、彼は一歩前に出た。


剣は抜かない。

盾も構えない。


ただ、片腕だけ軽く上げる。


「……?」


男たちが一瞬戸惑った、その刹那。


カイルの姿が消えた。


次の瞬間、先頭の男の背後に立っていた。

片腕だけで首元を掴み、地面に叩きつける。


鈍い音。


二人目が斧を振り上げる。

カイルは体を半歩ずらし、柄を掴んでひねり上げる。

肘を軽く押すだけで男の体が浮き、そのまま地面へ。


三人目が突進する。

拳が飛ぶ前に、足払い。

体勢を崩したところを肩で押す。


あっという間だった。


まるで散歩の途中で絡まれた酔漢を

静かに道端へ寝かせていくような手際。


最後の一人が恐怖に顔を引きつらせる。


「な、なんだこいつ……!」


カイルはゆっくり近づき、肩に手を置いた。


「もうやめよう。名を上げる方法は、他にもあるよ」


その声は穏やかだったが、男は膝から崩れ落ちた。


屋根の上にいた弓持ちが逃げ出す。

エイルの矢が、その足元の瓦を正確に砕いた。


「次は当てるわよ」


低い声。


弓持ちはそのまま滑り落ち、逃走を断念した。


静寂が戻る。


港の人々が呆然と立ち尽くす中、

ツバキが酒を一口あおる。


「……準備運動にもならねぇな」


サフィールが頷く。


「むしろカイル君の散歩だな」


エリシアが胸を撫で下ろした。


「だ、誰も大きな怪我がなくてよかったです……」


カイルは苦笑する。


「だから言ったでしょ」


倒れた男たちを港の兵が慌てて回収しに来る。

周囲からは再び歓声が上がった。


英雄たちは何事もなかったかのように立っている。


本当に――

いつも通りの出来事だった。

つづく

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