最終期限
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
その日私は自室で独り,物思いにふけっていた。
バナドルスの手紙で決戦場がバラナシオスになる事を知った私ではあるが,それはあくまで私的な通信による非公式の情報,公式にはバナドルスはガイカースで連合を迎え撃つことになっていた。
連合にしても,エリィたちのもたらしたその情報がなければすぐに攻略の軍を進めていたはずと考えるのが妥当だ。迎撃態勢を整える暇を帝国に与えるのは愚策であるからだ。
だから常識的に考えれば,ガイカース攻防戦はすでに起こっていておかしくないはずだった。そして決着がつき,何らかの戦況の変化が起こっていてもおかしくないはずだった。
つまりはもう,何らかの連絡がルマールから入っていておかしくないはずなのだ。
だがいまだにそれは無い。普通ならあり得ない事だ。ガイカース攻防戦は行われなかった,だから連絡の必要は無い,という事にはならない。
(…)
私の物思いはしかしその先,すなわち連絡をよこさないルマールに対してこちらから連絡を取るべきかという事だった。
さすがに帝国の命運を賭けた一戦だ。向こうから連絡が来ないからといってそのまま放置していたのでは,こちらも不自然なのではないだろうか。
随分と疑わしくなったが私はアリシアの攻略に取り掛かっている最中だ。定時以外で,しかもこちらから連絡を取るという事はすなわちその余裕があるという証明になる。だから定時以外の連絡は避け,しかもそれはすべて向こうからの連絡という形にしてきたのだ。
(…)
しかし今回は事が大きい。過ぎ去った日数から考えれば,連合が軍の再編成を終えて攻略軍を進めていておかしくないとなるのが普通だ。
そして。たとえばガイカースの戦いが行われて帝国が勝ち,状況が好転したというならルマールから連絡がない事には言い訳もつけられようが,仮にそれであっても,さすがにこちらがそれを放置するのは無関心と誹られる事になりそうだ。
「!」
やはりこちらから連絡を取るべきか,そう判断して水晶球へと手を伸ばしかけたその時,それが反応する。
「…来たか」
それなりに良い展開となったことにほっとしながら,即座にそれを操作して起動する。
「ん…?」
画面が映るや否や,怪訝そうな声を上げるルマール。
「何だ将軍,近くにいたのか」
「…ああ。たまたまだがな」
「ふん…まぁ好都合だ。比較的急ぎの用事があったからな…」
(…比較的?)
違和感を覚える。
「…ガイカースはどうなった?」
「奪われたよ。連合に」
「…そうか…」
それだけを言って次のルマールの言葉を待つ。ガイカースの戦いが行われていない以上それが当たり前だが,それをルマールの言葉で聞くまでは迂闊なことは言えない。
「正直,意外だったよ」
ふぅ,と溜息をついてルマールは言う。
「…意外?」
「ああ。まさかバナドルス将軍が帝国を裏切るとはな」
「!?」
軍師の言葉に耳を疑う。
「…裏切る…だと…?」
「ああ。彼…いや,もはや奴と言うべきか…奴は勅命に逆らってガイカースを連合に明け渡した」
(…)
確かにそれだけ見れば命令違反だ。だが裏切ったというのは穏やかではない。自分の知らない何かが起こったというのか。
「…先日の通信では,微塵もそんな気配は無かったが…」
あの時点ではむしろこちらが疑念を口に出すのを制していた格好だ。
不自然にならないように気を付けながら,手紙がなかった時の反応を思い描いてその通りに行動する。
「そうなのか?」
(…!)
蔑むような響きがルマールの声に混じったように感じ,表には出さないもののハッとする。
向こうの認識ではバナドルスは間違いなく裏切り者で,こちらも疑われていると見るのが妥当ではないか。
「…ああ。帝国の軍人として全力を尽くすと…そういう姿勢だったと記憶している」
傍受され見張られていた可能性もじゅうぶんにある。だからこそのあの手紙だ。慎重に言葉を選ぶ。
「…いったい何が起こったのだ,ルマール。それに…なぜそんな重大事を今まで…」
「事後処理に手間取ったのだよ」
ふん,と鼻を鳴らしてルマールが言う。
「奴はガイカースを連合に明け渡した。そして…一度は却下されたバラナシオス決戦の再考を直訴しに帝都へと戻ってきた」
「…バナドルスならあり得る話だな」
「ところがだ。それは周到に準備された策だったのだよ。奴は今まで陛下がかけた信頼を利用して労せず陛下へと近づき,亡き者にしようと画策していたのだ」
「…な…に…?」
そんなはずはない。確かにバナドルスはハンの理想に殉じる覚悟ではあったが,それはハンの暗殺を意味していなかった。
「陛下の首を手土産に,連合へ取り入ろうとしていたようだな」
「…ば,馬鹿な…」
「そう,まさにそうだ。馬鹿な,だ。見事にしてやられたよ」
嘲るように言うルマール。
「…」
あの手紙がなければ間違いなく,あってさえ彼が乱心したかのような錯覚にとらわれるほど,それほどその話には不自然さが無い。
「…それで,どうなった…」
「苦労したがな,拘束したよ。官職は剥奪。謀反人として投獄してある」
「…そうか」
「他に何か言う事はないのか?将軍」
そこで呆れたようなルマールの声。
「…ん?ああ…」
完全にとまではいかないものの,瞬時に思考は冷静さを取り戻す。
ルマールはこちらの仲が良い事も熟知している。となれば,示し合わせて行動を起こそうとしていると疑ってもおかしくはない。
「…そうだな」
苦笑しながらそう言って,言葉をつなぐ。
「…感謝する,ルマール」
バナドルスの手紙は秘密だ。だからルマールの言葉だけをもとに考え得る範囲で対処するのが上策だ。
「!?」
おそらくは予想外の言葉を耳にし,予想外の一礼を受けたルマールは当然の帰結としてうろたえた。
「な,な,な…?」
「…よくよく考えてみれば,弑逆を画策したバナドルスを抑えられるのは陛下自身かお前しかいないだろう?となれば必然,陛下を守る意味でもお前が彼と対峙してこれを抑えた事は想像に難くない」
「む…」
「…となれば当然,龍戦士どうしの戦いだ。並々ならぬ労力を費やしたであろうことも想像に難くない」
まっすぐに覆面の目のあたりを見て続ける。
「…」
「…本来ならばそんな力仕事は私がやらねばならぬところだ。重ねて言おう,ルマール…感謝する」
「ふ,ふん…そう思うのなら,さっさと自分の職責をまっとうして欲しいものだな」
不満そうに鼻を鳴らすルマール。
「…すまない」
苦笑が漏れそうになり,慌ててそれを押し殺す。
「…しかし…」
それでは迎撃軍の指揮は誰が執るのだろう?ルマールか?いや,まさかハンが直々に…。
「指揮はレヤーネンに任せるよ」
「!?」
こちらの疑問に答えたルマールの,しかし発せられた言葉に耳を疑う。
「…ば…」
「それ以上言えば叛逆罪だぞ,将軍」
「!?」
突然の,冷たく言い放つようなルマールの言葉。
「…叛逆,だと…?」
「陛下のご裁可だ。それに異を唱える事が叛逆でなくて何だ」
「…陛下が?…という事は,陛下をして相応しいと思わしめる何かがレヤーネンに備わったという事か?」
慎重に言葉を選ぶ。しかし,それは事ここに至ってもまだハンがおかしくなっていないと信じたい気持ちがそうさせているだけに過ぎない。常識的に考えれば,こんな短期間であのレヤーネンにそんな劇的な変化が現れるわけがないのだ。
「まぁそういう事だ」
(…なに?)
ルマールのやけに自信ありげな言葉を不審に思う。やはり常識で考えれば,他に人材がいないからそうしているという可能性の方が高いのだ。
「…だが偽物とはいえ,伝説の龍戦士役をこなすような者相手にレヤーネンが互角以上の戦いができるとは…」
「そこは最高軍機なのでな」
ふふん,と鼻を鳴らすルマール。
「まぁ楽しみにしていろ。本物の龍戦士でもなければ倒せないほどの強化はできたし,倒した者には地獄を見てもらう事になる」
「…地獄を?」
ぞくり,と寒気が走る。こういうときのルマールは決して大言壮語は言わない。かなりの自信と確証があっての事だ。
となると,誰が地獄を見るのか。クーラか,ノーブルか…それともエリィか。
「だがまず」
そこで不機嫌に戻ったルマールの声が思考を現実へと引き戻す。
「貴公にはこちらの動静を心配している暇などないぞ,将軍」
「…」
「勝てねばいよいよ帝国は終わりだ。後は…分かるな?」
凄みをきかせて言うルマール。それはつまりそこまでの間にアリシアを何とかするか,さもなくばアリシアを諦めて戻ってこいという事だ。
無論,何の成果も無しに戻ったのでは将軍位の剥奪は避けられまい。それどころか,成り行きによってはバナドルス同様拘束される事にもなろう。
「…ああ。分かっているつもりだ」
エリィたちが無事のまま連合が壊滅して撤退するのが最善の状況だろうが,そうそううまくはいくまい。一番なって欲しくないのがエリィたちの戦死である限りは,次善は帝国の敗北だ。だがそれはつまるところ,ユーリエとの別れを意味する。
(…く…っ)
バナドルスの手紙がひっかかる。彼が拘束されたとは,つまりハンが元に戻らなかったという事だ。その時は自分の宙を征けと,バナドルスは言った。
だが…そこまでハンが変わってしまうのを安全な遠方でのうのうと黙過し,状況が悪くなったといって後足で砂をかけるように裏切ってしまって良いのか?
「…封印は…」
口をついて出てしまった言葉に,しまった,と思うがもう遅い。
「ん?どうした?アリシアの封印が何とかなりそうなのか?」
「…いや…」
誤魔化すのは難しそうだ。しぶしぶと言葉を繋ぐ。
「…どうにかできる可能性が高いのは,封印だろうという状況にはなっている」
「ほぅ?参考までにその根拠を聞きたいものだが?」
「…どうも,騎士の剣をはじめとする伝説の武具には,何らかのかたちで龍戦士の力が封じ込められているらしいのだ。だから極端に言えば,その破壊は我々が最後の力を使うのと同等の災禍を引き起こす可能性がある」
「ふむ…アリシアが古ハイアムのようになる可能性があるという事だな?」
顎に手をやって考えをまとめるようなしぐさのルマールは言う。
「…そうだ。何とかその解除をと試みてはみたが,一朝一夕にどうにかなる代物でもない」
「だろうな…で?」
(…?)
にやにやと笑っているかのような,どことなくいやらしい響きのあるその声を不審に思いながら言葉を繋ぐ。
「…伝説の龍戦士は相変わらず所在不明で手の出しようがない。女王の幸せのためにはその身の安全とアリシアの安寧は外せないとなれば,女王にも剣にも手を出せない。となると…」
「それで,封印か。なるほど言いたいことは分かった。で…どうにかなるのか?」
「…いや…。女王にとってその秘密を漏らすことは死と同義,それを翻意させるにはまだ時間が…」
「将軍。ひとつ言っておかねばならん事がある」
そこでこちらの言葉を遮り,ルマールは言葉を続ける。
「先日言ったと思うが…その件については陛下を説き伏せた」
「!?」
目が点になる。ハンが?自らの出発点を!?
「…な…に…?」
「実際,苦労はした。だがな…結局,人の上に立つ者は多かれ少なかれ覚悟を決めねばならんという事だよ」
「…どういう,意味だ…」
それならば,ハンは真っ先に自らを投げだすはずだ。これでは帝国の為にアリシアに犠牲になれと言っているようなものではないか。
「つまりな。陛下には帝国の臣民と己の拘りとで究極の二択をして頂いたのだ。そして,アリシア女王には臣民と自身の二択を迫る事を了承頂いた」
「!!」
そういう事か。理屈では解る。つまり,完全に両立ができないのならば,ハンもユーリエも上に立つ者としての責務を果たし,ユーリエ一人の命で手を打とうという事だ。
「だからな将軍,少なくともアリシア女王の幸せは,臣民の安寧のために妥協してもらわねばならんというのが帝国の見解となった,という事だよ」
「…」
公共の福祉。どこかひどく遠い世界の言葉のような,本来全くあてはまらないはずの概念であるそれが頭に浮かぶ。
「余計な事は考えるなよ,将軍?」
何を言うつもりもなかったが思わず口を開きかけたタイミングで,ルマールは畳みかけるように言う。
「…な…に…?」
「それに異を唱えるとはつまり,帝国への叛逆だ。まぁもっとも…伝説の成就さえ阻止できれば女王を生かす途があっても良い,それは将軍の裁量に任せるという言質もとってはある」
「…」
「それが今の陛下にできる,最大限の貴公への譲歩という事だよ,将軍。もはやそれは陛下の使命ではない。貴公の…趣味に過ぎぬという事だ」
ルマールはそこまで言って間をとり,こちらの反応を確かめるようにした後言葉を繋ぐ。
「早ければ早いほど良いが,最終的な期限はレヤーネンが敗れるまでだ。良いな,それまでに成果を上げて本務に復帰せよ。…これは勅命である」
まぁ奴が勝てれば状況は変わる,それを祈るのもありかもな,と意地悪く笑って,ルマールは一方的に通信を切った。
「…」
遂に来るべきものが来てしまったか。全てを根こそぎ持っていかれたような脱力感を感じて,そのまま側の寝台へと倒れこむ。
その時の私には確かに,他へ気を配るほどの余裕は無かった。だから,身の回りに起こっていた小さな異常にも全く気付くことができなかったのだ。
それが後々大きくのしかかってくる事になるなど,その時の私は夢にも思わなかったのだ。




