愛しき暗殺者
「所詮、元幕府の犬は幕府側であったか。おはんらのような輩は信用ならん。和睦は不成立じゃ」
西郷は立ち上がり、土方たち三人を見下ろすと、隣にいた桐野へ合図を送った。
桐野は静かに刀を抜き、その切っ先を土方へ向ける。
しかし土方は、懐にある短銃へ手を伸ばそうとはしなかった。
その瞬間、かなたの視界がぐらりと眩む。
気づけば、自分の手には刀が握られていた。
耳に届くのは、雨が降り続ける音と、自分の荒い逆息だけ。
(これは……あの時の……)
目の前に血まみれで倒れているのは、芹沢鴨――そのはずなのに、そこにあったのは土方の姿だった。
「なんで……!」
――――
かなたは、自分の声で目を覚ました。
目を開けた時、視界に入った見慣れた天井に安堵する。
目尻には涙が伝い、呼吸も苦しい。
咄嗟に自分の体へ目を向けると、ミケ子が堂々と腹の上に乗り、こちらを見下ろしていた。
どうりで息苦しいわけだ。
そんなことを思いながら上体を起こすと、ミケ子はさっと飛び降り、文机の前に置かれた座布団の上で丸まり始めた。
かなたは寝ぼけ眼のまま、昨日の出来事を思い返す。
たしか、昨日は西郷たちと別れて屯所へ戻ったあと、疲れ果ててすぐ自室へ引っ込んでしまったのだ。
自分でも気づかぬうちに、相当な気疲れをしていたのだろう。
そのせいで、あんな嫌な夢まで見てしまった。
目を擦ると布団を畳み、着替えを済ませてゆっくりと障子を開ける。
時刻は、日の出の位置からしてこの時期なら明け六つ――現代でいう朝五時頃だろうか。
起きるには少し早いが、目が冴えてしまった以上仕方がない。
かなたはひとつ伸びをすると、井戸端へ向かって足を動かした。
――――
西郷たちとの会談があったので、土方、山南、かなたの三人は翌日、特別に休暇を貰っていた。
急な休みではあったが、自分たちは普段当番制で動いているわけではないので、それが幸いだった。
しかし、休みといえどこれといってすることもない。かなたは朝から自室でだらだらと本を読みふけっている。
けれど、何時間も集中力が続くはずもなく、昼前にはすでに暇を持て余していた。
寝そべりながら畳の目の数を数えていると、勢いよく障子が開かれる。
「おい、かなた」
「……土方さん、声くらい掛けてくださいよう」
「掛けたじゃねえか」
「掛けながら開けるのと、掛けてから開けるのは違います……」
だらしない姿を土方に見られるのは忍びない。かなたは慌てて上体を起こすと、姿勢を正した。
「それで、どうしたんです?」
そう聞くと、土方はかなたの真正面にどっかりと座り胡坐をかく。
「お前、どうせ今日暇なんだろ。だったら昼飯でも食いに行こうぜ」
「どうせ」とは心外だ。
しかし、暇なのは事実だし、土方と出かけるのは嬉しいので、素直に頷くしかなかった。
いつものように他愛もない話をしながら店に着くと、席に座った瞬間、土方がかなたの顔を覗き込んだ。
「昨日はちゃんと寝れたか?」
こういう気遣いをさらっとしてくれるところが好きなのだ。
そんなことを思いつつ、かなたは自分の見た夢を話す。
「寝れましたよ! ただ、変な夢は見ましたけど……」
「どんな夢だ?」
「西郷さんとの和睦が不成立になって、私が土方さんを殺す夢です」
「……は?」
こいつはそんなに俺のことが嫌いだったのか?と、言わんばかりの視線を向けられるが、かなたはいつも通り平然とした様子で彼を見返した。
「一応聞くが……本当に殺したいわけじゃねえよな……?」
探るように聞いてくる土方に、かなたはアハハと笑う。
「当たり前じゃないですか。殺したかったらとっくの昔にやってますって〜」
たまに出る彼女の辛辣な言葉に肝を冷やしながらも、土方はほっとした様子で茶を啜った。
まあ、そんな彼女のすべてに惚れているのだから、たとえ命を狙われようとも、それも本望なのかもしれない。
(ま、こいつに生かされた命だからな)
自分のいささか変態的な考えに呆れながら、土方は運ばれてきた料理に目を輝かせるかなたへ、笑みを向けるのだった。




