残された機能
第百十二話
残された機能
石と金属が混じり合った床は、どこか温度を持っていた。
冷たいはずの素材が、わずかに脈打つような感触を残している。
空間の中央に据えられているのは、巨大な循環器。
円環状に組まれた装置から、幾本もの管が伸び、
それぞれが「何か」に接続されていた。
そこにいるのは――
人の形をしているが、人ではないもの。
骨格は人間のものだ。
だが、四肢の数が合わない。
胴体の一部が欠け、別の個体の肉体と縫い合わされた痕が残っている。
胸部――心臓の位置だけが不自然に大きく縫い合わされている。
切り取られた跡は乱暴ではなく、
むしろ几帳面に、機能だけを残すよう処理されていた。
それらは床に座り込んでいる。
あるいは、膝を抱え、
あるいは、背を丸め、
循環器から伸びた管を身体に受け入れたまま、微動だにしない。
呼吸はある。
だが、それは生きているというより、
循環させられていると言うほうが近かった。
装置は一定の間隔で魔力を流し込み、
過剰になれば抜き取り、
不足すれば補う。
意思の介在しない、完全な自動制御。
まるで、個体を維持するためだけに存在する仕組み。
だが、その円環の一角だけが――異質だった。
同じ接続位置。
同じ循環補正のための台座。
そこにあるのは、硬質な拘束具でも、
冷たい金属の寝台でもない。
柔らかな布に覆われた、ふかふかのベッド。
管は接続されていない。
固定具もない。
誰かが横たわることを前提に整えられたまま、
そこだけが、ぽっかりと空いている。
使われなかったというより、
使う予定のまま、時が止まったようだった。
循環器は今も稼働している。
異形たちは今も魔力を回され続けている。
それでも――
その場所だけは、誰にも触れられず、
誰にも奪われず、
ただ静かに、空席のまま残されていた。
フィロは周囲を一度見渡すと、最も手近にあった小机に歩み寄り、
積まれていた本と紙束を手に取って広げた。
紙の擦れる音だけが、
静まり返った空間にやけに大きく響く。
シェリスは遠慮なく、
部屋の中央に据えられたベッドへ腰を下ろした。
オリヴェットとリラは、
いつ戦闘が始まっても動ける距離感を保ち、周囲を警戒している。
「クソみてえな場所だな……」
吐き捨てるように、シェリスが言う。
「どっちが魔物かわかったもんじゃねえ」
リラは視線を巡らせながら、静かに言葉を返した。
「……私たちの“当たり前”が、こうして生まれたと思うと……複雑です」
フィロは書類をめくりながら、低く答える。
「研究とは探求だが……
どのような理念があろうと……この形に至った以上、正当化はできん」
紙を繰る音だけが、空間に響く。
「で?」
シェリスが足を組み直し、フィロを見る。
「ぶっ壊すんだろ? ここ」
フィロは視線を上げずに答えた。
「お前も分かっているだろう。この施設全体の魔力量を。
無差別な破壊活動をすれば、構造崩壊は免れない」
一拍置いて、続ける。
「落下すれば、地上にも甚大な被害が出る可能性が高い」
「じゃあどうすんだよ」
シェリスの声が荒くなる。
「ほっとけってのか」
フィロは読み終えた書類を閉じ、小机の上に置いた。
「この施設が戦力として機能し続けることを止める。それが最優先だ」
一拍置き、続ける。
「さすがに、誰か一人の頭だけで施設が維持されているとは思えん。
構造は複雑だが、必ず構造図のようなものがあるはずだ。
場合によっては、まだ戦闘もあり得る。注意しながら探索するぞ」
短く息を整え、指示を出す。
「場合によっては戦闘もあり得る。
警戒しながら探索だ」
その言葉に、オリヴェットとリラ、そして少女が静かに動き出す。
シェリスはベッドに座ったまま、置いた本を見て舌打ちした。
「で? そいつは違うのかよ。
このベッド、どう考えても浮いてるだろ」
フィロが即答する。
「機能は停止しているが、用途は同じだ。
他と構造的な違いはない」
シェリスはベッドを軽く叩きながら、鼻で笑う。
「ほーん……ずいぶん優遇されてるみてえだな」
フィロの声が、少しだけ低くなる。
「リオラ・ムーンフォードのためのものだ」
「誰だよ、それ」
即座に返すシェリスに、フィロは視線だけを向ける。
「お前も“知っている”人物の名だ」
そして、指を向けて静かに告げる。
「勝手に触って、暴走させたりはするな」
シェリスは舌打ちだけで返し、ベッドに座ったまま腕を組む。
フィロはそれ以上言わず視線を戻し、探索へと歩み出した。
完全な静寂ではなかった。
床の奥、循環装置の影に埋もれるようにして、
わずかな魔力の歪みが立ち上がる。
それは兆候でしかない。
だが、ここでは十分すぎる警告だった。
最初に動いたのはリラだった。
少女を背に庇うように一歩前へ出ると、槍を低く構え、
床から這い上がろうとした個体の胸元を正確に貫く。
抵抗らしい抵抗はない。
循環が再起動しかけた“それ”は、魔力を噴き出しながら崩れ落ちた。
別の影が、壁際で形を成そうとする。
オリヴェットは弓を取らない。
一息で距離を詰め、両腕で組みつくと、
骨と骨の噛み合う音を立てながら、そのまま引き裂いた。
悲鳴はない。
ただ、構造が破壊される音だけが残る。
フィロはさらに早かった。
稼働に入る前の、ほんの刹那。
魔力が“回ろうとした”瞬間を捉え、
短剣で急所だけを割き、静かに止める。
起動すら許されなかった個体は、そのまま床に伏した。
小競り合いとも呼べない戦闘が終わると、
空間には再び、重い静けさが戻る。
だが、床には無数の紙片が散乱していた。
経過観察記録。
魔力抽出機構の試案。
循環装置の増設計画。
施設容量の限界値。
フィロはその場にしゃがみ込み、
一枚ずつ拾い上げては、目を走らせる。
目的のものではないと判断すれば、
紙を半分に折り、元の場所へ戻す。
それを、淡々と繰り返す。
「……ずいぶんな荒れようだ」
低く呟く。
「この施設の中で、最も流動性がある場所……
ならば、こうもなるか」
そのときだった。
背後から、足音が近づく。
振り返ると、リラが少女の手を引いて戻ってきていた。
「フィロさん……これを」
リラの視線の先。
少女の手には、
丸められた草紙が握られていた。
古い。
紙ではない。
植物繊維を重ね、乾かしただけの、古式の記録媒体。
フィロが眉をひそめる。
「……それを拾ったのか?」
少女を見る。
「自分の意志で?」
リラが小さくうなずく。
フィロは一歩近づき、手を伸ばす。
少女は抵抗せず、
その草紙を、静かにフィロへ差し出した。
広げながら、フィロは低く言う。
「どうやら……この施設に飽和している魔力で、
一部の機能が回復しているのかもしれん」
一通り目を通し、
内容を頭の中で組み上げる。
そして、顔を上げた。
「オリヴェット」
少し通る声。
すぐに、オリヴェットがそばへ来る。
フィロは三人を見渡し、簡潔に告げた。
「構造は把握した」
一拍置いて。
「シェリスのいる地点に戻るぞ」
それだけを告げ、歩き出す。
四人は、再び中央へ向かって動き出した。
つづく




