洞窟のその先へ
第百五話
洞窟のその先へ
洞窟の内部は、思った以上に複雑だった。
分岐路は無数にあり、どれも自然に形成されたものだ。
人工的な痕跡は一切ない。
ただ――異常なほどのモルファイトの量、
それだけがこの洞窟を特別なものにしていた。
迷いなく進路を示すのはオリヴェットだった。
いくつも分かれる道の中で、彼女は一度も立ち止まらない。
その指先が示す先に、疑いはなかった。
歩を進めながら、リラがふと疑問を口にする。
「フィロさん。どうしてシェリスさんは、
あれほど反応しているモルファイトの中を、避けることもなく歩けるんでしょうか」
尖り、
砕け、
爆ぜるモルファイト。
それらの破片はシェリスの周囲を舞っているにもかかわらず、
傷一つ付けていない。
フィロは前を見たまま答える。
「本人も気づいていないが、あいつは常に魔力で保護されている。
本当に薄く、意識されない程度にな」
リラは目を凝らす。
「……私には、防護壁のようなものがあるようには見えませんが」
「私にも見えていない。
だが、そういう性質があることは以前からわかっていた」
リラは少し首を傾げる。
「でも、フィロさんが折檻するときは
……痛そうにしてますよね」
フィロは一拍置いて答えた。
「理由はわからんが、私は直接触れられるらしい」
その言葉に、リラははっとする。
「だから……さっき落とした時、
痛がる前に“投げられたこと”に怒っていたんですね」
「そうだ」
フィロは淡々と続ける。
「その性質が、この洞窟を安全に進むためのピースでもある」
「でも……モルファイトは、私たちにも何かしら反応があるはずですよね」
「それもシェリスの特性だ」
フィロは視線を前に向けたまま言う。
「以前、リラに話したな。あいつの魔力量について」
「はい」
「膨大すぎる魔力に、モルファイトが耐えきれず、性質を失っている。
だから、我々が通る時には何も反応しない」
リラは一瞬考え、問い返す。
「それだと……これだけのモルファイト、使い物にならなくなりませんか」
「問題ない」
フィロは即答した。
「時間が経てば、過剰な魔力は失われ、元の性質に戻る」
「……なら、この国への影響もありませんね」
フィロは一つ、静かにうなずいた。
やがて、オリヴェットが示した先で、洞窟は大きく開けた。
無数の分岐の終着点。
広い空間が、そこにあった。
人の気配はない。
ただ――所狭しと咲き誇るモルファイトだけが広がっている。
シェリスは何も考えず、ずんずんとその中心へ歩み出る。
次の瞬間。
最後の爆散とでも言うべき金属音が、洞窟全体に反響した。
音が収まったとき、空間は一変していた。
全面が鋭く尖り、シェリスを中心に、
先端の折れたモルファイトの束が、過剰な魔力に耐えきれず砕け散っている。
――ここが、終点だった。
フィロが周囲を見渡し、短く告げた。
「まずは捜索だ。
予想が正しければ、転送するための“何か”があるはずだ」
オリヴェットとリラは同時にうなずき、それぞれ動き出す。
オリヴェットは、わずかに残った自然岩へと歩み寄り、
岩肌に触れ、指先で確かめるように表面をなぞる。
一方、リラは尖り続けるモルファイトへ向かい、
槍で叩き砕きながら、周囲の反応を確かめていった。
金属音が洞窟に響く。
その様子を横目に、シェリスは一仕事終えたかのような顔でフィロを見る。
どこか得意げな、にやけた表情だった。
フィロは即座に言い放つ。
「お前も捜索しろ。
まだ役に立ってもらうぞ」
「はぁ?
散々歩かせといて、まだ働けっつーのかよ!」
「この仕事をこなすことが条件だ」
フィロは淡々と続ける。
「動けとは言わん。
何か“異質なもの”を感じることはないか」
シェリスは露骨に嫌そうな顔をしながら、地面を何度か踏みつけた。
「……この下じゃねえの?
さっきからうぜえんだよな。うねりが」
フィロは即座に二人を呼び寄せる。
「リラ、シェリスの周囲を砕け」
「はい」
リラが指示通りモルファイトを破壊していくと、
やがて地面の奥から、規則的な文様が姿を現した。
フィロが目を細める。
「これは……やはり魔法陣だ。
おそらく転送用だな」
「だろ?
足の裏をこそばすみてえに、ずっとくすぐりやがってよ」
リラが魔法陣を観察しながら言う。
「……おそらく、数人は転送できる規模だと思いますが……」
「ずいぶん不安定だな。
これで実際に転送したというのか」
「とはいえ、オリヴェットさんの感覚を信じるなら、
これ以外は考えられません」
オリヴェットはしゃがみ込み、地面に手を当てる。
指先で文様をなぞり、確信を帯びた視線を向けた。
シェリスが腕を組む。
「もう調査はいいだろ?」
「ここからだと、さっきも言った」
「そーじゃなくてよ。
繋いじまっていいんだろって言ってんだよ」
フィロが一瞬、視線を向ける。
「……できるのか」
シェリスは鼻を鳴らし、親指で軽く弾くような仕草を見せると、
両手を掲げた。
光が、あふれ出す。
反応するように、魔法陣が輝き始め、
文様が回転し、古い術式が目を覚ます。
フィロは思わず息をのむ。
リラは一歩、後ろへ下がった。
オリヴェットは、ただ魔法陣を見つめている。
「おっし。
これで繋がったな。さっさと済ませちまおうぜ」
フィロの額を、一筋の汗が伝った。
「……本当に完全起動した。
古代文字の転送魔法だぞ」
「古代だか現代だか知らねーがよ」
シェリスは大きく笑う。
「これでドリンクに一歩近づいたってこったな!」
ガハハ、と洞窟に笑い声が反響した。
転送魔法陣が、完全に安定した。
空間が一度、軋む。
音のない歪みが広がり、視界が揺れた次の瞬間――
それらは現れた。
人の形をしている。
だが、人ではない。
背骨が異様に湾曲し、上半身が後方へ折れ曲がった個体。
腹部が裂け、内臓が外へ垂れ下がりながらも、規則正しく鼓動している個体。
頭部が引き延ばされ、首という概念を失ったまま、あらぬ方向へ伸びている個体。
人の輪郭をなぞりながら、
そこから逸脱した“何か”。
指が一本、動くよりも早く。
フィロは踏み込み、
光を凝縮した剣で一直線に断った。
――手応えが、ない。
斬撃は確かに通った。
だが、分断されるはずの肉体は崩れず、
そのまま、なお立っている。
「――っ」
フィロは即座に後方へ跳び退いた。
「異形亜人か……っ」
光の剣を解き、
短剣を二本抜く。
両手に構え、間髪入れず再度前へ。
それに呼応するように、リラが盾を構え前進する。
足場を踏み砕き、盾ごと複数の個体へ突撃した。
オリヴェットは逆に距離を取り、
後方へ跳びながら矢を番え、弓を引き絞る。
一体が腕を持ち上げ、魔法を放とうとした瞬間――
フィロの投げナイフが、掌を貫いた。
悲鳴はない。
次に腕が切断され、地面へ落ちる。
フィロは落下する腕からナイフを引き抜き、
そのまま体を捻り、首を刎ねた。
同時に、
リラの盾が数体をまとめて吹き飛ばす。
別の個体は、
オリヴェットの矢によって、
一体、また一体と静かに崩れ落ちていった。
魔法陣の中央に立っていたシェリスが、
ここでようやく事態を認識する。
隣に立つ個体を睨みつける。
その視線に反応したかのように、
異形は火炎魔法を放った。
だが、
その火炎はシェリスへ向かわない。
歪み、ねじれ、
放った本人へと逆流する。
自らの魔法に焼かれ、
異形は崩れ落ちた。
一瞬の静寂。
フィロが周囲を確認しながら言う。
「……転送魔法が安定する瞬間を狙っていたようだ。
今しがた、完全に繋げたところだからな」
「それなら、先に言ってくださいよ……」
リラは盾を下ろしながら、息を吐いた。
オリヴェットは倒れた個体へ近づき、
屈み込み、
慎重に、その身体に触れる。
骨の向き。
筋肉の張り。
残された温度。
眉が、わずかに歪む。
フィロがその様子を見て、低く呟いた。
「……異形亜人の仕業とは考えにくいが……
光の魔法が通じなかった事実を踏まえると、
そう考えるのが自然か……」
「でも……」
リラは視線を逸らす。
「こんな……
こんな形、ありえますか……
生きているだけでも、耐えられない姿です……」
オリヴェットが、ゆっくりと首を振る。
フィロは一瞬、目を伏せ――
そして、告げた。
「……そうか。
人間だったか……」
「そんな……
こんなこと、あり得るんですか?」
「オリヴェットが、そうだと告げている。
受け入れるしかあるまい」
「じゃあ……今回の事件の首謀者は……」
「考えたくはないが――
人間だろう」
「そんなことして、魔族も人間も敵に回す意味ねえだろ。
バッカじゃねえの?」
フィロは短く言い切る。
「真相は先にある。向かうぞ」
「……正直、気が進みませんが……
困っている人がいる以上、止めるしかありませんね」
「無理そうなら、街へ戻れ」
「いえ。
お供します。
知らないままでは、眠れそうにありません」
フィロは一つ、うなずいた。
「シェリス。
転送できるな?」
シェリスは待ってましたとばかりに笑う。
「当然。
これで二杯目もゲットだな」
「……現金な奴め」
光が、再び集まり始める。
転送、開始。
つづく




