使命とは
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
起死回生のと言えば聞こえの良い,しかしその実藁にも縋る思いで臨んだ会談は,さしたる成果を得られずに終わった。
城へ戻った私は二人と別れて自室へ戻り,寝台に腰を下ろしてバナドルスからの手紙を取り出した。
(…さて)
先ほどは別の事に気を取られていてほとんど気にも留めていなかったが,冷静に考えればやはり不自然だ。水晶球による通信手段が確立されているのに,このような不安定な方法に頼る。そこにはごく普通に考えて,そうせざるを得ない何かがある。
「…父祖…」
<分かっている>
「…すまない」
もうすっかり恒例になってしまったこのやりとり。もちろん最終的な判断は父祖に委ねる事になるのだが,少なくとも利己心による隠蔽ではないと断言できるし,そこだけは崩すわけには行かない。
「…」
意を決して,その中身を開く。一体どんな秘密が隠れているのか。
(!?)
しかしいきなり度肝を抜かれる。
<陛下は,変わってしまわれた>
それが書き出しだったのだ。冗談を,ましてここまで手の込んだ手段で言うバナドルスではない。
<気づくのが遅すぎたのかも知れないが,そもそもどうにもならなかったのかも知れない>
淡々と書かれるバナドルスの述懐。
<俺がそれを決定的だと感じたのは,今回の迎撃作戦がガイカースと決まった時だった>
(…)
やはり,それか。
<確かに帝国の存続に関わる大事でもある。皇帝として,それを第一に考えなければならない立場も承知している。しかしその根本である民の安寧への思いが,陛下から感じられなくなってしまった>
「…バカな…」
バナドルスがこんな時に嘘や冗談を言う筈が無いと理解はしていても,やはりそうつぶやいてしまう。
立場が解るからその決断自体はあり得る。あり得るが,民の安寧への思いを断腸の思いで封じ込めての決断の筈で,感じられなくなってしまったなどという事があるわけがない。
<信じられないとは思うが,これが現実だ。確かにその思いが,陛下から感じられなくなってしまったのだ>
(…)
こちらの反応などお見通しとでも言わんばかりに,念押ししてくるようにバナドルスの言葉はそう繰り返される。
<陛下はどこか,夢うつつの状態であったようにも見えた。ふた月ほど前からそのような状態が見え隠れするようになっていた陛下ではあったが…>
(…なに?)
ぎくりとする。
ふた月ほど前と言えばちょうどあの時,蛟龍が異変を感じた時だ。
ごくり,と唾を飲み込む。もし仮にエリティアの封印が解けていたのだとしたら。それによって邪神の影響力が増したのだとしたら。それに中てられてハンが…。
「…っ」
二度三度と首を振ってその弱気を追い出す。まずは読んでからだ,そう言い聞かせて先へ行く。
<…まさか己が信念に関わる決断の場ですらそうなってしまうとは思わなかった>
バナドルスの述懐は続く。
<事実上,今の帝国を取り仕切っているのは軍師殿だ。在りし日は,そう…思いに任せて突き進む陛下をある時は諫め,またある時はその尻拭いに辟易する軍師殿という図式がお決まりだったが。今の陛下は唯々諾々,軍師殿の言を全面的に容れるばかりだ>
(…)
それは明らかに不自然だ。夢を追い理想を求めるハンと,現実に立脚し妥当性と客観性を重視するルマールとでは正反対と言って差し支えない。普通はぶつかり,どちらかが折れるか妥協するかとなるのだ。
しかも今回の件はハンの理想,存在意義と言ってすら差し支えない根本の部分に関わっている。少なくともルマールの言い分を全面的に承認などあり得ない。
<もはや帝国の理念は…サナリアの暴虐を見かねて立ち上がった志は,失われてしまったのかも知れない。今回のガイカース迎撃の決定は,帝国がサナリアと同じ道を歩む事を選んだとしか思えぬのだ>
「…バナドルス…ハン…」
そこで一度手紙から目を離し,天井を見上げてつぶやく。
これがアリシアの予言の力,だとでも言うのだろうか。やり場のない無念をついそこへぶつけてしまう。
だが現実として考えれば,予言はあくまで成り行きを視ただけに過ぎないのだろう。強いて言うなら,予言というよりは運命そのものの力と言うべきなのだろう。
「…っ」
もはやどうにもならないのか。運命は変えられないのか。軽い絶望を感じながら,再び手紙に目を落とす。
だが。
<俺は…運命に抗ってみようと思う>
(…なに?)
バナドルスの決意。
<俺にとって帝国とは,陛下の…ハンの理想だ>
「!」
<俺は連合との最後の戦いに挑む。勝てねば,生きて戻る事はあるまい。だが殉じるのはかつてのハンの理想にだ>
「…バナドルス…」
先日の会話の時の認識よりもかなり事態が深刻であると悟る。
おそらくバナドルスは,ひとたび戦端が開かれれば連合が全滅するまで攻撃の手を緩めはしないだろう。マイシャどころか,一気にエリティア王都クオーカまで攻め込むつもりだ。それを成し遂げるのと自分が最期の時を迎えるのとどちらが早いか,そんな勝負を挑むつもりだ。
<俺は敢えて…連合をバラナシオスで迎え撃つ>
「…」
それも妥当な決断だ。ハンの理想に殉じるならば,民を戦火に晒すわけには行かない。たとえそれでより勝利が難しくなるとしてもだ。
<だが…ジョウ,お前は違う>
しかしそこで,唐突にこちらへと話を振るバナドルス。
<帝国の将軍としてやってきた俺とは違い,お前はあくまでハンの理想に共感して手を貸してきただけの,言わば客分だ。お前まで殉じる必要は無い>
「!」
バナドルスがハンの理想に殉じると言うならば,自分も轡を並べて戦いたい。そう思い始めた矢先に,バナドルスに釘を刺された格好になる。
「ぐ…」
思わず漏れるうめき。それでは,おめおめと生き恥を晒せと言うのか。
<生き恥などと思う必要はまったく無い>
「!?」
またしても,こちらの思いなどお見通しだと言わんばかりのバナドルス。
<この手紙を読んでいるお前ならば解るはずだ。お前が殉ずるべきは帝国では無いし,ハンの理想でも無い>
「…!」
ハッとする。
<ハンがお前に求めた事…それは「己の信じた宙を征け」だったはずだ。ハンはお前が自分の理想に殉ずる事を良しとしない>
「…っ」
確かにそれはその通りだ。使命がぶつかり合ったら戦うだけだ,とまでハンは言った。
(…戦う?)
そこでまたぎくりとする。まさか,それが約束された運命だと言うのか?自分はやはり,伝説を担う宿命だと?
<それに…まだハンが完全にダメになったとも限らない。俺の行動で,正気に返る可能性もあるかも知れないのだ>
「!」
しかしバナドルスの言葉は,全く別の可能性を示唆する。
<だからお前はそれを見極めろ。ハンが正気に返れば今まで通り,それに手を貸してやれば良い。もし戻らないならば,その時は義理立てする必要など無い。お前はお前の宙を征け>
「…バナドルス…」
<連合を押し戻すことができたら…また会おう>
そう結んで,手紙は終わった。
「…」
それを元通りに折り畳んでまたしまい込むと,天井を仰ぎ見て溜息をつく。
「…ハン…」
やはりハンは変わってしまったと見るべきなのか。変わっていないのならば,バナドルスがここまでの決意を固める必要など無い。バナドルスをここまで追い詰めるわけも無い。
その原因は,やはりエリティアの封印が解けてしまったためであろうか。だとすれば,やはり先日のルマールは不自然だったと言うべきだろう。明言はしていなかったものの,何とかしろとの条件の中に封印が入っていたのも事実で,それはつまり邪神を復活させろと言ったに等しいのだ。
「…くっ」
しかしそれもあくまで憶測に過ぎない。あるいは認めたくないだけなのかも知れないが,そう結論付けるには確証に乏しい。ルマールは肝心な事を何一つ喋らないし,こちらから訊くのも変だ。
この手紙があるからこそ様々な疑念が渦巻いているが,これを伏せたままでは何一つ状況は変わらない,変えられない。かといって,これを公表すれば,状況は良くなるどころかかえって悪くなるだろう。言わば帝国を支える将軍二人の密談にあたるものがこれで,中身も命令違反,体制批判,離反と危険極まりない。
(…いっそ,一度帝都に戻って…)
直接この目でハンを見極めたい。直接ハンと語り真意を問いただしたい。そんな思いが溢れる。
「…」
だがそれは所詮かなわぬ願いだ。自分が此処を離れるわけには行かない。
(…俺の宙…)
そこで唐突に,別れ際のハンの言葉を思い出す。次に会う時は貴公の宙が見つかった時,ハンはそう言った。
(…俺の使命)
つまりはそういうことだ。
(…!)
そこでまた唐突に,さらに昔の記憶を思い出す。
ハンは確か,アリシアの書庫には龍戦士の使命のあたりに明るい書物があると言った。今の今まで失念していたが,もしかしたら何らかの指針が得られるかも知れない。
(…救えぬな)
しかしそこで自虐する。もっと余裕のあるうちにそれを見ておけば,もしかしたら今までしてきた選択が変わっていたかも知れない。要は困った時の神頼みの如き他力本願ぶりという事だ。
(…だが,待て…)
そもそもそんな都合の良いものがあるのだろうか?そう自問する。仮にあるとしても,それはアリシアの運命に大きく関わる龍戦士に限られるのではないだろうか。さもなくば,当たり障りのない程度に記述されただけのものの可能性もある。
<…父祖,少々尋ねたい事がある>
口を開く。
<何だ?>
<…以前噂を聞いた事がある。アリシアの書庫には,龍戦士の使命について明るい書物があると。それは…本当なのか?>
<…>
間が空く。
<自分の使命を知りたくなったのか?漆黒将軍>
こちらの心理状態がそうさせるのか,やがて発せられた父祖の言葉に呆れたような見下したような響きが感じられる。
<…恥ずかしながら,な…。むろん他にも理由はあるが…それが全く無いとは言えない>
素直に認める。恥ずかしながらではあるが,そこで取り繕う無様を晒してさらに上塗りはしたくない。
(…いや,待て…)
そこである可能性に気づく。龍戦士の使命を記した書があるとすれば,ハンについてのそれもあるのかも知れない。予言の書を精読する事は確かに王道だったが,ハンの使命を知る事で搦め手から帝国の運命をも推察する事ができたのではないだろうか。
(…つくづく未熟,という事か…)
また自虐。
<ないわけではないな…>
しかしそこで,妙に歯切れの悪い父祖の言葉。
<…父祖?>
それを不審に思う。
<つまりな,龍戦士の使命を視る為にはいくつか制約があり…純粋な先読みで予言をする事は不可能なのだ>
<…というと?>
<たとえば今回の龍戦士降臨もそうだが,予言の書のほうはまったくの未来を予見して記録に残したものだ>
<…なるほど>
なんとなく,父祖の言わんとする事を理解する。世界全体の運命をその文字の如く予め先読みする予言と違い,よりその龍戦士個人に即したものである使命の方は現物を見てからでないと視られないと,さしづめそんなところか。
<…しかし…>
たとえば自分もハンも,既に龍戦士として実在している存在だ。純粋な先読みは不可能と断りを入れているところから見て,逆に純粋な後出しにもならないはずだ。純粋な後出しでは,後世の史家が書く伝記と大差ないものとなってしまう。
<察しの通りだ。龍戦士の使命は,実在するその龍戦士個人に直に接触することではじめて視る事が可能になる>
<…>
直接か。となると,視る事の出来る者…おそらく現状ではユーリエであろうが…それに逢った事の無いハンの使命は調べようがないという事だろう。
<…今調べられるのは,私とリリーくらい…そう考えて良いのだな?>
<その通りだ。アリシア王家の巫女がそれを視るという性格上,それに直接触れる事の出来るお前たちだけにその可能性がある>
<…可能性?>
また妙に歯切れの悪い父祖の言葉がひっかかり,問いただす。
<他にも制約があってな>
父祖は淡々と言う。
<ひとつは…それを視る為にはかなり深い接触が必要になるらしいという事だ>
<…先日のあれ程度では足りない,という事か?>
あれとはつまり,蛟龍が異変を察知した時のあれだ。非常時という事もあって,やむを得ずユーリエを抱きかかえたあれだ。
<足りていれば,ユーリエが何かを視たはずだ。視たのならば,何かを言ってきてもおかしくはあるまい>
<…なるほど>
言えない何かが視えてしまって黙っている,などという事は考えにくい。
<…しかし…それでは…>
ユーリエとより深い接触をしなければ,使命を視てもらう事はできないという事だ。だがそれは,視えた使命次第では取り返しのつかない過ちになってしまう危険があるという事でもある。
<それを頼むかどうかはお前の決断で。それを承諾するかどうかはユーリエの決断だ>
<…父祖,貴方がそれを言ってしまうのか?>
思わず口をついて出てしまう言葉。
<そんな事を心配するお前なればこそ,よ>
<…>
これも心理状態のなせるわざか,今度はどこか面白がっているような響きの父祖の声。
<が…実はもう一つ制約があってな>
しかしまたしても,歯切れの悪い言葉。面白がっていると聞こえたのは気のせいか。
<過去の事例を元に言うと…何がどれだけ視えるかは,その巫女の資質にも左右されるようだ。>
<…!>
それは致命的だ。ユーリエには悪いが半ば反射的にそう思ってしまう。
巫女の資質とは普通に考えて魔法の才と密接不可分だろう。となれば,ユーリエは歴代女王に比してかなり分が悪いと言わざるを得ない。
となれば。仮にそれを補えるとして,その手段はより深い接触になるのではないか。
<…>
軽いめまいを覚える。リスクに見合った成果が得られるとは到底思えない。ユーリエが苦悩するのも見えている。
<…分かった。この話はこれまでだ。聞かなかった事にしよう>
頼めるわけがない。
<良いのか?>
<…女王に心痛を与えるわけには…>
<それを決めるのもあれ自身だと思うがな>
容赦なく斬り込んでくる父祖。
<…ぐっ…>
<決定権はお前にある。だからそれがお前の決断だと言うなら異を唱える事はすまいが…せめていくらかでも,時間をかけて考えてはくれぬか?>
しかしそこで父祖は,より穏やかな提案という形をとってくる。
<…父祖…>
<おそらくここからは,一つ一つの選択がそれぞれ運命を分ける程の重みを持つだろう。なれば,何があれにとっての最大の幸せであるかも,結論を焦る事なく考えてやって欲しい>
<…そう,だな…>
苦しい時だからこそ,安直な決定に逃げるような事態だけは細心の注意で避けねばなるまい。父祖の言葉を聞いてそう思い直す。
<…分かった。それを待ってくれるのなら,もう少し考えてみよう>
頷きながらそう言った。




