池田屋事件
「我ら、会津藩お預かり新選組! 尊攘派の密会ありとの報せにより、御用改に参った! 手向かいする者あらば、容赦なく斬り捨てる!」
近藤の号令とともに、新選組隊士たちは一斉に散り、池田屋に集まっていた尊攘派の浪士たちは、逃げ惑いながら刀を抜きはじめる。
かなたの言っていたことは本当だった。
(やっぱりあいつ、こいつらの仲間なんじゃねぇのか?)
土方は、かなたが仲間を売るような真似をしたのではないかと、心中に疑念を抱きながら彼女を見張る。
だが、当のかなたはそれどころではなかった。
なぜならここでは、沖田が結核の発作で喀血し、藤堂が額を斬られて戦線を離脱する――そんな史実があるのだ。
外で隊士たちを指揮していた土方は、どこか様子のおかしいかなたを怪しみ、彼女のそばへ歩み寄った。
「おい、かなた。…どうした?」
かなたは少し迷いながらも、恐る恐る口を開く。
「えっと、その……沖田さんと平助くんが心配で…」
「何がだ…? あいつらなら大丈夫だろ」
「いえ…そういう事ではなくてですね…」
土方は沖田と藤堂の実力をよく知っているし、あの二人が十分強いことは、かなたにも分かっている。
しかし、これから起こる出来事をぺらぺらと話すわけにもいかない。どう説明しようか悩んでいると、突然、宿の奥から叫び声が聞こえてきた。
ーーおい!総司!どうした!!!
その隊士の声に、かなたは目を見開く。
「おい! どこ行くんだ!」
土方の声も聞かず、かなたは池田屋の中へと走り出していた。
隊士たちと浪士の間をすり抜け、辿り着いたその先には、沖田が苦しそうにうずくまっている。
「沖田さん!」
かなたはすぐに駆け寄り、沖田の口元を確認する。
(吐血していない…?)
「はぁっ…はっ…!」
どうやら、戦いの興奮で呼吸困難を起こしているだけのようだ。
かなたは沖田の体を支えると、背中をゆっくりとさすった。
「沖田さん大丈夫だよ。ゆっくり息を吸って」
沖田の肩が小刻みに上下し、苦しげな息がかなたの手の甲に当たる。
「か…なたさん…あり…がとう……」
ようやく呼吸を整えた沖田はそう言って立ち上がる。
しかし、足元はおぼつかずふらふらとしていた。
「沖田さん、つらかったら戦線を抜けてくださいね…」
「あぁ………大丈夫…なんとか、行けそうです…」
「わかりました.....でも、無理はしないでくださいね?」
「……ええ。かなたさんも、早く安全なところへ避難してくださいね」
そう言ってにこりと笑い、沖田は再び戦線へと戻っていった。
その背中を見送ると、かなたは藤堂を探すために周囲を見渡す。
(平助くん…どこにいるの?)
「おい!」
すると、焦るかなたの前に土方が姿を現した。息を切らし、隊服には返り血が付着している。
どうやら、かなたを追いかけて斬り合いの中を抜けてきたようだ。
「こんな所に突っ込んでいく奴があるか! 危ねぇだろ!」
怒鳴る土方の声に、かなたは思わず肩をすくめる。
しかし彼には悪いが、自分にはまだやるべき事が残っているのだ。
「すみません……! あの、平助君見ませんでしたか?」
「あ? 平助なら下の間にい――」
「わかりました!」
言葉を最後まで聞かずに駆け出すかなたに、その動きを読んでいたかのように土方が腕を掴んだ。
「おい! 待てって!」
「土方さん!」
こんなことをしている暇はないのに。
かなたはその手を振りほどこうと土方へ顔を向ける。
だが土方はかなたの腕を引き寄せると肩に手を回し、自分の体へぴたりと引き寄せた。
「俺も一緒に行く! 離れんなよ!」
「あっ、は、はい!」
土方は斬り合いの中で、かなたを庇いながら藤堂の居る一階へと突き進む。
そして、部屋に足を踏み入れたその瞬間、一人の浪士が藤堂に向かって走り出しだしたのだ。
「平助くん!」
「おい待――!」
土方の制止よりも早くかなたの体が動き出す。
「……なんだ!?」
かなたは浪士に体当たりをし、その反動で二人もろとも床へ倒れこんだ。
「てめえ、よくも邪魔しやがったな!!」
浪士がかなたに刀を振り下ろしたその時、カキンッと鋭い音が響く。
顔を上げると、土方がその刀を受け止めていた。
「なにっ!? うがぁっ…」
間髪入れず、土方は一突きで浪士を貫く。その返り血が、かなたの顔に飛び散った。
血を浴びるのは二度目の経験だが、この臭いだけは慣れない。
土方は刀をひと振りして血を払うと、無言でかなたの元へと歩み寄る。
そして深く息を吸い込み、部屋中に響く声で怒鳴りあげた。
「てめぇ、死にてぇのか!!」
「ご、ごめんなさい……」
怒気を帯びた声に、かなたの喉がひゅっと鳴る。
すると藤堂がかなたの前に立ち、苦笑まじりに口を開いた。
「ま、まあまあ土方さん……こいつのおかげで助かったんだしよ…」
土方は呆れたように大きくため息をつき、刀を鞘へと収める。
藤堂は場の空気を変えようと、明るい声をかけながらかなたの方を振り向いた。
「かなた、ありがとよ! お前のおかげで助かったぜ! 戦いもやっと終わったなー!」
そういうと彼は「疲れたー」と、呟きながら部屋を後にしていく。
藤堂の言葉の通り、いつの間にか池田屋の騒動は終息していたようだ。
土方は残党がいないか辺りを見回すと、まるで子供を叱るかのような目でかなたを見つめた。
「お前…俺たちを助けたいって気持ちは分かったが、自分を犠牲にするような真似はするんじゃねえ」
「はい…本当に、すみませんでした……」
確かに軽率な行動だった。また迷惑をかけてしまったな。
そう気を落としていると、かなたの目の前に手が差し出された。
「…ん」
「あ、ありがとうございます…」
土方の手を取って立ち上がった瞬間、ぐらっと足がふらつく。
一度冷静になると、顔についた血の匂いが一気に鼻腔を突いた。
「うっ…」
思わず手で口元を押さえるが、吐き気は止まらない。
顔に触れた手が真っ赤に染まったのを見て、かなたの脳裏には芹沢の死に顔が浮かんだ。
「はぁっ…!」
「おい、どうした?」
異変に気づいた土方は、すぐにかなたの顔を覗き込む。
その顔は真っ青で、手は小刻みに震えていた。
「あ、あの…時の…こと…思…い…出し……ちゃって」
そう告げると、土方は何も言わずそっとかなたの体を抱き寄せた。
「…大丈夫だ、あの時とは違う」
そう言って、かなたの肩をぽんぽんと軽く叩く。
そして、彼女の頬についた血を自分の羽織でごしごしと拭きはじめた。
「うぐっ」
とてもじゃないが、女性の顔を拭く力ではない。
そんな土方の不器用な優しさと体温に、気づけばかなたの心はすっかり落ち着きを取り戻していた。
「…すみません、ありがとうございます」
「おう、帰るぞ」
その直後、土方の手が素早く離れる。
何故だか、かなたは彼の体温が名残惜しく感じた。嫌な汗をかいたからか、体も暑い気がする。
そんな変な気持ちを抱えたまま、かなたは土方の背を追いかけた。
土方の顔が赤かったのは、ここだけの秘密…。
声を大にしていいますが、これは恋愛物です!!!!




