新たな大地、遠い平和
第百二話
新たな大地、遠い平和
船はゆっくりと速度を落とし、港の桟橋へと寄せられていった。
潮の匂いは強いが、不快ではない。
石と木で組まれた波止場はよく整えられており、
荷の積み下ろしも滞りなく進んでいる。
怒号や罵声が飛び交うこともなく、
作業員たちは淡々と、それでいて無駄のない動きで役目を果たしていた。
白や土色を基調とした建物に、彩度の高い布が軒先を飾り、
香辛料や金属粉の混じった独特の匂いが風に乗って流れてくる。
だが、荒っぽさはない。
旅人を値踏みするような視線も、
治安の悪さを感じさせる緊張も見受けられなかった。
魔法を扱える者が多い土地――
そのせいか、街全体がどこか落ち着いている。
フィロは桟橋に降り立つと、顎に手を当て、ゆっくりと周囲を見渡した。
「どうやら、この周辺での問題点は、今の段階では見受けられないな」
その声には、警戒よりも観察の色が濃い。
「全然活気がねえな。つまんねえ」
即座に不満を漏らしたのはシェリスだった。
腕を組み、港を見回しながら、あからさまに退屈そうな顔をしている。
「落ち着いている雰囲気がありますね」
リラは街の様子を確かめるように視線を巡らせながら続けた。
「渡航前の情報だと、鉱山から金属を採取して第一加工を行い、
それを輸出することで成り立っている国家みたいです」
「資源国家、か」
フィロは小さくうなずく。
「人の領域ではあるが、念のため情報を集める必要がありそうだ」
「では、宿を取ってから聞き込みをしていきますか?」
リラの提案に、フィロは即座に判断を下した。
「リラ。お前はシェリスを連れて宿を取れ。その後、周辺で聞き込みだ」
「私はオリヴェットと街を回る」
その言葉に、リラの表情が一瞬だけ曇る。
不安を隠しきれない顔だった。
それを見て、フィロは一言だけ付け加える。
「反省点を活かせよ」
リラはシェリスを見る。
「はぁ? せっかく新しい土地に来たんだぞ? 見て回らせろ!」
「お前は前回、勝手が過ぎたからな。今回は留守番だ」
「別に見て回るくらいいいだろが!」
「ダメだ。おとなしくしておけ」
フィロは一切譲らない。
「リラ。こいつは抱え込んでおけ。勝手に動かれると、何をするかわからん」
「え、あ、はい……」
リラは戸惑いながらも一歩近づき、シェリスを小脇に抱え込む。
「てっめぇ……デカ女! おろせ!」
シェリスは暴れ、殴り、蹴るが――
リラは微動だにしない。
「さすがにシェリスさんの力じゃ抜けられないと思うので、一緒に来てくださいね」
「だぁ! くそっ! ふざけんな!」
小脇で暴れ続けるシェリスをそのままに、リラは深く息を整える。
「では、フィロさん、オリヴェットさん。よろしくお願いします」
オリヴェットは短く、しかし確かにうなずいた。
「船旅の後だ。宿選びはお前に任せる」
リラはもう一度うなずく。
「オリヴェット、行くぞ」
フィロが歩き出す。
オリヴェットは何も言わず、その一歩後ろを静かに追った。
港の喧騒を背に、四人はそれぞれの役目へと散っていった。
港から少し内側に入ると、街の喧騒は落ち着き、
人の流れは目的を持ったものに変わっていった。
運び込まれる木箱。
金属の匂いと、わずかに魔力を帯びた空気。
最初に足を向けたのは、
港に隣接する 計量所 だった。
石造りの建物で、装飾は少ない。
だが出入りする人間の数は多く、
商人、運送人、役人、職人が絶えず行き交っている。
秤の上に載せられる鉱石。
帳面に記される数値。
それを確認する複数の視線。
フィロは自然な足取りで中へ入り、
受付に立つ男に声をかけた。
最近の搬出量について。
鉱山側での異常について。
男は最初こそ首を傾げたが、
「隠す理由のない話」と判断したのか、
淡々と答え始めた。
盗難はない。
積荷が消えることもない。
だが、
「戻らない作業員が出た」
「道具が壊される」
「魔法を使われた形跡がある」
そんな話は、確かに増えているという。
それも街の中ではなく、
森を越えた先――鉱山側で。
フィロは帳面の記載に目を落とし、
一つ、指で行をなぞった。
数字に乱れはない。
だが、記録の“空白”がいくつかある。
「調査は?」
と問うと、男は肩をすくめた。
正規兵も動いた。
だが、拠点は見つからない。
痕跡も、長くは残らない。
「魔族の仕業かもしれん、と言う者もいますが……」
言葉を濁す男に、フィロはそれ以上踏み込まなかった。
礼を告げ、建物を出る。
次に向かったのは、
魔石の安定化工房 だった。
ここは計量所よりも静かで、
代わりに、魔力の濃淡がはっきりと感じられる。
棚に並ぶ空の魔石。
加工途中の金属片。
刻まれた術式の跡。
工房の奥で、
職人が慎重な手つきで作業をしていた。
説明を受ける中で、
「最近おかしい石がある」と、
職人は一つの箱を示した。
空のはずの魔石。
だが、わずかに脈打つような反応がある。
その瞬間だった。
オリヴェットが、
一歩、前に出た。
言葉はない。
ただ、その魔石を見つめ、
そっと指先で触れる。
触れた瞬間、
魔石の表面を走る、微かな歪み。
形が変わるほどではない。
だが、確かに“流れ”が乱れている。
職人が不安そうに言う。
「安定化前に、こうなることは本来ないんです」
オリヴェットは、
魔石から手を離し、
今度は床に置かれた金属片に視線を移す。
モルファイト。
自然に近い形で残されたそれは、
周囲の魔力に反応するように、
わずかに角度を変えていた。
フィロは、その様子を黙って見ていた。
質問はしない。
その場では、何も言わない。
聞き込みを終え、
工房を出て、通りに戻ったとき。
フィロは、
オリヴェットの方を見た。
短く、問いかける。
「……違和感か」
オリヴェットは、
一度、森の方角を見る。
それから、
小さく、うなずいた。
フィロは息を整え、
視線を遠くに向けた。
正規軍が見つけられなかった理由。
盗賊とも、魔族とも言い切れない違和感。
「なるほど……」
独り言のように呟き、
次の判断を胸の中で組み立て始める。
宿は港から少し離れた、高台寄りにあった。
石と木を組み合わせた造りで、外の喧騒はここまで届かない。
すでに食卓は整っていた。
香辛料の匂いが立ちのぼり、
焼いた魚と豆の煮込みが並んでいる。
シェリスは椅子にだらしなく座り、
半ば無心で皿に手を伸ばしていた。
リラはその向かいで、
静かに水を口にしながら、周囲の様子を整える。
フィロとオリヴェットが席に着くと、
自然と空気が引き締まった。
最初に口を開いたのはリラだった。
「宿に入る前、正規軍の詰所で呼び止められました」
「この周辺では森に近づくな、と」
フィロが視線を上げる。
「森?」
「はい。
最近、陸側で被害が出ているそうです」
「被害内容は?」
「物は盗られていないそうです。
積荷も、金も、そのまま」
シェリスが眉をひそめる。
「意味わかんねえな。
盗賊でも山賊でもねえじゃん」
フィロが静かに続ける。
「我々が聞いた話も同じだ」
「拠点は?」
「見つかっていない。
正規軍も、巡回隊も」
「じゃあ追えばいいだろ」
「追っても、消える」
シェリスが舌打ちする。
「ちっ」
リラが補足するように言う。
「もう一つ。
行使されているのは……」
「魔法、だな」
フィロが言葉を引き取った。
「はい。
剣や弓ではなく、魔法だけ」
シェリスが口を尖らせる。
「盗む気もねえ、拠点もねえ、
魔法ばっかり使う連中?」
「不自然だ」
フィロはそう断じた。
「仮に戦って倒しても、
原因には辿り着けない」
「元が別にある、ってことか?」
「そうだ」
短い沈黙。
シェリスが皿を置く。
「じゃあどうすんだよ」
フィロは一瞬だけ目を伏せ、
それから横を見た。
「――オリヴェット」
その名が出た瞬間、
場の空気が、はっきりと切り替わった。
つづく




