粛清 弐
R18ほどではありませんが、遠回しの描写と、血の表現があります。ご注意ください。
かなたが支度を終え数刻が過ぎた頃、雨脚はさらに強まっていた。
「おぉぉい!俺が帰ったぞ!!」
原田と広間で時間を潰していると、芹沢の声が響いてくる。いつも以上に酒を飲んだのか、かなり機嫌が良さそうだ。
「帰ってきやがったか...かなた、頼んだぜ」
「...はい」
かなたは、料理を温めるとそれを皿に移し膳の上へ置く。
それらを手に持つと、縁側の方から芹沢の部屋を訪ねた。
「芹沢さん、中村です。酒肴をお持ちしました」
「おぉう、入れ!」
襖を開け部屋の中へ入ると、芹沢と妾のお梅が既に酒を酌み交わしていた。
かなたは前へ一歩踏み出すも、異変に気づき立ち止まる。芹沢達がいる衝立の向こうに誰かがいるようだ。時折、艶やかな声が聞こえてくる。
「あぁ、気にするな。あれは平山がくつろいでおるのだ」
大人専用ホテルの店員の気分だ。気まずさを感じながらも、芹沢の前に膳を差し出す。
「こちら、味噌田楽と煮豆です」
「ほう、美味そうだな」
芹沢はつまみを口に含み、嚥下すると、大きく頷いた。
「.......うん、美味い。中村、たまには酌でもせい」
「は、はい!」
かなたは徳利を持ち、緊張する手を抑え酌をする。あの時の舞妓も、こういう気持ちだったのだろうか。
そんなことを思いながら芹沢の相手をしていると、いつの間にかかなりの時間が過ぎていた。
料理は酒が進みやすくなるように、味付けを濃いめにしておいたおかげで、芹沢とお梅はすんなりと眠りについた。気づけばその他の声も聞こえなくなっていて、まるで何事も起きないかのように静かだ。
かなたは原田に言われた通り、芹沢が寝ているのを見守っていた。
その時バンッ、と襖が開く。
思わず肩を跳ねさせたかなたの前に、土方と沖田が勢いよく飛び込んできた。
「何だっ!?」
芹沢はすぐに起き上がると、何事かと枕元の刀を手に取る。
奥の部屋では平間が慌てふためき、外へ逃げ出す様子が見えた。平山は既に、誰かの手によって息絶えているようだ。
かなたは咄嗟に隣の部屋へと身を隠し、縁側から様子を伺う。
「きゃあああ!」
(...っ!!)
息を付く間もなく沖田の一閃が、お梅を斬り伏せた。
初めて見る"人の死"に、かなたは思わず口元を押え目を背ける。
その隣で、土方は静かに芹沢に刀を向けていた。
「ひ、土方...貴様ァ!」
「おりゃあ!!!」
土方の一太刀を避けると、芹沢は隣の部屋へ向かって駆け出す。
「ッチ...!待て!!」
その後を、土方と沖田がすぐさま追いかけた。
「あっ!」
そう思わず声をあげてしまう。芹沢が隣の部屋へと逃げ込もうと、かなたの避難している縁側へ駆け寄ってきたのだ。
かなたは慌てて、さらにその隣の部屋へと身を隠す。するとそこには、八木家の子供たちが部屋の隅で身を寄せ合い、怯えたように震えていた。
「早く逃げて!」
かなたはすぐに子どもたちを二階へ逃がすと、襖を少しだけ閉めて隙間から様子を伺う。芹沢は必死に逃げ惑いながら部屋へ入ったが、文机に足を取られて倒れ込んでしまったようだ。
土方と沖田は縁側からじりじりと進み、畳に手をつく芹沢を追い詰めていく。
芹沢が落とした刀を取ろうとしたその瞬間、沖田が先に飛びかかった。
「うおりゃあ!!」
しかし、立ち上がった芹沢がその怪力で沖田を吹き飛ばす。沖田の体が襖を突き破り、かなたの目の前に転がった。
「ぐっ......!」
「沖田さん....!」
かなたは思わず駆け寄り、怪我を確認する。
「かなたさん...逃げて.....ください...」
沖田は少し頭を打ったようで、ふらりと体を揺らした。彼の言う通りに逃げようかと迷ったが、それでも立ち上がろうとするその姿に、放ってはおけなかった。
芹沢の方を見ると、再度刀を手に取ろうとしている。土方はその隙をつき刀を振りさげた。
だがその時、ガッと音が鳴る。
「!!」
土方の刀が鴨居へと引っかかったのだ。
「クソっ!!」
(まずい!!)
かなたの体は考えるよりも先に動く。沖田が落とした刀を拾い、芹沢の後ろから心の臓へと突き立てた。
「ぐぁ....ぁ....!!」
ビシャッと返り血がかなたの顔に散る。芹沢は呻きながら力尽き、ずるりと崩れ落ちた。
土方と沖田は、何が起きたのか分からず言葉を失ってしまう。
「はぁ......っ...はぁ....っ......」
すべてが終わったはずなのに、かなたの手は震えて止まらない。自らの手で人を殺めてしまった。
だけど、自分がこの人たちを守らなければならなかった。自分が、新選組を...
事が終わった部屋には雨音だけが響いている。沖田はただ、呆然とかなたを見つめていた。
「....おい、かなた....」
土方もまた、初めて見るかなたの姿に動揺する。脳がまだ、何が起きたのか追いついていない。
かなたはゆっくりと土方の方へ顔を向ける。その瞬間、ズドンッと大きな雷が落ちた。
「.....!」
その一瞬の閃光の中、返り血を浴びたかなたの顔が浮かび上がる。
その妙に澄んだ瞳に、土方は思わず息を飲んだ。ふと、"美しい"そう思ってしまった。
そこで沖田がようやく我に返り、かなたに近寄る。
「....かなた、さん」
「...」
手足に力が入らず、かなたはぼんやりと立ち尽くしていた。目の前の出来事を理解してはいるのに、頭が働かない。
「おい...大丈夫か...?」
その様子に、土方も珍しく心配する。
「は、い......」
かなたの目は先程の澄みきった目とは違い、焦点が合わずどこを見ているのかも分からない。
「かなたさん、血を落としましょう」
沖田がそっと刀を取り上げると、かなたの手を取って部屋を出ていく。
土方はしばらくその場に立ち尽くし、芹沢の亡骸を見つめていた。
ーーーー
沖田はかなたの手を引き、井戸端へとやって来た。雨に打たれ、大半の血は流れ落ちたが、服に染み込んだ赤黒い跡だけはどうしても消えなかった。
「かなたさん、大丈夫ですか?」
沖田の声には、どこか申し訳なさが滲んでいた。かなたを巻き込む形になってしまったうえに、彼女自らの手で人を殺めさせてしまった。
「...はい」
かなたのその瞳は悲しげでありながら、どこか冷静さを含んでいる。ようやく、先ほどの出来事を頭の中で整理し始めたところなのだろう。
「かなたさん、ごめんなさい。あなたの手を汚してしまって...」
「....いえ。ああでもしないと、お二人が危なかったですから....」
ザァァと雨が強くなり止む気配を見せない。
まるでこの夜の出来事を洗い流すかのように降り続いていた。




